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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

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第四十七話

 複雑に絡み合ってしまった軍勢という糸を解くには、小綺麗な戦術も、優れた戦法も解決法たり得ない。決め手となるのは片糸を引き千切る純粋な暴力のみ、それがオルゼリカ坂で小隊を預るヨーギムの持論であった。


「怯むんじゃないよォ、ここで下がったらどの道死ぬだけさッ!!」


 その聞き慣れた声は乱戦でも良く響く。隆起した大腿二頭筋が大地を蹴り上げ、脈動する上腕二頭筋は拳を押し出す。俊敏な動作に追従する金髪は波打つように揺れ、凄惨な戦場でも煌めきを失わない。細められた鋭い目は艶やかに、挑発的に敵を射抜く。鍾美な妻を狙う者は多い。無粋者を取り除くのは夫として当然の義務だ。身体を割り込ませたヨーギムは、デボラの左脇腹を狙う穂先を剣脊で掬い上げ、手首を返し喉元を裂く。


「あんた!! そのぐらい、捌けるよッ」


 ぶっきらぼうに言い放ったデボラは新手に鎚矛を見舞う。掲げられたラウンドシールドは飴細工のように食い破られ、補強の木片を撒き散らす。敵兵は残る腕で突きを放つが、スキル《金剛》にまで昇華された魔力膜は、腰の入っていないなまくら剣など小枝のように弾く。こめかみへの一撃で雑兵はずるりと卒倒した。


 妻を視界に収めつつ、ヨーギムは鬩ぎ合う剣の指向性を変えて剣身を滑らせる。鋼鉄を削り取る甲高い音色を奏でながら刃は内手首を斬り裂いた。武器を手放したフェリウス兵は咄嗟に急所である首筋を庇う。無防備な首筋を庇うのは妥当な判断であったが肘を上げ過ぎていた。曝け出された脇にロングソードを刺し込めば、敵兵は苦悶の表情のまま倒れ込む。ガードを下げていれば一手か、二手は稼げたであろう。乱戦ではその手間が致命傷となるのは、長い冒険者生活で身に染みていた。


「キリが無いねぇッ」


 先程の言葉に反して、照れ屋の妻は半身をずらして完全に背中を預けた。それに言及するほどヨーギムも野暮ではない。互いの動きを阻害しない距離で付かず離れず得物を振るう。死で二人を分かとうとした者達は、夫婦のフェイントに翻弄され骸を晒す。


 苦し紛れの投擲もデボラの魔力膜で弾かれ、ヨーギムの剣により叩き落とされる。《直感》は無数の経験則による予想だ。妻の《剛力》《金剛》といった肉体に作用するスキルに比べれば慎ましいものであったが、先の先、斬り込む前の初動に合わせるには有用であった。


 膝を落とし、身体を前傾させたヨーギムは予備動作無しで踏み込んだ。地面に深く食い込んだ靴底は、蹴りを余すことなく推進力へと変える。それまで夫婦の歩調を合わせていた夫の斬り込みに、フェリウス兵はぎょっと顔を歪める。投射後の斬り込みに備えていたある者は剣を掲げ、ある者は短槍を引いたままであった。大きな力は必要ない。まるで釣り竿でも振るように、手首を小さく上下に振る。二人の男は釘でも踏んだように身悶え、噴き出す出血に喉を押さえた。


「こ、殺せぇえ゛え!!」


 残る残敵に殺意で射抜かれたヨーギムは一歩二歩と下がる。眼前には無数の刃が迫っていた。あと一歩踏み込まれれば凶刃に絡め捕られるだろう。それでも焦りはしなかった。背中から感じる頼もしい風圧と影はそれだけの安心を齎してくれる。


「退きぃなッ」


 密集していたフェリウス兵はメイスにより纏めて薙ぎ払われた。直撃を受けた者の鎧はワイルドボアに轢かれたようにひしゃげ、余波を受けた者達も地面に投げ出される。衝撃でもたつく兵達をヨーギムは頭上から刈り取っていく。虚空を撫でれば剣にへばり付いた血糊が朱色の軌跡を描く。


「昔から、急に飛び込む癖は直りやしないねぇ!!」


「はは、なんだかんだと付いてきてくれるだろう」


「馬鹿言うんじゃないよッ」


 戦場での夫婦の動きに言葉など不要、阿吽の呼吸とも呼ぶべき入れ替わりにヨーギムは満足を覚える。そうして妻から飛ぶ叱責を笑って誤魔化した。同時に懐かしさが込み上げる。


「こうしていると、若い頃を思い出してしまうよ」


「こんな時に、なに言ってんだい!!」


 軽口を叩ける状況ではない。土塁は突破されかけ敵味方入り乱れる乱戦となった。頼れる帝国騎士は敵の猛将と斬り合い、夫婦の前にもリハーゼン騎士団、それも悪名高き副団長サイランスが立ち塞がる。魔領の削り取りと旧フェリウス勢の取り込みで随分と無茶をしたと、セルタの地にも噂が流れてきていた。正に窮地と言える。


 それでも確かめ合うように交わされる掛け声に、薄れゆく青春が蘇る。夫婦になるかつての関係性を回想するにはあまりにも血生臭い。それでも二人が生きてきた時間だ。どう取り繕おうとも、平穏な世では思い出すことはなかった。


「こんな時だからこそ、だろう」


「昔からだけど、あたしよりよっぽどあんたの方が無茶苦茶さ」


 戦場で流される血は陰惨で救いがない。流血に酔うつもりなどない。それでもそこでしか味わえない妻の魅力があり、そこでしか成し得ない興奮があるのも事実であった。かつての戦場での逢引きのように背中を抜ける槍、掠める矢、怒号が眠っていた闘志を呼び起こす。互いの長所をより活かし、短所を打ち消す。どんな共同作業よりも心が躍ってしまう。


「息子には見せられないな」


 獰猛に犬歯を見せたヨーギムは一人自嘲する。普段の言動、風貌こそ頼りないと評されるが、戦火の中とあっては実に似た者夫婦であると自覚している。その共通点は夫の密かな喜びでもあった。


「は、いやだねぇ、ウォルムに過保護だって言われちまうよ」


 デボラは呆れたように言う。口に出さなくとも分かる。モーイズは二人の子なのだ。それもハイセルク帝国きっての騎士に叩き直された。親の手を離れ、一皮剥ける時期なのだろう。一抹の寂しさが込み上げるヨーギムであったが、感傷に浸る暇はなかった。


「戦場で、聞くに堪えない惚気話をするなぁああ!!」


 家族の時間を過ごす中で場違いな、激昂した声が響く。それは切り通しへの総攻撃を指揮するリハーゼン騎士団副団長サイランスであった。こう狭い範囲で乱戦となっては指揮官の仕事は限られる。直接脅威の排除に出てきたのだろう。魅力的な女性であるデボラには間男は付き物だ。ヨーギムは邪魔者を遇らうエスコートには慣れている。


「国家の命運を懸けた一戦だぞ!? それをふざけた夫婦の添え物にされてなるものかァ!!」


 魔力で揺らめく片鎌槍を弾き、引き戻しの際の斬りつけも剣脊で払う。指の一つでも頂くつもりであったが、実直な槍捌きに付け入る隙は無かった。


「不釣り合いだ、不誠実な輩に、不相応の技量など、断じて認めぬッ」


「今までの口だけの男とは違うな」


「なんだい、そんなにあたしが欲しいかい」


 熱烈な告白にデボラは身を引き、流し目で問う。


「横恋慕など流行らないよ」


 男の嗜虐心を誘う妻には困りものだ。ヨーギムは優しく釘を刺す。今の彼に足りないのは深い愛であろう。愛の力は何時だって偉大なのだ。


「シぃ、痴れ者共がァあ゛あッ!! 腑を晒すがいいっ!!」


 目は血走り、喉が裂けんばかりの怒号でサイランスは吠え掛かった。相手はリハーゼン騎士団副団長とその従士達、夫婦に立ち塞がる人生の障害としては最上級であった。

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― 新着の感想 ―
>《直感》は無数の経験則による予想だ。 じゃあ息子は?
[良い点] 訓練された感想欄w 
[良い点] デボラ夫妻すき [気になる点] 唐突な深堀りは死亡フラグ…… [一言] 死ぬのは果たして親か子か… 誰も死なないならそれもよし この先の展開が楽しみです!
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