第三十九話
「せェっーのッォ!!」
野太い掛け声と共に、破城槌を思わせる丸太が大地を叩く。円柱形の木材に、四つの取っ手が付いたそれは地突きに用いる道具だった。重労働により身体からは湯気が上がり、幾筋も汗を垂らす男達は、防具どころか下半身を除く衣服を脱ぎ去っている。そんな土まみれの兵達によって普請は完了しようとしていた。土留めのせき板を取り除かれ、形成された台形状の土塁をウォルムは踏みしめる。
「急造にしては、驚くほど丈夫だな」
靴底から伝わる頼もしい感触に彼らの献身を称賛する。地面から空気と水分を抜く転圧により残土の山は防壁と化した。
「ダンデューグの仮設城壁よりもマシさ。あっちは何もかも急だったけど、こっちの切り通しは埋め戻しが前提だからね」
遠方を睨んだままデボラが答える。練兵中隊の半端者達は土塁の天端である馬踏に、せっせと歓迎用の物資を運び込む。オルゼリカの坂、平時であればゼレベス六口としてセルタ半島の交通を支える一角は、人を寄せ付けない尾根として再び立ち塞がっていた。
「違うのは、色合いぐらいか」
掘削部である切り通しは埋め固めることにより開通前の姿を取り戻す。違うとすれば、土手を覆う緑の絨毯に割り込む禿山ぐらいなもの。
「尾根部分は斜面の崩壊防止に草を生やしたままだ。禿げ上がってるところがあれば目立ちもするよ」
ヨーギムは愛おしそうに後退を続ける額を撫で上げた。触らぬ神に祟りなし。ウォルムはそっと視線を外し、天端に集う新兵に目を向けた。普請を終え土汚れを落とした彼らは、脱ぎ捨てていた装備を身に付けていた。
「遠目からみれば、完全武装の軍勢そのものなんだがな」
幾つもの死地を経験してきたウォルムは、彼らの脆さに気付いていた。外面こそ取り繕っているが、肝心な中身のそこかしこに粗相が目立つ。ある新兵は込み上げる吐き気を抑え込むために浅い呼吸を繰り返す。またある新兵は凍えたように槍を震わせ、顔を引き攣らせていた。緊張は伝播してしまう。程度の差はあれど普請を全うした新人達は参っていた。あれでは普請の従事で疲弊している者の方が健全であった。
「……作業を早く終わらせ過ぎたかねぇ」
「無作法にも、来客は時間を知らせてくれなかったからね」
デボラは普段の良く通る声を潜め、ヨーギムも囁き答える。夫婦の秘め事にウォルムも同意であった。手練れの下士官が居れば、揶揄い交じりに兵の具合を確かめて歩くのだろうが、今のマイヤード公国軍、それも練兵中隊とあっては望み得ない。とは言え誰しも、ウォルムにも初々しい戦闘処女の時代はあった。かつての記憶が過ぎる。初めて人を殺めた森の中では、無様にも鮮血と吐瀉物に塗れた。未経験だからと済ませる訳にもいかない。少しばかり世話を焼く必要があった。
「少しばかり、離れるぞ」
「ああ、頼んだよ」
教導長の許可を得たウォルムは、土塁の徘徊を始めた。デボラやヨーギムが無駄話を繰り返すのは暇だからではない。必要以上の緊張は士気の低下と疲労を招くと経験則で知っているからだ。だからこそ古参の兵達は目だけはぎらつかせながらも、大して面白くも無い話を声を出し笑う。
何処から解すか、ふらつくウォルムは一人の新兵に狙いを定めた。まるで何かに祈るように目蓋を固く閉ざしたまま。ウォルムの接近にも気付いていない。
「こんな木漏れ日の中だと、眠くなるな」
「へ、あ?」
遠い世界に意識を飛ばしていた兵の反応は鈍かった。
「ガストンっ、守護長殿だ」
見兼ねた隣の兵が帝国騎士の来訪を告げた。まるで寝過ごした企業戦士のようにガストンと呼ばれる兵は目を瞠る。慌てて振り返るが見当違いの方向であった。あまりの狼狽ぶりにウォルムは肩を叩き対面へと導く。
「おいおい、寝ぼけているのか」
「いえ、あの」
しどろもどろになりながらも、軍隊生活で擦り込まれた礼儀を思い出した新兵は敬礼しようとするが、ウォルムはやんわり拒否した。
「敬礼はいい、楽にしてろ。ガストン」
「すみません、あの、寝ぼけては、おりません」
帝国騎士から叱責を受けると勘違いしたのか、ガストンは胸を張り直立不動で言った。周囲の兵は仲間の失態に同情しつつも、成り行きを見守る。
「そうか。俺はな、眠気が酷くて歩き回ってるんだ。居眠りをしたらあの恐ろしい教導長に叩かれるからな。練兵場での組手は見たか」
「はい、素晴らしい腕前で――」
むず痒くなる世辞をウォルムは遮った。
「はは、やめてくれ、身体中を腫らしたのは俺の方だぞ。お陰で治療魔術師にこっぴどく叱られた。二度と御免だ」
帝国騎士が心底嫌そうに眉を歪めるとガストンの頬が緩んだ。訓練の中で苛烈な肉体言語を操るデボラに叱りつけられたのだろう。拳という共通の苦い思い出が騎士と新兵に繋がりを生んだ。最初は途切れがちの小話も、相互理解が進むうちに捗っていく。戦地という窮屈な状況はきっかけさえ与えれば人を饒舌にさせる。
「そっちの奴は――」
煙たい異国の騎士がペラペラと雑談に興じる様子は異色であった。好奇心は猫をも殺す。蒼炎に頼らず他の新兵を誘い込んだウォルムは、視線が合った者を逃さなかった。
「あいつはエヴラークです」
話し込んでいたガストンが率先して仲間の名前を口にした。ウォルムは当初こそは頼りないと思ったが、案外要領がいいのかもしれない。
「なんだ同郷か?」
「はい、同じ地域のやつが殆どです」
同郷で部隊を固めるのは連帯の観点だけで見れば上策であった。問題があるとすれば、部隊が壊滅すればその地域の働き手が一気に絶える。内心の暗い思考を隠したまま、ウォルムは問い正した。
「エヴラークか。なんだ、元気がないな。食料はちゃんと支給されたのか」
「道中の支城で平パンと豆を支給されました」
「あの硬くて顎が取れそうなやつか。その様子だと食いそびれたな」
日持ちするように焼き固められた全粒パンをそのまま食すのは困難を極める。何せナイフすら刃が立たない。手際の良い者は予め必要分をふやかしておくが、眼前の新兵は怠ったようであった。行軍の片手間で食えるような代物ではない。
「恥ずかしながら、そのままだと噛みきれなくて懐に」
「だろうな、お湯でふやかさなきゃ食えたもんじゃない。俺も少し残したままだ」
腰袋から握り拳ほどの硬焼きのパンを取り出す。口の中の水分全てを差し出さなければ、まともに食べることもできない異物であった。
「多少はふやかしてある。あとは唾液を口に溜めて、根気強く噛むんだな。食える時に食っておけ」
ウォルムはそう言い放つとパンを腕力に任せて引き千切り、片割れをエヴラールに手渡して残りを口に放り込んだ。相も変わらずの硬さ。奥歯で咀嚼すればするほど、口中の水分が奪われる。一抹の後悔を浮かべたが兵の手前、態度を翻す訳にもいかない。
「ありがとうございます!!」
礼を口にしたエヴラークは、帝国騎士に倣い一挙にパンを口にした。ウォルムですら咀嚼に苦労したのだ。全体の半分以上を口腔に溜め込んだ結果は直ぐに訪れる。もっちゃもっちゃと繰り返される咀嚼、粘土のような粘り気と硬さに新兵は苦悩に満ちる。
「お気に召したようだな」
「おい、エヴリークの奴、ひでぇ面だぞ」
「守護長は顎まで特別製だ。真似するからだ」
「ふ、ぅせぇっ、ぞ」
顎と固焼きパンとの泥沼の戦いは、彼にとって忘れ難い経験となる。同じ過ちは犯さないだろう。同僚の醜態に新兵共はわいわいと揶揄う。そこには過度の緊張は残っていなかった。ウォルムもそうやって軍隊生活を学んだ。騒がしく面倒な連中、二度と戻らぬかつての日常。タールのような苦々しさに脳が痺れる。
顔に薄い笑みを張り付けたまま帝国騎士はその場を離れた。兵達へ時に笑い掛け、時におどけ、戯れ程度に冗談を交わす。酷い詐欺であった。不満や不安に耳を傾けることはあっても、騎士という立場では決して悟らせてはいけない。あの豪快だった分隊長も、内心ではそういったものを抱えていたのだろうか。昇進を拒んでいた理由が嫌でもちらつく。そうして喉の渇きを覚える程度には気休めの言葉を交わしたウォルムは、土塁を一回りしてデボラの元へと戻った。
「苦労を掛けたね」
「いい暇つぶしになったさ」
虚勢で軽口を叩いたウォルムであったが、夫婦の真剣な目つきに姿勢を正した。
「ウォルムくん、頼みがあるんだ……このまま兵の面倒をみてくれないかい」
ヨーギムの頼み事に目眩を覚えたウォルムは首を振った。
「冗談はやめてくれ。俺は、阻止火力で使うんだろ」
「兵の指揮までとは言わないさ。ただ、気に掛けて回ってくれるだけで構わない。本当はモーイズにさせたかったんだが、参っちまってる」
「ダンデューグでの戦闘を経験したあんたの息子が、か」
「親だからこそさ。あたしも子供には甘かったのかね。同じ戦場でも人と魔物じゃ勝手が違う、分かるだろう」
言わんとすることをウォルムは理解した。魔物は鼻歌混じりに殺せても人を殺すことに強い抵抗感を示す者は多い。それが自身の死に繋がるとしてもだ。荒事に慣れた冒険者ですらそうなのだ。人殺しを専門とする戦争屋とは違う。
「……美人の、お願いは断れないな」
「はは、言うじゃないかい。頼んだよ。あいつらに戦場を教えてくれ」
表面上快諾したウォルムは切り通しを離れ、平場の片隅に陣取った。懐に仕舞い込んでいた兵隊煙草を取り出し蒼炎を灯す。山風で流された紫煙が雑踏に紛れて溶けていく。
「小煩い面め、少しくらいサボらせろ」
かたかたと怠惰を責める鬼の面へと白煙混じりのため息を吐く。伏せていた視線を上げれば、土塁での普請を指揮するモーイズが映る。視線を滑らせれば、言葉を交わした新兵も視界に収まった。
「ふはっ、楽しそうに……まあ、俺がそう仕向けたのか」
純粋無垢、彼らはまだ戦争の色を何も知らない。臓腑を掻き乱す感触も、敵兵の断末魔も、死にゆく戦友も。本当は都合の良い言葉より、悲惨で悍ましい戦争を教えなければならなかったのだ。人殺しばかりが得意な先達として。
ある意味で、希望という幻想を見せない面だけで語ればハイセルク帝国は親切であった。肺いっぱいに紫煙を吸い込み眼前へと吹き出す。まるで霧が掛かったかのように彼らが霞む。白煙で区切られた世界でウォルムは本音を吐露した。
「名前、聞かなければよかった」
舌にへばり付く苦味、耐え難い後味に顔をしかめた帝国騎士は現実逃避を取り止め戦列へと戻って行く。




