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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

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第三十五話 無名の老木

 セルタとレフンを結ぶ中継地ヤルクク領。旧フェリウス王国に属するこの地はレフン地域の添え物として扱われている。役割と言うならば鉱石の運搬路ぐらいであった。その中でもエスキシュ砦が堅守する古道は、利便性の悪さから最も価値が低い。当然、守将として配置される将官も将来を嘱望されておらず、その椅子の価値の半分が厄介者を追いやれる閑職という点にあるのは、半ば公然の秘密であった。


 そんな砦で長年守将の椅子を温め続けたのは、百人長の位にあるラトゥであった。男は実直ではあるが馬鹿が付くほど真面目であり、組織的な政治感覚に乏しい。配下に加えれば煙たく面倒な男。付き合いの浅い兵からは肩の抜きどころを知らぬ、暑苦しい上官であった。


 練兵と称しては兵達に完全装備で小道を走らせ、重労働である砦の改修を度々命じる。質の悪いことに、ラトゥはいつ何時も率先して陣頭指揮を取る。兵に言わせれば、その言動に感化された少数のシンパ共に四六時中監視され、ろくに手抜きもできない。戦場でその命を存分に散らして貰いたかったが、ハイセルク帝国も、大暴走すらもエスキシュ砦の存在を忘却していた。戦知らず、現実知らず、図体ばかりが馬鹿でかい老人。それが守将ラトゥへの評価であった。


 ラトゥは自室で古ぼけた地図を睨んでいた。希少な通信魔道具は有力な拠点に配置され、エスキシュ砦は早馬と狼煙による伝令に頼るしかない。レフンよりハイセルク帝国の騎士が出立した知らせを最後に、続報は何も齎されていない。


「何処だ、何処を通る」


 地図に記された備考や書き込みはラトゥの手により記された。砦の周辺は走り込みを兼ねた測量により、故郷よりも知り尽くしている。


「もう通り抜けたのか、それとも他の隊が……また、儂は時代に取り残されるのか」


 ラトゥは徴兵された民兵ではない。自らの意思で志願した常備兵であった。志した根源は村の長老から聞かされた英雄譚。同年代の者達には頗る不評であったが、幼き頃の百人長は一字一句暗記する程にせがんだものだ。


「また皺が増えたか」


 手元へと視線を落とせば、隠せぬ老いの証拠が映る。皺だけではない。腕や足の筋肉も衰えようとしていた。中老を迎えて数年、鎧を着こみ獣道を周回して体力を培っているがそれも焼石に水。迫る老いを前に身体は劣勢のまま。


 職業軍人として、民の資産と生命を守るのが役目。砦が戦乱に無縁なのは職務を全うしている証拠だ。そう自分に言い聞かせても、心の奥に燻る火は歳を重ねるごとに増すばかり。時代に取り残された砦と老将。戦場を望んで兵に志願したと言うのに、このままでは寝台の上で老衰を迎える。何と言う皮肉か。付け加えるなら置かれた環境に嘆いてしまうほど心も弱まっている。


「老いめ、儂の憧憬は奪わせんぞ」


 自身を戒めるため顔を叩き指揮場へと赴いた。中に控えていた兵たちが敬礼を以って出迎えてくれる。返礼を以って応えたラトゥは着席を促す。


「ラトゥ守将、《鬼火》使いは此処を通るでしょうか」


 不安げに尋ねるのは長きを共にした古株の兵であった。指揮場に詰める将兵は、砦の中でもラトゥを慕ってくれる奇特な者どもだ。大小の差はあれど、まだ見ぬ戦場に備え牙を研ぐ者共。


「忘れ去られた砦だからこそ、来ると儂は確信している」


 指揮官の断言に兵の顔色が戻った。抱える不安など指揮官は口にしてはいけない。今度こそは、今度こそは――その決意は身に着ける防具にも表れていた。僅かな行水を除けば指揮場に詰める者共は寝る間も装備を身に着けたままであった。報われて欲しいと思う反面、砦に隣接する集落や赤子のような民兵を考えれば、平穏が望ましいのだろう。


 自覚はあるのだ。戦場を望むなど愚かで身勝手で罪深い。だが、あの英雄譚への憧憬は決して薄れない。命令に愚直に応じるしかないラトゥにできることは、来たる脅威を想定して備えるのみ。


「しかし、折角集まってくれた民兵を分散運用するとは。本領の千人長殿は何を考えておられるのですか」


「それだけ早期発見したいのだろう」


 指揮系統の上位者である千人長からは、獣道にまで民兵を配置せよという命令が下された。人手を増やせばそれだけ接触の機会が増すのは間違いではない。だが、兵としては赤子のような者達、泣き声を上げる間もなく討たれるのではないか、とラトゥも危惧していた。本音を言えば砦での集中運用が望ましい。だが、軍人として命令は絶対であった。


「相手はあの《鬼火》使いですからね」


「サラエボを焼いた帝国騎士。蒼炎を操るとは言いますが、どんな男か」


「鬼のような大男では?」


「ラトゥ様よりもか」


 まるで山々を眺めるように兵はラトゥを見上げる。照れくささを隠すように老将は首を振って答えた。


「儂は、樹洞の空いた老木と変わらん」


「ラトゥ様が老木なら、俺達は新芽ですよ」


 指揮場に控えめの笑い声が響く。戦場への憧憬は強かったが、この空気というのも悪くはないのだろう。愚かな身ではあるが、もしかしたら、死ぬまでには平穏を許容できるかもしれぬ。そんな穏やかな気持ちとは裏腹に、ラトゥは微かな異音に立ち上がった。遅れて兵共も追従する。


「戦闘音!?」


「まさか、これは」


「金属が擦れる音だぞ」


 椅子を蹴り飛ばし、競うように指揮場を後にした将兵が目にしたのは、爆散する監視塔と弓手であった。蒼炎を纏う残骸が地上へと降り注ぐ。まるで時の流れが遅延したかのように感じる。


「ぬぅ、奇襲を許すとは、なんたることだっ」


 城内に設置された鐘が敵襲を知らせる早鐘を打つ。尤も、既に城内を炙る熱が雄弁に襲撃を知らしめていた。


「守将、鬼火使いです、鬼火つかいがぁ!!」


 狂乱とはまさにこのこと。しどろもどろで最近補充されたばかりの十人長が駆け込んでくる。奇襲により満足に防具も着けられない醜態を晒す。まるで大木にしがみ付こうとする子供のようであった。ラトゥは動揺で震える十人長の肩を掴み、接吻するような間合いで言い放つ。


「大きく息を吐き吸え、お前は民兵を集め集落への延焼を防ぐのだ!!」


「ら、ラトゥ様は!?」


「儂らは鬼退治じゃァ!!! さァいけッ」


 十人長の背中を押し出したラトゥは蒼炎渦巻く熱風の中心地へと直走る。その様は、収穫祭を待ち望む少年のようであった。兵舎は火に包まれ、右も左も分からぬように兵共があたふたと彷徨う。熱気など関係無しとばかりに空気を吸い込んだラトゥは喝を入れる。


「魔力膜を張れる者は、儂に続けぇえ!! 何の為の常備だ。自ら戦場を志願したのであろう。役目を果たすのじゃぁああ!!」


「ラトゥ様、あちらです。あれが《鬼火》使いかと!!」


「おぉっ、なんと禍々しくも美しいことか」


 ラトゥよりも頭一つ半小さい。平均的な体躯であり噂されたような巨躯ではない。だが、その実戦に基づく立ち振る舞いは見る者すべてに死を連想させる。何より渦巻く蒼炎。たった一人でエスキシュ砦に戦場を携えてきた。


「あれは、ギュスターヴか」


「あやつめ、抜け駆けしおって!!」


 手塩に掛けた古参兵が魔力膜を漲らせ、帝国騎士に挑み掛かった。鋭利な穂先が置き場を争うように交わう。三度目の交差、突如として捻られた斧槍の斧頭が槍先を弾く。


「僅かな間に、癖を見抜くか!!」


 癖を見抜かれ窮地に陥ったギュスターヴは咄嗟に上体を逸らす。槍先は見事に避け切った。だが斧槍の側面から伸びた枝刃が首筋を裂いた。


「う゛、ぉっ、お、ぉっ!!」


 噴水のように血液という命が流れ出る中、濁音混じりの咆哮を上げてギュスターヴは掴み掛かった。既に密着するような間合い。抱き付いたというラトゥの予測は裏切られた。《鬼火》使いは姿勢を傾けると、腰を捩じり肘を畳み斧槍を掬い上げた。魔力を帯びた斧頭が部下の腰から肩までを断絶した。


「斬っただと!?」


「ギュスターヴっ、先走ったな」


「あの間合いで《強撃》を放つとは信じられぬ」


 本来、槍の間合いではない。それを巧みな身体使いで成したのだ。戦場と言う修練場で、無数の屍を積み上げ身に付けた技。ギュスターヴは命を掛け金にそれを引き出させたのだ。誰もが言うだろう。あれこそ騎士であると。


「……ギュスターヴ、冥府で見ておれ!!」


 勇敢なギュスターヴは誘い火により迷わず冥府へと辿り着くだろう。だからこそ無事に冥府に渡った部下達へ、不様な姿は見せられない。


「サイアン、ロドリーグ、儂の歩調に合わせろ」


 部下への掛け声に反応した帝国騎士はラトゥを認識した。差し向けられる眼光、鬼面の奥に満ちた殺意が、ラトゥ達が戦場に身を投じたことを告げる。《鬼火》使いの魔力が高まり、まるで握手を求めるように腕が伸ばされた。友愛の印ではない。それは魔導兵特有の構え。


「来るぞォ、儂の陰に入れェ」


 二人はすぐさまラトゥの背後に回った。間もなく放たれた火球は凶悪そのもの。一流の魔導兵による攻撃魔法であった。魔力膜を持たぬ雑兵の十人隊程度などひとたまりもない。《鬼火》使いはラトゥを敵として認め祝砲を授けてくれたのだ。応えねばならぬ。手にした金砕棒を強く握りしめる。幾数百万と虚空に振った。虚空に振るしかなかった。それが今、初陣を迎える。


 最上段で構えた金砕棒に魔力が灯る。先端から柄まで全てが鋼鉄製の打棒はラトゥの膂力と魔力を余すことなく伝える。爆ぜた火球を《強撃》がねじ伏せる。火炎はラトゥを避けるように両脇へと逸れた。晴れた視界の先には、変わらず佇む帝国騎士。


「これが、戦場か」


 老木は噛み締めるように呟いた。勢いを増した熱風が魔力膜越しに粘膜の水分を奪い去る。凄惨で、守るべきものを蹂躙する蒼炎。だと言うのに、身に流れる背徳にラトゥの脊髄は痺れる。魔力膜を蝕む蒼炎も、肌を刺す殺気も、認め難くはあるが楽しんでいた。退屈は痛みより辛い毒物。それ故にラトゥは蒼炎を歓喜を以って受け入れる。


 ラトゥは斬り合う資格を得たのだ。大地の奥深くにまで食い込んだ棍棒の尖端を持ち上げ、鋲へこびり付いた土を振り落とす。五十数年越しの晴れ舞台なのだ。土で汚されるなど我慢ができない。ラトゥは金砕棒を突きつけ宣言する。


「聞けぇ、帝国の騎士よ。我が名はラトゥ。この砦を預る守将なり、いざ尋常に刃を交えん!!」


 熱気が老体を滾らせる。北部諸国広しと言えど、胸を借りるにこれ以上の相手はいない。老いた巨躯に反して心は童に帰る。自認する一人称すら憧れを前に変わった。英雄譚の一節を口にしたラトゥは、少年のようにときめいていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 斧槍は魔法袋にしまってますよ。 >観念した騎兵達はいそいそと馬に手荷物をくくり始めた。ウォルムも嵩張る斧槍を魔法袋へと押し込む。まるで手首から先が消えるような特異な感覚には、何時までも慣れ…
[一言] 自覚はあるようだけど、こいつかなりの狂人だな 戦場の殺し合いで狂う人間が大半のなか戦場に行かないことで狂うとか
[気になる点] 斧槍は馬に置いてきたのでは無かったかと愚考する
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