第二十六話
滞留した重油のように澱んだ空気が密室に充満していた。不十分な換気が黴臭さを一層際立たせる。ただでさえ狭い上に、密談相手が日頃から人使いの荒い騎士団長様ともなれば、マコトは不快感を隠す気にもならない。
「で、わざわざ前線から僕だけ呼び寄せて、また悪巧みでもすんの」
こうして呼ばれるのは初めてではない。碌でもない企みに一枚噛め、大抵はそんな呼び付けであった。
「端的に言う。アヤネを殺す」
「……はぁ、こんなところに長居はしたくもないけど、もう少し前置きがあってもさ」
吸いたくもない空気を吐き出しマコトは抱える感情を吐露する。リハーゼン騎士団という武装集団の長は、気遣いを何処かに忘れたのか、大方生まれ持って備わっていなかったのかもしれない。
「ユウトならまだしも、お前にはこれで十分であろう」
「あんたと、同類にしないで欲しいな」
求められたのは共感。冗談ではない。目の前の男は教室で小話の共感を求める女学生ではないのだ。戦さ場という鍛冶場で丹念に叩かれ鍛造された歪な代物。こんな筋骨逞しい少女など居てたまるか、と内心でマコトは吐き捨てた。
「二人しか居ない同郷。それも幼馴染を殺すと言って微塵も動揺しないお前は、もうこちら側の人間だ」
一理はあると口をつぐんだ。価値観の変質、自覚が無い訳ではない。異界に誘われた直後ならまだしも、戦場を渡り歩くうちにマコトはこの世界に順応し切っていた。
「これを見ろ」
机に投げ出された紙の束に視線を落とす。上質な紙材の手紙に、王室の封蝋が押されていた。封は切ってある。
「この通り使者も手紙も出した。アヤネはあくまでセルタに留まり、傷付いた者を癒すとな。これがクレイストであれば美談で済ませた。だが、ハイセルクと組んだマイヤードなど冗談ではない」
断罪する口調とは裏腹に、眼前の騎士団長は表情一つも変わらない。
「それ、僕に何の関係があるの」
クレイスト王国としては確かに由々しき事態。だが、マコトに何の利があるというのだ。少なくとも与えられる衣食住や報酬以上の働きをしている。興味がない様子のマコトに騎士団長は毒を囁く。
「また親友とやらに譲る気か」
分かり易い挑発であった。マコトは練り上げた魔力を瞬間的に発揮する。痛みで転げまわるグランを期待したが、咄嗟に靴先で机が蹴り上げられた。分厚い天板が熱と冷気を遮断する。なるほど、実用性に長けた机だ。身代わりにされた哀れな机は炎と氷に侵食されていく。
「言葉には気をつけて欲しいな。僕だってこの二年、惰眠を貪っていた訳じゃない」
勤勉な騎士団長様は騎士団という武装集団のみならず、新設された兵団の戦力化にも関わっている。自己鍛錬は以前ほど十分ではなかろう。一方のマコトは二年間各地を転戦した。個人戦闘に限っても、技量がそれほど離れている訳ではない。
「そのようだな。座れ」
少女の可愛らしい悪戯にグランは笑みを浮かべる事も無く、顎で跳ね飛ばされた椅子を指す。両者を隔てていた机の残骸をそのままに、椅子を立てマコトは座り直した。
「今のアヤネはマイヤードの支柱となった。クレイストに帰還できる機会があったにも関わらず、だ。ふらふらと揺れる柱は、取り除かなければならない。マコト、お前にとってもアヤネは邪魔だろう。また二番目に戻るか?」
「冗談じゃない」
犬歯を剥き出し、マコトは吠えた。
「三英傑の中で、心身ともに英傑足り得るのはマコトだけだ。ユウトは打たれ弱く。アヤネは現実を知らない。そう睨むな。事実だろう。二人しか居ない同郷のアヤネが死んだとなれば、依存先は一つだけだ。それとも気まぐれで帰国するかもしれない女に、意中の男を渡すか」
むかつく言い分であったが的外れではない。何時だってマコトはユウトの二番目であった。苦虫を噛み潰すかのようなえぐみを堪能するマコトであったが、不意に既視感を覚えた。喉に骨が刺さったかのような居心地の悪さ。足を揺すり、記憶を探っていたマコトの疑問は氷解する。ああ、そうか、目の前の男の言い様は、教室に居たおせっかい女子と根っこは同じではないかと。
「堅物みたいな顔してるけど、案外俗物だよね……恋と戦争は手段を選ばないって言うけど、本当かぁ」
密談で初めてマコトは笑みを浮かべた。眼前の堅物も何処か表情が緩んだ気もする。結局マコトは甘言に乗った。それが最も己に利益を齎すと考えたからだ。
「で、よりにもよってそいつがユウトの代わり? アヤネも趣味が悪いなぁ」
鉱山街を見下ろす山頂の一角から、マコトは戦闘の推移を観察していた。奇襲が気取られたまでは理解できるが、その後が良くない。悪名高い《鬼火》使いにフェリウス兵は太刀打ちできていなかった。正面戦闘を避けた者も教会堂に籠る護衛に阻まれ、突入を果たせずに居る。気概こそは十分であったが地力の差は明白。そもそも斬り合いに発展した時点で勝負は決まっていた。
「サラエボ要塞の前哨陣地を焼くような奴だからね。あーあ、ばっさりと……ん?」
また一人、斧槍で兜ごと縦に両断された。無駄な殺し方にも見えるが一種のパフォーマンスであろう。誰が魚や野菜のように刻まれたがる。案の定、足並みにバラつきが生じた。遠方で観察に努めていたマコトだが、騒音に顔を歪める。随伴するクレイスト兵ではない。グラン曰く、現地調達した兵力であった。
「おじさん、騒いだらバレちゃうよ」
「ふざけるな!!! 我らを見捨てる気か」
「見捨てるって、交わした約束は治療魔術師の排除でしょ。下準備と情報を貰って奇襲を仕掛けてた癖に、建物に突入できない人達に言われたくない」
「吐いたな小娘がぁあああ!!」
茹蛸のように顔を真っ赤に染め上げた男は、尚も騒ぎ立てる。
「あー、コン、コン、ディ?……ああ、コンディラータさん、落ち着いた方が――」
内心で冷めながらも口角泡を飛ばすコンディラータを宥めたマコトであったが、過ぎた事となった。腹から剣が生えれば、大抵の人間は死ぬ。この男も多数派の人間であった。
「だから言ったのに。やっぱ殺しちゃったよ、この人達」
下手人に呆れ混じりの非難の目を向けるが反省の色はない。
「領地を失い、子飼いの私兵まで失いつつある領主になんの価値がありましょう。クレイストは武器と資金、そして機会を与えました。その上であのような醜態。これ以上我らに何を望むのですか」
マコトもクレイスト王国も約束は――まぁ、違えていない。彼らが失陥した土地を奪い返すために、最大限の援助をした。命を掛け臨んだ結果が契約の不履行であった。
「うへぇ、その言い回し、グラン団長みたい」
御多忙な団長に代わり、騎士団の構成員がマコトの随伴であった。彼の者の薫陶をたっぷりと受けた団員の口調はまるでミニグランのようである。あんなのが増殖したとあっては一大事であったが、こちらの方がまだ多少付き合い易い。
「偉大なる騎士団長と比べられるなら本望」
「うん、そうだねぇ」
空返事をしたマコトは、再び戦況に注視する。視界の端では、レフン地域の元領主が坑道へと投げ込まれていた。
「やっぱダメだね。で、そろそろ全滅するけど」
《冥府の誘い火》無しで、数十人を片付けようとしていた。残るは両手で数える程度、これ以上は見る価値はない。作戦を取り仕切る騎士にマコトは判断を仰いだ。
「頃合いです。準備を」
「はいはい、やりますよっと。結局また、泥遊びになったかー」
両腕を地面に沈めたマコトは魔力を流し込み、土と水を操り始める。撒き餌を兼ねた予行練習は、先日の大雨で十分であった。
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