第二十四話
崩れ落ちる死体の陰でウォルムは逡巡する。何処までの規模の襲撃だ。マイヤード公国は乏しい人材をやりくりし、レフンを睨む山城に新たな城主を配置した。吸収した旧フェリウス兵の割合も少なくないが、中核はマイヤード系の兵士で固められている。それが根こそぎ離反したとは考え難い。
「っァぁああっ!!」
思考を妨げるように襲撃者は一斉に吶喊し迫り来る。残火が燻る斧槍を突き出しながら姿勢を左に傾け、側面へと回り込む。接近を拒む小さく突いた一撃は、耳障りな金属音と共に受け止められた。
密着するような間合い。槍の本領を発揮せぬ距離で初撃を防がれたとしても驚きはない。続け様に手首を返せば、穂先の途上から分岐した鉤爪状の枝刃がロングソードに絡み付いた。重心を柄に伝え綱引きのように斧槍を引く。上体を崩されながらも剣を手放すまいと兵士が懸命に踏ん張る。結果的に手元に武器は残ったが、ウォルムに誘導される形で仲間の進路に割り込んだ。
「早く退けッ!!」
敵を治療所に踏み込ませないことが役目ではあるが、ウォルムは入り口に固執することはなかった。死兵が密着すれば技量さえ覆すのは戦場で嫌と言う程経験済み。身体の位置が入れ替わり、帝国騎士と扉に挟まれた旧フェリウス兵達に迷いが生じる。騎士という障害を討ち取るか、室内への突入か。
「中は――」
「集中しろ!! 先に、こいつだァ」
対してウォルムの思考は至ってシンプルであった。突入される前に敵を排除する。これだけだ。斧槍を操るのに十分な間合いを得たウォルムは斧槍を振り被る。蒼の灯火が冥府へと誘う半円状の軌跡を描く。
「来るぞォっ!!」
迫る《強撃》に旧フェリウス兵は剣ごと肘を畳み、刀身を地面に寝かせ身構える。魔力を伴った斧頭はそんな防御をお構い無しに押し弾き、脇腹から胸元までを裂く。肋骨ごと心臓を断ち切る手応え。一直線の溝が刻まれた胸当てから血が噴き出す。
「ごっ、ばァぁ゛」
詰まりかけた排水孔の如く濁音が響く。同胞の死を目の当たりにし、後続に居た男の反応は早い。噴き出す血と影に紛れての刺突は見事の一言。工夫に溢れ一種の感心さえ覚えた。だが、狙いは良くなかった。鮮血で染められた朱色の刀身の軌道は真っ直ぐウォルムの眼孔を狙う。
細められた瞳孔は、太刀筋を正しく捉える。ロングソードの鋭利な剣先が瞼を掠めるように素通りしていく。濁っていたとは言え、生まれ持った眼は今でも惜しい。それでも腐り落ちる事も無ければ、痛みもない魔眼は嫌いではない。何せ、世界を良く見通す。
斧槍を振りっぱなしのまま握りだけ穂先近くへと滑らせる。返り血が潤滑油として働き、穂先と対極を成す石突きが腰骨に支えられながら頭を上げた。派手な助走も《強撃》も必要ない。何せ、制動し切れぬ敵兵の身体が足りぬ力を都合してくれた。露出していた柔らかい喉元に石突きが減り込み、弾けるように肌を裂く。大地に固定された枝刃と槍先が錨の役目を果たし、自重を余すことなく石突きに伝える。力無く両腕が垂れ下がり、息絶えた主人の指からロングソードが零れ落ちた。
「うっ、ぁあああ!!」
残された兵士は、漸く戦友に倣い戦闘を選んだが遅すぎた。手甲を斧頭で叩かれ指ごと剣が飛ぶ。激痛が全身を駆け抜ける頃には、穂先が半長靴ごと足首を貫いていた。抵抗を奪い切ったウォルムは腕を伸ばして襲撃者の喉を掴む。
「あっ、はァ、ぁはあ゛あ!!!」
四肢の痛みに悶える兵士だが、直ぐに死ぬような怪我ではない。一層首への締め上げを強めたウォルムは、問い質す。
「喘ぐな。また呼吸がしたいなら質問に――」
情報を引き抜くつもりのウォルムであったが、微かな飛翔音を捉え腕を引く。残る片手は腰に添わせ、宛ら舞踏会で女性をリードするような動作であったが、その実は矢避けであった。
「ぅ、っあ、あ」
直撃は一本。残りは外壁と扉に突き刺さる。《強弓》持ちの弓手であっても、鉄と肉でできた人間と言う複合装甲を食い破って貫通させるのは至難の業だ。
「弓手は――三人か」
耳元では、感電したように喘ぐ吐息が耳を擽る。脊髄に鏃も見えぬほど深く矢が刺さっていた。居直った弓手は剣士に構わず二の矢を射る。腰を沈め姿勢を低く保ったウォルムは、魔力を練り込む。修正を済ませたであろう射撃。今度は寸分たがわず三度の衝撃が死体越しに伝わる。
死体越しに射手の位置を掴んでいた。土埃と煤汚れた民家の屋根の上で、弓兵共が矢筒に手を伸ばす。射角と視認性を優先した配置であろうが、些か大胆過ぎた。高所の利に加えて、両隣りに並ぶ仲間との伝達の速さは確かに捨て難い。だが、それは射撃陣地が弓狭間のように堅牢か、標的が反撃の手段を持たない場合に尽きる。サラエボやレフンで対峙したフェリウス兵達はもっと狡猾であった。少なくとも魔導兵による攻撃魔法で一掃されるような密集などしていない。
「飛び降っ――」
帝国騎士という的に渦巻く魔力。遅まきながら勘付いた弓兵であったが、放たれた火球は寸分狂わず家屋に飛び込む。狼狽した声は絶叫へと変わり、屋根ごと弓手を吹き飛ばし炎上する。
「逃げろぉ、巻き込まれるぞ!!!」
「なんで、街中で戦闘なんか起きるんだよ」
引火した木材と肉片が天より降り注ぐ。香ばしくも忌々しい臭いが鼻腔を刺激する。一網打尽にしたと喜ぶ暇もない。突如として勃発した戦闘に、詰めかけていた民衆が逃げ惑う。そんな人波を掻き分けるように襲撃者が押し寄せている。よく見れば、血溜まりの中にウォルムが手を下していない旧フェリウス兵まで倒れ込んでいた。
「同士討ち……内通していない奴もいたのか」
襲撃に加担していないマイヤード側の兵士だったのだろう。友兵の喪失は嘆かわしいものであったが、少なくともレフン地域全体で反乱が生じた様子ではない証拠に一先ず安堵する。問題は区別が付かないことだ。
「死にたくない者は教会堂に近づくな。鉱夫や味方であろうと斬り殺す」
一種の予防線をウォルムは言い放つ。尤も、敵意のない者は分かり易い。一刻も早くこの場を離れようとしている。対して襲撃者達は、邪魔な民衆を押し抜け、殺到してくる。鉱山街の中で民衆ごと《鬼火》で焼き払う訳にもいかない。何の因果か知らないが、つくづく《スキル》が護衛に不向きであった。
「おい、この鬨の声が聞こえるか、団体様の御着きだ」
固く閉ざされた鋲張りの扉にウォルムは呼び掛けた。
「数は、どれくらいだ!?」
「見えるだけでも二十人以上、正面だけは抑える。残りは死守しろ」
「クソが、騎兵は裏口と鎧戸を固めろ。俺はアヤネ様に張り付く」
扉越しではあるが、ジュスタンから罵声混じりの快諾を得た。斧槍にへばり付く血糊を蒼炎で焼き払い、血に酔う鬼の面を宥めるように装着していく。そうして正装と準備を整えたウォルムは、厚かましい来客達を歓迎会へと誘う。