第二十二話
レフン鉱山で生じた主坑道の崩壊による被害は、決して許容できるものではなかった。何せ、同鉱山より齎される豊富な鉄資源は、戦乱で荒れたマイヤード公国の重要な財源と化している。野蛮極まりない全盛期のハイセルク帝国ですらレフン鉱山、取り分け鉱山街に住まう鉱夫達には一定の配慮を見せた。単純な肉体労働の従事者の数も多いが、その本質は先進的な技術者集団。鉱山を押さえたところで、彼らを殺し尽くしたとなっては誰が採鉱を行う。専門的なノウハウ、測量、掘進、鍛冶と列挙すれば切りがなく、職人集団の代替先など容易に見つかる筈もない。
即日中に治療魔術師の現地への派遣の要請が成されアヤネは要請に応じた。普段より身辺の警護を務める護衛者に加え、騎馬六騎が馬車を固める。そして治療を終え所属と役割が宙ぶらりんとなったウォルムもまた、隊列に続くこととなる。警護を後押ししたユストゥス曰く、これ以上の適任は居ないだろうとのこと。ダンデューグから変わらず人使いが荒い旅団長であった。
「守護長、あの峠を越えればレフン鉱山です」
「漸くだな」
並走するハイセルク出身の護衛者が告げた。元同胞に気を利かせた一面もあるだろうが、言葉の本意は心配であろう。何せ、軽装歩兵として徴兵されて以来騎乗の経験がない。あるとすれば馬車の荷台で置物となった経験ぐらいなもの。馬を割り当てられたウォルムが神妙な顔つきで『乗ったことがない』と告げた際には、場が痛々しい沈黙に包まれた。挙句、フェリウス出身で護衛を取り仕切るジュスタンからは『騎士なのに、馬に乗れないのか……?』と呆れられる始末。
帝国の騎士が大衆の面前で乗馬の講習会を受けるという辱めを受け、ウォルムの羞恥心は酷く擽ぐられた。見よう見まねで馬に跨り、遥々レフンまで辿り着いたはいいが、その代償は尻の鈍痛であった。歩兵時代はあれだけ馬持ちの騎兵隊を羨んだが、今となっては遠い地面が恋しい。
「見えた。レフンだ……酷いな」
先導役を務めていたジュスタンから声が漏れ出る。山道の頂点を越え、広がる景色にウォルムも顔を歪める。かつてリグリア大隊はレフンを遊び場とした。サラエボ要塞への撤退時には様々な嫌がらせを試み、周辺の地理にも相応に詳しい。そんな過去の記憶から地形は大きく乖離していた。坑道が張り巡らされていた禿山は、幼児に踏みつけられた砂場の山のように陥没している。
「このまま現地の治療所へ」
ジュスタンの提案を拒む者などいなかった。泥濘む程に雨水を含んだ大地には幾つもの轍が刻まれる。山間を通る河川は増水の影響で流速が増し、うなりを上げて流れていく。一部の岸はまるで鋭い顎門で咀嚼されたように抉られていた。鉱山街へ至る橋が崩落していないのは、普請に従事した鉱山技術者の腕の賜物であろう。踏み固められた通りの一部には押し寄せたであろう土砂が残り、住民達が撤去に乗り出す。
むせ返るような生臭い土の臭いが街に染み付く。中心から大きく外れ、鉱山に近い一角に教会を兼ねた治療所は佇む。常日頃から鉱業で生じる負傷者を迅速に運び込むために、街の中でも坑道側に建設されていた。レフン地域の中でも多数の兵員を収容し、周辺に睨みを利かせる大規模な山城にも治療所は存在するが、崩落した坑道からは遠い。
車輪が泥を跳ね上げ、疲弊した馬が鼻息を荒く嘶き馬車が停車する。出迎えも待たずに荷台から影が飛び出す。言うまでもないアヤネとマイアであった。
「待ってと言っても聞かないでしょうから、せめて我々に先導を!!」
慌てたのはウォルムだけではない。護衛務めるジュスタンが鞍から飛び降りる。馬上に不慣れな帝国騎士は、尻の疼きと不安定さから出遅れた。一足先にアヤネを取り囲み進む護衛者たちに頼もしさ、そして一抹の寂しさを覚える。くだらない感傷に浸っていても仕方ない。転がり落ちるように下馬したウォルムは残るマイヤードの騎兵に馬を託し、室内へと続いた。
◆
「器具を退かします」
「うん、塞ぐ」
運び込まれた負傷者の多くは打撲や骨折を負う。その中でも取り分け重傷者は土砂の重みにより内臓の損傷や内出血を受けていた。マイアは傷を切開し、水属性魔法を応用しながら汚染箇所を洗浄し、異物を取り除いていく。その傍らではアヤネが処置された患部を癒す。随伴する治療魔術師は他にもいるが、二人の治療速度に追従はできないだろう。何より阿吽の呼吸に割って入る隙間などない。
ウォルムは室外の警戒に移った。普段から鉱業に従事している魔法持ちは多い。器具の洗浄や焼灼など出しゃばる必要はなかった。災害を齎した分厚い雨雲が用は済んだとばかりに遠方の空を流れていく。建物を取り囲んでいた人々の数が減っていた。重傷者の治療をアヤネ達が熟すようになり、外で寝かされていた軽症者にも治療のリソースが割けるようになっていた影響だろう。
「ジドレ親方、こっちだ」
「もう少し辛抱しろ。セルタから治療魔術師が来てくれたみてぇだぞ」
「ほんとに、ありがてぇ、ありがてぇよ」
とは言え、未だ生き埋めの者も多い。泥まみれの鉱夫の一団が、添え木で片腕と片足を固定された患者を運んでくる。怪我人の扱いに慣れているのか、衣服と棒で作り上げられた簡易担架に乗せられていた。乾いた白泥と湿り気の残る泥汚れが入り混じり、どれだけ休みなく人命救助に従事していたかが見て取れる。一般人ですら驚くほどに頑強な世界ではあるが、土砂災害から少なくない時間は経過していた。息を保つ人間はあと何人運ばれてくるか。
「騎士様はさぼりか?」
悲観していたウォルムに呼び掛けたのは、元フェリウス王国兵のジュスタンであった。部下を室内の警護に張り付け、外部の警戒に移ったらしい。
「これでも真面目が取り柄だ」
「みたいだな」
ウォルムと同様にジュスタンは目だけを忙しなく動かし、周囲を観察していた。顔も合わせずに会話する兵士二人。傍から見れば珍妙な光景かもしれない。
「貶している訳じゃないが、あんたは騎士と言うよりも手練れの歩兵に思えるな」
核心を突いた言葉であった。成り行きで騎士と呼ばれるようになったウォルムだが、その出生は戦も知らなかった農夫の一家。元来は土地を耕すのが役目だ。馬の乗り方も騎士としての振る舞いも知らない。ちぐはぐに映って然り。
「ハイセルクでは歩兵でも騎士に成れるんだよ」
「歩兵が、な。簡単に言ってくれる……まあ、あれだけ殺せば成れるだろうさ」
含みのある言い方にウォルムは眉をひそめた。この護衛者は戦地上がり特有の空気を持つ。フェリウス兵の天敵と言えばハイセルク帝国に他ならない。
「……戦場でまみえたか」
「直接刃を交わした訳じゃない。陣を張っていた曲輪の宿営地を焼かれただけだ」
サラエボで墓標と化した曲輪から這い出た時に、ウォルムは寝静まっていた四ヵ国同盟の陣地を焼いて回った。その中にはフェリウス王国軍も含まれる。あの時の生き残りが居ても不思議ではない。注意深く眼を細め、意図を掴みきれぬジュスタンを視界に収める。
「随分と恐ろしい面だ。最初はあの時と同じ人間か怪しんだが――ああ、本物だな」
目が交わう。身に纏う雰囲気か、身に宿る眼か、ジュスタンはサラエボ要塞を焼いた騎士とウォルムが同一人であると納得した様子であった。
「仇討ちでもするつもりか」
「今更か? 敵なら未だしも今は友軍だ。二年は遅いだろうよ」
「その割には、こうして俺に話しかけた」
人の復讐心は容易に薄れるものではない。地下に潜り一世紀も仇討ちの機会を待つ者だって居る。ウォルムはそうグンドールの動乱から教訓を得ていた。追及するように視線で問い質す。
「……愚痴のようなもんだ。蒼炎で尻を焼かれて、恨み言の一つも吐くのさえ許しちゃくれないか、ハイセルクの騎士は」
「それを言われたら、聞かざるを得ないだろう」
好むと好まざるとに関わらずウォルムは帝国の騎士であった。それが実権のない名誉職だとしてもだ。
「はぁ……お前が、清々しい糞野郎だったらな、寝首でも掻いてやりたいところだが、無理だな。アヤネ様にも迷惑が掛かる」
結局吐かれたのは溜息のみ。どれほどの恨み言を吐かれるかと身構えていたウォルムであったが、肩透かしを食らう。
「難儀な奴だな」
「あんたに言われたくねぇよ……なあ、昔にアヤネ様の護衛を務めたんだろう」
「おかげで守護長の階級が辛うじて残ってる」
「同じ警護のよしみだ。昔話に付き合えよ。俺はな、フェリウス王国軍の近衛隊だった。サラエボでは王都から戦地に派遣されて、劣勢の国を救う気だったんだ。ま、知っての通りあの様だ。這う這うの体で王都に戻り、国に起こったのは――いや、国が起こしたのはあの大暴走だ。フェリウス王も弟君を失われて乱心されていた。それでも近衛隊の一人として、王の、国の剣となり盾となるつもりだった」
普段の立ち振る舞いから、目の前の男が雑兵の類いでないのは薄々と掴んでいた。高度な教練と教養を積んだフェリウス王国の近衛隊の一員であれば、腑に落ちる。
「だが、王都の陥落を目前にしてしたことと言えば逃亡だ。部下とその家族だけを拾い上げて逃げたんだ。国が終わると分かり、決意が崩れた。安い決意だ、笑えねぇよな」
言葉に反して軽薄な笑みこそ浮かべていたが、目の奥は笑っていなかった。
「挙句、セルタの手前で部下ごと船を失った。文字通り半島に流れ着き、その後は抜け殻だ。何をするにも、やる気が起きない。傷がいよいよ腐りかけた時、アヤネ様と出会った。敵も味方も誰彼構わず治して、偽善だと思ったさ。だが、生き長らえるうちに、まあ、気付いた。救えなかった奴が、救う奴を羨んでるだけだってな。その後は護衛役となった。もう一度ぐらい、命を懸けようと思ったんだよ。あの人は、自身がマイヤードに留まることで一種の抑止力になるつもりだ。口で言う程、軽いもんじゃないが、俺はそれを守りたい」
「何と言うか、ロマンチストだな……羨ましいよ」
「羨ましい、ね。見返りを求めてる訳じゃないが、アヤネ様は帝国の騎士が帰還すると聞いて、あんたの昔話ばかりだったからな。少しばかりすっきりした」
苦笑交じりであったが、ウォルムは初めてフェリウス兵と笑い合った。
『濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記』
ニコニコ静画で漫画版の第四話が更新されました
下記のurlより是非読んで下さい!
https://sp.seiga.nicovideo.jp/watch/mg659985