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第十六話

 外から閉じられた扉が戸当たりを叩く。マイア、モーリッツ、そして警護が列を成して室外へと席を立ち、残されたのは一人の少女だけとなった。室内は静寂に包まれる。呼吸音すら感じ取れるほどに。


「生きていてくれて、本当によかった」


 まるで絞り出したかのような言葉。ウォルムは抉り取られた眼球を移植後、戦線へと赴く前に必ず帰るとアヤネに誓った。こうして再会こそ叶ったが、大凡二年の歳月を掛けるとは一種の詐欺であろう。


「……遅れてすまない。気が付いた時にはタイラントワームの口腔で、ダンデューグには一人も残されていなかったんだ。正直なところ、俺を残して全滅したと思っていた」


 ウォルムは歩んだ軌跡を掻い摘んで話していく。ダンデューグを抜け陥落した帝都を経て、群島諸国まで逃げ延び逃避に溺れたこと。失明の危機から酒精を脱し、漸く遅過ぎる帰国の途についたことを。少女は全てを聞き届けてくれた。語られた言葉に対し、アヤネはゆっくりと咀嚼するように間を置く。そうして口を開いた。


「逃避というのなら、私だって、変わりません。大暴走が明けた後は酷い光景でした。ダンデューグ城で起きたことが、それ以上の惨劇がマイヤード中で起きてたんです」


 大魔領に直結していたフェリウス、マイヤード両国の被害は甚大という表現すら生温い。夥しい数の骸が大地に晒された。ハイセルク本国へ到達した大暴走ですら、その規模を減退させたものだ。一時は違う道を進んだとは言え、アヤネが見たであろう光景を容易く想像ができてしまう。


「最初は現実を直視しない為でした。治療に没頭していれば、他のことを考えなくて済む。実際、手を休める暇などないほどに、怪我を負った方々が居ました」


 アヤネの視線を辿れば、空いた寝台の列に辿り着く。寝台を埋めていた人々は、治療を受けて治療院を後にしたのか。それとも――。


「私のことを、希代の治療魔術師や癒し手だと呼びますが、そんな高尚な人間じゃない。安全な場所で、過去を暈すために治療をしただけなんです。ウォルムさんや他の方のように血を流し、身を削り人々を守ったわけではありませんでした。人が傷付いた後でしか役に、立てないっ」


 辿々しい苦笑。痛々しく見ていられなかった。少女が呼吸を整え直すまで待ったウォルムは、ゆっくりと首を振り否定する。


「自分を卑下するな。完全に潔白な人間なんて居ない。それにあの時の治療場でアヤネは、剣の脅しにも屈せず、確固たる信念を持って残ろうとした」


 事前の戦略構想に則り、残存兵力と共にウォルムは避難民を残し離脱する心算であった。決断というには余りにも他力本願であり、自主性に欠けていた。眼前の一人の少女の声がなければ指揮系統、軍という組織を免罪符に掲げ実行していただろう。


「司令部が消失したあの時、俺は多くの者を見捨てようとした。安い言葉になるかもしれないが、あの時、アヤネが俺を変えたんだ。そうでなければ、こうして話していないかもしれないし、多くの人間が死んでいた」


 濁る瞳でウォルムはアヤネを見据える。少女は視線を伏せていた顔を上げ、ぎこちなく笑った。


「会ったばかりなのに、励まさせてしまいましたね。ありがとう、ございます……でもウォルムさんだって、卑下が過ぎますよ」


「それをアヤネが言うのか」


 困惑するウォルムに対し、アヤネは声を漏らす。再会してから初めて笑顔が戻った。緊張が解け、締め付けられていた息を吐き出す。強張った肩から力を抜き椅子に身体を預けた。


「気になっていたことを聞いてもいいですか」


「なんだ、改まって」


 硬い口調とは裏腹に、声色に張り詰めた響きはない。首を傾けて視線を合わせたウォルムは、続きを催促した。


「ウォルムさんの一度目の人生って、日本だったんですか」


 なるほど、と納得した。互いの出身地の話題はウォルムも気になって仕方なかったことだ。何せ、流される前の世界が完全に同じとも限らない。多元宇宙論(マルチバース)並行世界論(パラレルワールド)、呼び名は何であれ、こうして理が異なる異界が存在するのだ。よく似ただけの世界の可能性は拭えない。


「何か、書けるものはあるか」


「ちょっと、待ってくださいね」


 ぱたぱたと机に早歩きしたアヤネは、紙とペンを探し当てると慌ただしく差し出してくる。


「日本は?」


「よく知ってます」


 ウォルムは文字を書きながら共通認識を深めていく。漢字や日本地図など久々に書く。酷く歪で、幼児の落書きのようですらある。そんな落書きにさえアヤネは旧懐の情を抱える。画才の無さを呪いながら描いた国民的キャラクター擬きの反応も悪くない。珍妙な絵を囲い笑う様は、側から見れば狂気の沙汰だろう。


 貧乏性のハイセルク人に有るまじき暴挙であるが、馴染み深そうなものを描き込んでいく。大量生産が確立されていない紙とインクの浪費だが、止まらなかった。不恰好なキャラクターに囲まれた歪な日本地図の一角に円を描き、ウォルムは尋ねた。


「俺は八不知市の生まれなんだが、知ってるか?」


「八不知市ですか!? 知ってるも何も私も出身です」


「おい、嘘だろ」


 耳を疑ったウォルムは驚きのまま即答した。


「それじゃ駅前の駄菓子屋の婆さんは知ってるか」


「八不知駅近くのですよね。私の子供の頃からお婆ちゃんのままの」


 驚きは確信へと変わる。間違い無く同じ世界の出身であった。薄れていた遠い記憶、高倉頼蔵としての過去が呼び覚まされていく。瓶の炭酸飲料、袋詰めされた菓子、時代が凍りついたかのように吊り下げられた独楽や面子。昔ながらの木造建築の古びた駄菓子屋には、時代を問わず人を惹き付けるものが詰め込まれ、宛ら玩具箱のようですらあった。


「あの人は、俺の子供の頃から婆さんだった」


 三十年間まるで変わらぬ姿は、帰郷した者に安心を覚えさせたものだ。駅前の再開発で街の姿が変貌しても、あの店と婆さんは変わらないと。今思えば、ある意味でマーケティング戦略であったかもしれない。何せ大の大人が童心に返り、あの店で散財するのを見たのは一度や二度ではない。大した経営者であろう。


「はは、もしかしたら妖怪の類いかもな」


「私の母校の七不思議にもなってましたよ」


 口を手で隠しながら、アヤネは悪戯ぽく笑う。


「そんなのもあったな。まさか学校まで同じだったか」


「世間は狭いって言いますけど、本当でしたね」


 雲間に消える紙飛行機、夕暮れの降りきれない階段、奥が見通せない暗闇の廊下、可愛らしいもので言えば神出鬼没の黒猫ぐらいなものか。ぱっと浮かぶだけでも幾つも挙げられる。七不思議とは言ったが、実際は十も二十もあったかもしれない。


 世界どころか文字通りの同郷相手に話が尽きない。暫く本来の目的を忘れるほどに。皮肉にもタイムキーパーの役を果たしたのは鬼の面であった。モーリッツにでも預ければよかったと思う反面、怒りに震え散らかす呪面に怯える兵士の姿が浮かぶ。つくづく不粋な面ではあるが、時間が有限なのも確かであった。緊急を要さないとは言え、次の患者も居る。


 寝台へと身を預けたウォルムは瞼を閉じた。視界を閉ざしたにも関わらず、翳されているであろう手のひらから、渦巻く魔力が知覚できる。薄暗闇に暖かい光が灯る。


「力を抜いて、楽にしていてください」


「ああ」


 この一年半でウォルムが様々な経験をしたように、少女もまた人として成長していた。眼の治療が始まる。暖かい光にウォルムは微睡みを覚える。この時ばかりは、祖国を取り巻く陰惨な現実も薄れていた。

どうもトルトネンです。

何時も感想・応援ありがとうございます。


少年マガジンエッジで連載中の齋藤八呑氏によるコミカライズ版『濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記』がニコニコ静画でも連載開始されました。活動報告で冒頭を掲載していますので、是非読んでみてください。下記のurlよりどうぞ。


ニコニコ静画

https://seiga.nicovideo.jp/comic/58990?track=top_push


活動報告

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3011540/

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― 新着の感想 ―
[一言] 再会出来て良かったーーー!!!
[一言] 数日前ニコニコの漫画で知って面白そうやんと原作読みに来て、ようやく最新話まで追いついた。 今後も楽しみにしてます。
[良い点] 素晴らしい作品。 人間同士の戦争という残酷さをメインにしつつも、そこに魔物の脅威を混ぜ込むのが絶妙。 [一言] 応援してます。これからも無理せず更新頑張ってください。
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