表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

170/233

第十二話

 炎帝龍回廊の中継拠点であるバルグーン砦は、小規模ながら城郭化が進む一種の穀倉であった。輜重隊はバルグーン入城後に備蓄されていた消耗品の補給を果たす。それはマイヤード公国へと運び込む糧秣を行軍の道中で消費することを避けるためであった。手持ちの食料が尽きたからと糧秣に手を出せば、本末転倒甚だしい。


 バルグーン砦を出立して二日、回廊に生じた変化をウォルムは見落とさなかった。同胞であるハイセルク帝国兵と異なる装備を身に着けるのは、マイヤード公国の兵。エイデンバーグ侵攻を経て敵味方で見慣れた防具を忘れるはずもない。彼らが警護するのはホーディ指揮下の隊と同類である輜重兵であり、身なりから推測するに雇われた非戦闘員がその大半を占める。


「彼らはマイヤードの輸送隊、群島諸国から仕入れた品と旧フェリウス領のレフン鉱山から採れた鉱物で貿易しておるんです」


 視線に気付いたホーディは彼らの正体を明かす。ウォルムは顔にこそ表さなかったが驚きがある。何せ、戦争という外交手段ばかりを採ってきた祖国が仇敵と和睦。こうして貿易まで行っているのだ。聞くと見るのではやはり実感が異なる。大暴走という要因に強いられたとは言え、大した進歩であろう。経済的な結び付きが強まれば、衝突を避けようとする派閥が現れる。ウォルムは破滅的な主戦論者でも、現実を見ない平和主義者でもない。ゆるやかな緊張状態での長期間の平時こそ、ハイセルクが目指すべき未来だと願っている。


「正規の兵と言い難い者も多い」


 フリウグは戦闘部隊の統率者として彼らを評価する。ウォルムも中隊長の発言に同意見であった。短槍こそ携帯しているが、手甲や脛当てが欠けた者が目立つ。荷台を引く者の中には、手斧や鉈など農具を持つ者までいる始末だ。


「バルグーン砦で荷下ろしをしていたマイヤード人が言うには、レフン鉱山、セルタ半島の付け根に主力の大半が取られ、この辺の隊は難民や土地を失った農民ばかりだそうで」


「クレイスト王国は資源確保のためにレフン鉱山を狙っていましたが、マイヤードが各地から兵力を捻出して一帯を僅差で抑えています。尤も、正規兵に余裕のないマイヤードに代わり、ハイセルク帝国軍が炎帝龍回廊の治安維持の主軸を務めていますが」


 ウォルムは過去の記憶を探り地図を思い浮かべる。フェリウス王国領に攻め入った際に、レフンは馴染み深い地となった。何せ、リグリア軽装歩兵大隊所属時に同鉱山を攻め落としたことも、遅延防御に勤しんだこともある場所だ。当時の資源に乏しいハイセルクに於いては、攻略の最優先目標の一つであった。


「レフンもセルタも今のマイヤードにとっては生命線か」


「ええ、マイヤードはその肥沃な穀倉地域の大部分から魔物を取り除けていません。それに加えて、険しい地形から防衛の要地となるレフンとセルタを手放せない。抱え込む戦力の都合上、ハイセルクに兵力という借りを作り、背後を任せる他ないでしょう」


「まあ、斯く言うハイセルクも、背後を任せるしかない状況には違いないだろう」


 ウォルムはフリウグに概ね同意するが、お互い様だろうとハイセルク帝国の現状を嘆く。多くの兵と国土を失ったハイセルクもまたマイヤード無しでは立ち行かない。関係を深める群島諸国も迷宮都市で生じた動乱の復興、同地で起きた不正規戦に関与が疑われる共和国の対応で手一杯だ。とても手厚い支援は望めない。こうなればマイヤードとは共依存を深めて雁字搦めとなるのが、両国にとって望ましいとさえ考えていた。


 すれ違うマイヤード人はハイセルク人と抱き合い、握手を交わして親交を深める間柄ではない。それでも現実を割り切りハイセルクを隣人として扱っている。その変わり身の早さ、逞しさは群雄割拠で分裂と統合を繰り返す北部諸国に染み付いた性質のようなものかもしれない。



 ◆



 その古城が遠方から目に入った時から、ウォルムの内心には嵐のように感情が渦巻く。深く暗い底に閉ざしていた記憶が蘇る。ただ一人で逃げ延びたあの時と変わり無く城は佇んでいた。積み上がる万の死体も、鼻腔を冒す腐臭も、耳に残る断末魔もそこには存在しない。まるで初めから全てが幻だったかの如く、取り払われている。


 二年近くも経てば当然であろう。記憶と傷は風化していくものだ。ウォルムは酒精でそれらを拒み受け入れなかった。いい加減、現実と向き合う時が来たのだ。呼吸を僅かばかり深く繰り返し、頼りない脚を叱咤しながら平静を保つ。よくよく観察すれば、かつての戦闘の名残りは残されている。


 溶け落ちた天守閣は申し訳程度にしか修復が進んでいない。ウォルムが兵達と死闘を演じた仮設城壁は、元通りの再建が諦められていた。城壁の残骸に被せる形で、防腐処理を施した杭を箱型状に打ち込み、その中に土を流し込む。土造と木造の混成である所謂、筐体城壁がその正体であった。石造と比較した際に防御性の低下は否めないが、普請の期間、材料の調達に優れる。費用対効果を考慮した結果であろう。それでもかつて死守した仮設城壁に比べれば、その頼もしさは羨む程である。


 城門を潜ったウォルムは城内一つ一つに目を向ければ、今では存在しない筈の兵や避難民の影が脳裏にちらつく。幻影に惑わされ、隊列に遅れる訳にはいかない。脳裏から影を振り払い足を強く踏み出す。幸にして先導役のホーディ率いる輜重隊は、物資の集積地で停止する。そこはかつての大暴走時にも雑多な軍需品を詰め込んでいた場所であった。ホーディは休む間もなく指示を飛ばすと、輜重兵達が忙しなく動き回り、固く結ばれた固定用の縄を解き始めた。その合間に輜重小隊長は改まった顔で、ウォルムと向き合う。


「守護長殿、私の隊はここまでです」


「……ここからはマイヤードの輸送隊が各地に物資を分配か」


 ホーディ輜重小隊の主な役割は、不安定な炎帝龍回廊の往復だとウォルムは伝えられていた。バルグーン砦で見かけたマイヤードの輸送隊も同様の役目を担う。回廊を抜けた今、行動を共にする理由はない。


「そうです。ダンデューグ城はマイヤード側の集積の中心地となっておりますので、積み荷を入れ替え帝都に舞い戻ります」


「湖岸沿いを含めた一帯は、マイヤードが面で確保していますので、護衛に乏しいマイヤードの商人でも役目を引き継げるでしょう」


 ホーディの説明をフリウグが補足する。線でしか確保していない回廊と異なり、ダンデューグ一帯から湖岸までマイヤードは完全に勢力下に収めている。


「ウォルム守護長、フリウグ中隊長の護衛のお陰で、道中は随分と楽をさせて貰えました」


「そう畏まるな。荷を背負う輜重隊に、戦闘の負担まで掛ける訳にはいかない」


 輜重隊に誇りがあるように、歩兵部隊の長であるフリウグも矜持を持つ。戦場は違えど、両部隊は己の責務を果たしていた。加えてウォルム個人としても感謝がある。


「それに、礼を言うのはこちらだ。ハイセルクを離れて久しい俺は情勢や地理に疎い。道中、それらの話を聞けてよかった。まさかここまで地形が変わっているとはな」


 驚天動地とも呼ぶべき地形の変化が回廊内では生じていた。龍種の別称である“生きた天災”とは誇張でもなく言い得ているだろう。現地の雰囲気や情勢というのも、その土地に出入りする者にしか理解できぬもの。貴重な情報であった。


「それは嬉しいお言葉。退屈な案内役で良ければ、また帰路でも道案内をしたいもんです」


 日に焼けた染みだらけの顔で、輜重小隊長は笑みを零した。ウォルムもそれに釣られ薄く笑みを浮かべる。


「それでは」


 別れを惜しみながらも古強者のハイセルク兵だけあり、切り替えも早い。早速ホーディは兵に交じり荷解きを始めた。残された中隊長と今後の予定の確認を果たそうとしたウォルムであったが、口火を切ったのはフリウグの方であった。


「丁度いい頃に、出迎え役が来ましたね」


 言葉に誘われて視線の先を辿れば、一団がこちらに向かっていた。出迎えと言うには、物々しい装備と言える。距離が近付くほどに違和感と戸惑いを覚えた。


「ウォルム守護長、彼らは」


「覚えている……戦時混成大隊に居た者達だな」


 砦には数万の人々が押し込められ、混沌とした城内の全員を覚えている訳ではない。それでも戦列を共にした彼らをどうして忘れられよう。寸分の狂いなく整列を果たした者達が一斉に頭を下げる。それは混成大隊に組み込まれていたマイヤード側の兵や民兵達であった。所属と国家が異なり、二年に近い歳月が経つ。それでも未だ敬意を示してくれた彼らに、ウォルムは粛々と返礼を返す。多くの言葉は交わされない。それでも幾分かは救われた気がした。


「ハイセルク帝国軍所属、ウォルム守護長殿。ダンデューグへの帰還を歓迎します」


 隊列から一歩進み出て来た指揮官がしがれた声で言う。その声には聞き覚えがあった。男が顔を上げれば隻眼と視線が交わう。彼とは二度戦場を共にした。一度目は国境部の森で、二度目はこのダンデューグ城で。


「……歓迎を感謝する、フレック殿。ああ、大それた歓迎、本当に驚いた。あの目立つ大楯は失くしたのか」


「あれは嵩張るので、そこらで留守番をしてますよ」


 ウォルムは呆れ気味に元冒険者の名を口にする。当の本人は悪びれる様子もなく、悪戯が成功したとばかりに隻眼を細めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] やっぱりフレック生きてたんだ!嬉しいぜ。
[一言] 最初に敵対した時はパーティがこんな事になるとは思わなかったなあ
[気になる点] 輜重隊はバルグーン入城後に備蓄されていた消耗品の補給を果たす。それはマイヤード公国へと運び込む糧秣を行軍の道中で消費することを避けるためであった。手持ちの食料が尽きたからと糧秣に手を出…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ