第七話
聞き間違いであってくれと願い、ウォルムは俯く兄へと問う。
「なぁ、ヘイズ答えてくれ。リベリトアの兵士なのか、今も?」
「……そうだ。今もリベリトア軍人をしている」
大暴走から逃れるために、少なくない数のハイセルク人が諸外国へと散った。それは祖国の再建が果たされようとする今も変わらない。彼らは差別、偏見を乗り越え異国に根付き、その地で骨を埋める覚悟をした者だ。大した努力と忍耐だろう。群島諸国でその身を腐らせただただ浪費した自身と比べれば、前向きで生産的な人々だ。だが、兄の流れ着いた国をウォルムはどうしても許容はできない。
「正気か、あのリベリトアだぞ」
大暴走の原因は、フェリウス王の自暴自棄による自爆説が主流とされていた。同盟国の策謀、リベリトア主導で行われたとも語られるが、真相は明らかとなっていない。少なくとも班規模の人員の長であるウォルムに知る術などないだろう。それでも明確な事実はある。リベリトアは傾国の要因とされる四ヵ国同盟の一角であり、今尚ハイセルクの屈服を願う国だ。
「ああ、至って正気のつもりだ……ウォルム、お前を探していたのは、リベリトアで暮らして貰うためだ。以前と違って弟くらいは養える。望めば働き口だって荒事以外を紹介できる。もう兵役に就かなくていいんだ」
見知らぬリベリトア人の発言であれば、ハイセルク兵を激高させる挑発にも感じただろう。だが眼前の兄は悪意とは正反対の善意で物を語っている。余計に質が悪い。どうしようもなく、やり場の無い怒りがただただ膨らんでいく。
「俺はな。父さんと母さんがどうなったのか、知っていた。……村に帰って、俺がこの手でアンデッド化した両親を殺したんだ。家族だけじゃない、隣人だって焼いた。今でも覚えている。忘れられる筈がない。それなのに、なんで兄貴が元凶の下で兵士をしてるんだよッ」
「……ウォルムが葬ったんだな。酷いことをさせた。本当に、すまない」
兄は心から悔やんでいるのだろう。固く握られた拳はぎりぎりと音を立て、皮膚に爪が食い込む。感情任せに言い放ってしまったウォルムに対し、悔恨と謝罪を口にしたヘイズは、息を荒げながらも説明を始めた。
「リベリトアまで逃げ延び兵士になったのは、国が滅んだと思ったからだ。西部で軍は総崩れを起こし、雪崩れ込んでくる魔物に碌な抵抗もできない。疑う余地などなかった。それに当時は死に物狂いで逃げ込める先はリベリトアだけだった。戻る場所も、家族も居ない。国を追われた者の仕事など限られている。選択肢が他に無かったんだ。躊躇し、戸惑っていたら俺は死んでいた」
ダンデューグからの退き口や帝都に至るまでの惨状を知るウォルムには、否定する術はなかった。ウォルムはそこで一つの事実に気付く。ジェイフ騎兵大隊は、大暴走の一部をリベリトア商業連邦へと誘引した。足りぬ正面戦力をリベリトア軍で代用したのだ。軍事学的には英断であろう。猶予を与えられたハイセルクは、南部や東部に人的資源を退避させ、後の再建の礎となった。必要な作戦だったのだろう。だが、大暴走の誘引路となった故郷を含む西部や北部がどうなったかは、火を見るより明らかだ。今となっては暗い考えしか浮かばない。
「ヘイズ、ハイセルクに戻ろう。まだ、やり直せる」
整理し切れずに渦巻く感情を抑え込みながら、ウォルムは兄を諭した。
「心からそうしたいさ。それが、一年半早かったらな。今はもう、無理なんだ――俺には家族がいる。リベリトア人の妻だ。子供も二人生まれている。もう戻れない。戻れないんだよ。今の俺はリベリトア人だ」
ヘイズは苦々しく顔を歪めて言った。喜ぶべき筈の婚姻と甥や姪の存在。それが事態の複雑さに拍車を掛けている。ウォルムは、兄がリベリトア人とハイセルク人の家族の狭間で苦しみ、葛藤に苛まれていることを漸く理解した。
「元凶ではあるかもしれない。大暴走を引き起こした奴らにも反吐が出る。それでも死んでいたはずの俺を助けたのはリベリトアの兵士で、余所者、それも敵国の人間を受け入れてくれた。魔領の削り取りに従事するうちに、背を任せられる戦友だっている。兄弟で争いたくなんかない。リベリトアが無理なら他の国でもいい。頼む、ハイセルクから離れてくれ」
「ヘイズ、無理だ。それはできない」
唇を噛み締め否定したウォルムに、兄は説得を続ける。
「国力差を考えろ。それにサラエボ要塞戦とは違うんだぞ。兵站の伸びた遠征と異なり、リベリトアは全力をハイセルクに注げる。居残っていた国境沿いの守備隊も投入されるだろう。今のハイセルクにどれだけの兵が出せるというんだ。流浪の民と化した一部のフェリウス人やハイセルク人を抱え込んだリベリトアは四、五万を超す兵力を捻出できる」
それでも尚、縦に首を振らず物言わぬウォルムに兄は語気を強めた。
「大暴走や四ヶ国同盟戦役による実戦の経験と教訓を得て練度の差も埋まり、兵力差も開くばかりだ。国家に殉じて死ぬ気か!? お前は十分尽くしただろう。リベリトアも悪いところは目立つだろう。だがな、徹底的に無慈悲じゃない。打算もあるだろうが、こうして俺や他の元ハイセルク人だって受け入れている」
沈黙を保っていたウォルムは、本心を吐露した。
「確かに、リベリトアと全面戦争になれば勝機は薄いだろう。死ぬかもしれない。俺だって、進んで死にたくはない」
「だったら――」
「国という共同体を見捨てられないのもあるだろう、な。それ以上に戦友や国をまだ信じてくれる民を置いて行けない。形骸化しているが、俺はこれでも騎士らしい。それにだ。サラエボで、ダンデューグで、あいつらは何のために死んだ。何の犠牲だった。彼らを無駄死にはしたくないんだ。ハイセルクは手放しで良い国なんて言えない。貧しく土地は痩せ、飯は不味いし少ない。兵役だってある。敵国じゃ組織的な掠奪もあった。幾つも酷い過ちを犯しただろうな。それでも過去の失敗から学び、進んで成熟していくのが人間だろう。何もせずに諦めたくないんだ」
国が落日したあの日、ウォルムは帝都を見下ろす丘でそう願ったのだ。目を逸らさずに想いを兄へと伝えた。互いに歩み寄れぬ平行線にヘイズは肩を落とすと、声を振るわせ言葉を漏らす。
「どうしてこうなっちまったんだ」
ウォルムも兄と同じ思いを抱く。もし叶うのであれば、子供の頃のように兄弟や家族と無邪気に笑っていたかった。
「どうしてだろうな、本当に。今日が最後か分からない。また会えるかもしれない。だが敵同士じゃ会いたくないよな」
立ち上がるウォルムをヘイズが呼び止めた。
「待て、話は終わってないだろうがァ!!」
怒鳴るヘイズにウォルムは困ったように顔を顰める。激情に反応してか、面まで震える始末であった。
「待ってどうする。環境が、状況が、お互い歩み寄れない。これ以上は惨めになるだけだろ。こうして生きて再会できただけでも俺は、幸せだった。逃げやしない。少し一人で頭を冷や――」
兄弟で言い争いなどしたくない。ウォルムは冷静になろうと一旦、その場を離れるつもりであった。冷えた頭ならば妙案が浮かぶかもしれない。遠ざかりながら言葉を終える前に、余所見をしていたヘイズが兄らしからぬ怒号で遮る。
「そうじゃ――っぅ、止めろ!! ウォルム、外に出ッ」
まるで戦場の渦中のように血走った眼、切羽詰まった声、噛み合わない会話。ヘイズの叫びに異変を感じたウォルムは顔を顰め、遅まきながらそれに気付いた。兄は弟に呼び掛けてなど居なかったという事実に。気を抜いていた、というには理不尽だろう。それだけウォルムの感情は揺すられ、兄へと意識の大部分が割かれていた。膨らむ殺気と魔力は入念に準備された上で、隠匿されていた。取り囲むのは居るはずの無いリベリトア兵の一団。
「なん、でっ」
偽装をかなぐり捨てたリベリトア兵の攻撃は恐ろしく速かった。兄は駆け出し弟へと手を伸ばすが、それが呼び水となったとばかりに、目が眩むほどの攻撃魔法が殺到する。魔力の奔流が処理し切れぬほどの痛みへと変わり、情け容赦なくウォルムを吞み込んだ。
 




