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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

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第五話 

 マイヤード公国セルタ領への物資及び人員輸送に際し、フリウグは実行部隊との協議に追われていた。何せ、運び込む量は膨大だ。輜重隊と軽装歩兵小隊、非戦闘員を合わせれば四百人が一斉に動くこととなる。名簿の確認、糧秣の調達、各種手続きと調整の煩雑さには頭を抱えてしまう。一昔前であればそれら難解な作業や下準備は文官がこなしていたが、今や使える者は死者でも魔物でも使えと叫ばれて久しい。


「帝国には余裕が無いとばかり思っていたが、当時が懐かしくも羨ましい」


 生産性のないぼやきをフリウグは口にした。そもそも大規模な隊商は非効率なのだ。本来であれば絶えず少数の人間を往来させた方が、各所の負担が少なく運搬の効率が良い。手間が掛かる隊を組むのは、炎帝龍回廊と称される交通路の掌握が不完全であるからだ。回廊の両側は魔領が広がり、マイヤードとハイセルクはか細い線で繋がっているに過ぎない。一箇所寸断されるだけで、両国の繋がりは断たれる。


 幸にして共同で任務に就く輜重隊の小隊長は、現場からの叩き上げで経験豊かだ。輸送中に受けた複数の襲撃から生き延び、大暴走時には荷駄を放棄せず運び通したとフリウグは耳にしている。協議でもその専門的な知識と技術の蓄積を以って、内務面で不慣れなフリウグは手助けを受けた。


「あの小隊長の名はホーディだったか。実戦経験豊富な旧西部方面軍出身なだけはあるな」


 深刻な人材不足を考えれば、優遇されているだろう。軍の指導層もそれだけ一軍人の復帰を待ち望んでいる。南部方面軍ハドロ連隊長、東部ゼーレフ旅団長、マイヤード派遣軍ユストゥス旅団長の間では、ウォルム守護長の所属を巡り一騒動が生じた程だ。更に群島諸国の領主エドガー子爵、トリィオ侯爵までもが、配下に迎え入れる為に接触を試みた。それらに掠め取られず、こうして帝都に帰還したことは僥倖と言える。


 フリウグは帰路の積荷へと意識を戻す。マイヤード公国は、滅亡したフェリウス王国のレフン鉱山を支配下に置き、難民として流れてきた者達を雇い運用を始めている。ハイセルクから流れ込む資機材や食糧の支払いは、精錬された鉄や水産物で成されていた。マイヤードも多くの物を失ったが、勢力の巻き返しに旺盛であった。マイヤードの女大公は一時期の舵取りを見誤ったとは言え、今や一君主としてセルタ領を纏め上げている。そうフリウグは評価していた。


 記された情報の確認に勤しむフリウグであったが、近付く足音に目線を上げた。分かり易くこれから部屋に訪れると足音を立てているのだろう。身構えて間も無く反応があった。


「中隊長殿、来客です。ウォルム守護長が用件があると」


「直ぐに入って貰え」


 フリウグはウォルムの入室を待たずに、椅子から立ち上がり出迎えた。騎士という旧軍組織の名誉階級ではあるが、今の帝国には現役で存命する数少ない御方だ。ダンデューグでは戦時大隊長という臨時の戦時階級とは言え、混成大隊を率い獅子奮迅の戦働きを成した。守護長が居なければ呆気なくダンデューグ城は陥落していただろう。そんな人物を椅子に座ったまま出迎えるなど、フリウグ個人には決して許されない。


「忙しいところ、すまない」


「いえ、ちょうど行き詰まって息抜きを、と考えておりました――何かあったのですか?」


 言葉を交わしたフリウグは、身振りや表情から焦燥を感じ取った。守護長は表立って感情を露わにするのは少ない。促されたウォルムは事情の説明を始めた。


「まさか御兄弟が生きていたとは」


 状況を把握したフリウグは、悩ましく声を漏らす。親族、友人、知人、ハイセルク人は何かしらの形で隣人を失った。一族郎党が絶えてしまった者も珍しくはない。フリウグとて多くの繋がりを失った。そうした中で、血を分けた兄弟というのは、尊い存在だ。ましてや守護長の残りの家族や村人達は例外なく冥府へと渡っている。


 事の重大さを受け、フリウグの行動は早かった。机に広がる仕事道具を端に避け、施錠された引き出しから軍用の地図を取り出す。大隊や連隊クラスの指揮官に配布された地図よりは精度も確度も劣るが、市販されている粗雑な地図とは比較にならない情報が詰められている。何せ、地図は絶えず更新され、今日も手を加えたばかりだ。


「村の位置は」


「ここだ」


 ウォルムが示した箇所を覗き込んだフリウグは、自問するように言葉を漏らす。


「我々の実効支配地の内側であるものの――暫定的な境界線に近い」


 村の位置は好ましくない。支配圏とは言え魔領とリベリトア領沿いに位置していた。


「旧領奪還と境界線の監視のために、相応の部隊は展開しています。偶発的な戦闘は考え難いですが」

 

 リベリトア商業連邦は魔領に飲まれた旧ハイセルク領の中でも、セルタ湖沿岸と河川の掌握を優先している。即時の全面攻勢は予期されてはいない。軍内部では、数年以内に大規模な軍事干渉が予見される状況下ではあるが、今のところ越境行為もなく、表立っては両国は静けさを保つ。それでも討ち漏らした魔物の危険性が有る。


 フリウグは視線を上げ、穴が空くほどに地図を睨むウォルムを視界に収める。機会を逃し、家族が他国へと離れれば捜索は困難を極めるだろう。今生では再会は叶わないかもしれない。守護長は、ウォルムは帝国の存亡に大きな役割を果たした。家族との再会という細やかな望みぐらい叶えて然るべきだろう。


「ウォルム守護長、四日後に間に合うならば、帰郷は可能です」


「世話を掛けるが、行かせてくれ」


「勿論です。本来ならば付き添いたいところですが――」


「この忙しさだ。軍務を優先してくれ。それにだ。ただの帰郷に同伴の兵など連れて行ったら、それこそ兄に過保護だと笑われる」


 尤もな言い分であろう。事実、指揮下の兵も手隙の者は少ない。無理にでも護衛を抽出すべきか。葛藤するフリウグであったが、前線指揮を執りながら魔物へと逆襲するウォルムの姿が浮かぶ。無駄な配慮かもしれない。ダンデューグでは大暴走を受け止め、迷宮都市では腐骨龍を前に五体満足で生き抜いた。戦死する場面など、どうにも想像できない。


「護衛は野暮というものですね……道中、お気を付けて」


 軍人として客観的な視野を心掛けるフリウグであったが、ダンデューグをウォルムの麾下で戦い抜いた兵にとって、ウォルムは絶対的な統率者であった。その信奉は盲目を産んだとも言える。幾ら力を有していても人の身の範疇に過ぎない。数多の英傑、梟雄、軍神ですら戦地を問わず骸を晒すのが、北部諸国の血塗られた歴史であった。





 ウォルムはこれまで身一つで各地の戦線を転々とし、国崩れの後は、群島諸国を放浪した。出立するのには大掛かりな準備など不要であり、隊商の責任者であるフリウグの許可を得たその足で目的地へと直走る。


 帰国の途に就く中で、故郷への帰還を考えなかった訳ではない。望郷の念は心中で渦巻き、何度も浮かんだ。それらを阻害したのは、一種の恐怖心であった。自身の手で焼いた村を再び訪れれば、嫌でも事実を受け入れなければならない。あの出来事は質の悪い白昼夢で、今でも人の営みは続き、親族達が出迎えてくれれば、どんなに嬉しいか。


「……有りもしない妄想だ。時計の針は戻らない」


 一年半という歳月、群島諸国での経験、兄弟の生存により、ウォルムは正しく事実を受け入れた。これまでの歩みを考えれば、帰郷の道のりは僅かであった。記憶に鮮明に残る道をウォルムは息を切らして進む。かつて通った道ではあるが、人の手を離れた今、森に侵食されるように塞がりつつある。


 記憶を探りながら進めば進むほど、一度は蓋をした幼少期の思い出が湧く。近所の悪ガキや兄と日が暮れるまで遊び回った森、踏み固められた田舎道、目印にした岩や木々。兄と共に食べた甘酸っぱい木苺の酸味が浮かぶ。


 山刀代わりに斧槍を振るえば、行手を塞ぐ多年草が乱回転しながら地面に落ちて行く。刃先にへばり付いた汁が鼻腔を刺激するが、人や魔物のものと比べれば刺激臭は少なく気楽であった。


 魔物の襲撃を危惧していたウォルムであったが、未だ遭遇することもない。境界部に張り付いた部隊が仕事熱心で優秀なのだろう。そうこうする内に、蔓が複雑に絡む柵が視界に映った。兵役で村を離れた当時から、補修されていない柵であったが、今となっては朧げにその原型を残すだけ。未練がましく心臓が打ち鳴る。銅像の如く固まる持ち主に、鬼の面が催促するように震えた。


「分かってる。急かすなよ」


 息を吐き出し、心を落ち着けたウォルムは一歩を踏み出した。蒼炎に飲まれ灰と化した村は、緑に包まれている。これまでの未舗装路に比べれば、森の浸食は鈍い。記憶を辿れる限り、冥府へ渡った村人達の遺体を探すが、残されていなかった。ウォルムは足元へ貼り付くように屈み、地面を睨む。何かが引き摺られた線と足跡がそこら中にあった。


 導かれるように辿る。複数の痕跡は全て村の広場にまで伸びていた。村の外縁部とは異なり、人為的に草木が取り払われ、瓦礫が片付けられている。中心部には家屋の基礎材を利用した墓標が鎮座していた。恐らく遺骨を全てあの下に納めたのだろう。供物の花や酒まで並んでいる。


 熱に浮かされたように足を進めて行く。墓標の前には一人の男が佇んでいた。泥が喉に詰まったように声の出ないウォルムであったが、注意不足で小石を踏んだ半長靴が持ち主に成り代わり、存在を主張する。振り返った男もまた驚きに目を開く。


「ウォルム……か。久しぶり、だな」


 兄は弟の名を口にした。そう、名を呼んだのだ。ウォルムには不安があった。戦場で生き残る為に殺せば殺すほど、人としての本質が変わっていく。道徳か、良心か、あるいは別の何かかは定かではない。それでも確かなのは、精神や内面に引き摺られるように、容姿が、眼が変化していく。家族が、兄が、今の顔を見て、本当に弟であると分かって貰えるか。それらは杞憂であった。


「ぁ、っああ」


 何とも格好がつかない。出来の悪い返事であった。それでも兄は茶化すことなくウォルムを出迎えてくれる。


「よく、帰ったな。おかえり」


「……ただいま」


 たった一人、それでもかつての帰郷では絶対に得られなかった返答に、ウォルムは身を震わせた。

『濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記』

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[良い点] 〉名簿の確認、糧秣の調達、各種手続きと調整の煩雑さには頭を抱えてしまう。一昔前であればそれら難解な作業や下準備は文官がこなしていたが、 〉そもそも大規模な隊商は非効率なのだ。本来であれば…
[一言] すごく面白い、面白いんだけど ウォルム・・・主人公があまりにも辛いし酷い。 もう少しお手柔らかに 幸せになってほしい。
[良い点] めっちゃ面白いです 三連休のほとんどを使ってしまいました コミカライズから来ましたが原作もコミカライズも応援します [気になる点] 復讐は何も生まない…は綺麗事ですよね 四カ国同盟がしたこ…
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