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第四話 道の行方

 人と物の往来によって生み出された喧騒は途切れることなく続く。粗雑な麻袋を背負った男の脇をすり抜け、余所見をする小児を躱し、小難しい顔で酒瓶を睨む兵士の背後を過ぎ去る。そんな人混みの隙間を縫うウォルムの足を鈍らせたのは、客を誘う呼び声であった。


「なあ、そこの旦那。群島諸国産の良い酒があるんだ」


「悪いが、酒はもう十分だ」


「そうか。気が向いたら寄ってくれ。なあ、そっちの兵隊さん、さっきから何を悩んでいるんで?」


 日用品や他の嗜好品であれば、呼び止められていたかもしれないが、禁酒を続けるウォルムにとっては、興味を惹かれる売り物ではない。亭主はその矛先を変えた。幾ら覗き込んでも中身が増すことない財布と酒を見比べ、葛藤する兵であれば落とし易いと踏んだのだろう。


 忙しないのは視覚や聴覚だけではない。すえた汗の臭いから、芳しい炙り串の匂いまで、嗅覚までもが過労を訴える。外観や上辺を取り繕うのは無駄とばかりに、この市場の造りは混迷を極めている。通りの両脇には木材で打ち立てられた小屋が並ぶ。住居を目的とした家屋ではない。帝都を囲む壁内には幾つかの市場があり、その中でもウォルムが滞在する市場は最も真新しかった。


 尤も、最新だから清潔で格式を有する訳ではない。何せ市場の場所は、炎帝龍や魔物により甚大な損害を受け空き地となった場所だ。統一感のない露天のチグハグな見てくれも、建築資材として廃材を積極利用した成果である。


 従来の市場や大商人が管理する倉庫は、マイヤード公国や群島諸国との交易の為に優先的に埋まっている。それも今の帝都がマイヤード方面と帝国を結ぶ唯一の大動脈と称され、帝国内に限っても、集積した人員と物資を再分配する中核地としてその機能を果たすからだ。乏しい資源と戦禍で貧困に喘ぐハイセルク帝国が提供出来る物と言えば、軍事力ぐらいなもの。それも今となっては過去の話であり、希少な魔法銀鉱の発見が帝国の命脈を繋いだ。帝国を落日の際へと追い込んだ大暴走ではあるが、同現象で魔物の生息域が移り変わらなければ、魔法銀鉱は人知れず眠ったままだっただろう。実に皮肉であった。


 取り留めのない考えを浮かべながら、目的も無くウォルムは市を彷徨う。旅の道中で消耗した日常品や嗜好品の類は買い揃えてあり、食糧類も魔法袋へと詰め込んでいる。帝都に滞在して三日目にもなれば、休みも必要はない。根無草のように各地を転々とする兵隊生活に慣れている。


「どうしたものか」


 このまま露店を巡るのが正解か、ウォルムは図りかねる。食事を取るにも早い。暇人とは異なり、ジェイフ大隊長やフリウグ中隊長は軍務に追われている。冷やかしで訪れ恨みを買い、戦地で臀部でも刺されては敵わない。練兵場で教練に勤しむという選択肢も浮かぶが、今は休めと命が下されている。嘆かわしいことに、すっかり休みの仕方を忘れてしまっていた。


「おーい、そこのあんた」


 贅沢な悩みを抱えるウォルムであったが、自身を呼び止める声に挙動を停止する。よくある客引きか、と断りの言葉が喉まで込み上げるが、はたと違和感を受け飲み込む。どうにも聞き覚えのある声色であった。何処かの隊で見知った兵か、ウォルムは振り返り声の主を目で捉えた。細身の男が背丈を越す荷を背負ったまま近づいて来る。収まり切らない商品が括り付けられる様子は圧巻でもあり、呆れてしまう。かつての世界に居た大量の人形やキーホルダーをぶら下げる学生のようだ。警戒心を解いたウォルムは、確かめるように行商人の名前を口にする。


「ユーグか?」


「ああ、やっぱりウォルムさんですか」


 互いに半信半疑だったようで、答え合わせの末に漸く認識を果たした。


「アデリーナ号以来だな」


「あの時は災難でしたね。あれから暫くは、磯の匂いも嗅ぎたくありませんでした」


 回想を果たしたウォルムはユーグと揃って渋面となる。船上という可燃物に囲まれた閉鎖空間は《鬼火》や火属性魔法と相性が悪い。それに海の生物(なまもの)共は実に厄介であった。深海の悪魔(クラーケン)は大型船すら破壊する強大な魔物であり、夜間と言った状況次第では、知覚する間も無く船ごと海の藻屑にされていただろう。血肉に誘われて集結した海の小鬼(サハギン)も武器を扱う知能と器用さに加え、その数には手を焼かされた。何より死後の悪臭は、一部のアンデッドよりも強烈という始末だ。愚痴を言い出せば切りがない。ウォルムは過去の思い出を一旦遠ざけ尋ねた。


「なんでまたこんな辺鄙なところに」


 航海でユーグと船室を共にしたウォルムは、それなりに会話を重ねて交流を深めた。記憶違いでなければ、群島諸国の都市や村を周り商いをする行商人の筈である。


「迷宮都市で起きたグンドールの動乱の影響で、仕入れ先が文字通り潰れたんですよ。新規を開拓するにも、同じ境遇の商家は多いですから、弱小な個人じゃ競争には勝てません」


 都市機能に甚大な被害を齎した腐骨龍は、同時に資源地である迷宮にも打撃を与えた。一連の動乱では冒険者や探索者が防衛に動員され、かつてのような規模での資源の獲得は不可能となっている。その影響がユーグにまで訪れたという訳であった。


「最近何かと魔法銀鉱で羽振りの良いダリマルクス領に訪れたら、ハイセルクに人や物資が流れていた。人と物の流れは、商売になります。だからこうして私は商機を掴むために現地に来た訳です」


 胸を張って事情を説明するユーグの足元をみれば、草臥れた靴が目立つ。文字通り足で稼いだのだろう。


「涙ぐましいな」


 その努力と行動力に敬意を払い、ウォルムは素直に労いの言葉を口にした。


「その甲斐あって、運んできた物は粗方売れました。これで帰りに特産品の販売経路でも確保できれば良かったのですがね」


「その割には重そうだな」


 嘆くユーグであるが、背負い紐が肩へと強く食い込んでいる。背で担ぐ荷の中身が詰まっていなければ、そうはならない。


「仕入れが出来なかったとは言っていません。安定性に欠けるので、次回の仕入れには向かないんです。中身は魔物ですよ。迷宮都市では産出しない変わり種の魔物が加工されていました」


 恐らくは大暴走により魔領から溢れ出した魔物だろう。ダンデューグ攻防戦では数えるのも分別するのも馬鹿らしくなるほど、希少種や珍種などが湧き出ていた。回答を終えたユーグは、ウォルムへの疑問を口にする。


「ところで、ウォルムさんは群島諸国へ出稼ぎに? その格好は随分と流行っているようですから」


 ユーグは遠回しにウォルムがハイセルクの兵であることを示唆する。見飽きたのも無理はない。ここはハイセルク帝国軍の本拠地なのだから。


「いや、野暮用だ。昔の知り合いの伝手を頼りに戻ってきた」


「それは人に恵まれていて羨ましい。ところでウォルムという名は、ハイセルクではよく使われるので?」


 突拍子のない質問に、ウォルムは疑問符を浮かべながらも答えた。


「いや、あまり聞き覚えの無い。改まってどうした」


「最近市場で知り合った人物が、戦争で死に別れた弟を探していて、その名もウォルムでした」


 心臓が驚きと困惑に跳ね上がった。まさか、そんな筈がない。期待するだけ無駄だ。呼吸が詰まったウォルムは乾いた唇を緩慢に動かし、言葉を絞り出す。


「……そいつの名は?」


「あー、ヘイズという名前だった筈です」


 一字一句間違いのない兄弟の名前であった。兄弟の名前が偶然同じで、兄が弟を探していることが早々あることではない。動揺を押し殺しながらも会話を再開する。


「何処で、会った?」


「場所は露店市ですが、廃村になった故郷に戻ると言っていました。帝都から北東の村だと言ってましたね。諦めがついたのか暫く滞在したら、共和国か群島諸国に向かうつもりだとも――まさか本当にご兄弟で?」


「ああ、そうだ」


 断片的な情報を纏めても間違いなく兄であろう。遅過ぎた帰郷の末に多くの人だったモノを焼いたが、ウォルムが直接死を確認した家族は両親だけであった。


「すまない。助かった。少ないが礼を」


 家族の消息を知らせてくれた恩人に謝礼を支払おうと、硬貨袋を取り出したウォルムであったが、ユーグは手で制す。


「いえ、船では助けられましたし、刃こぼれした斧の件もあります。気にしないで下さい。御兄弟と再会できることを、切に願わせて貰います。道が交わるといいですね……本当に」


「あり、がとう」


 ユーグは笑みを浮かべて言う。兄であるヘイズの生存を受け、ウォルムの気は緩んでいた。それ故に、張り付けたまま変わらぬユーグの笑顔に、最後まで気付くことはなかった。



 ◆



 度重なる礼の言葉を受けたユーグは、走り去っていくハイセルク兵の背を見届けた。


「行きましたか」


 荷を背負い直し、用が済んだ露天市をゆっくりとした足取りで離れていく。家族、それも戦禍により生き別れた兄弟が同じ道を進むことをユーグ個人として心の底から望んでいた。何せ、あのハイセルク兵には恩義があり、狭い船内で過ごした情もある。


 人波を掻き分け進むユーグは、大仕事を終えた商人そのままであった。尤も、その心臓は早鐘を鳴らすように揺れ動き、手足が震えないよう押さえ込むのに必死であった。首はおろか目さえも正面を見据えたままであるが、擦れ違う人々に異変や違和感がないか、念入りに見定めている。資材採りに利用される廃家が密集する一角にまで入り込み、漸くユーグは石柱の基礎跡へと腰掛けた。幸にして尾行はない。有るとすれば焼け付くようにこびり付いた罪悪感と恐怖心だけであった。


「はぁ、ァ、本国からの厳命とは言え、なんとも」


 虫の鳴くような声で、ユーグは愚痴を漏らす。元々、ユーグは群島諸国の広域における情報を祖国へと齎らす情報源の一人にしか過ぎない。交渉や商談の類であれば多少の経験はあれど、本国で専門的な訓練を積んだ工作員や諜報員ではない。それが脅しの域を超えた鞭と報奨金という飴で、渋々引き受けさせられたのだ。


 誰が好んで引き受けるものか。アデリーナ号の戦闘時、金色にも関わらず濁っているとしか表現出来ない眼で、射すくめられたのを忘れられるはずが無い。あれは人の眼ではなかった。それに加え人伝ではあるが、迷宮都市での動乱、四ヵ国同盟戦、それもサラエボ要塞での蒼炎の惨禍には、ただただ畏怖するばかりだ。誰が信じられる。船上でクラーケン相手に手を抜いていたなど。ユーグを殺すだけなら、片手以下でも釣りが来るだろう。


「本当に、同じ道を歩みたいものです。もし――逸れたら」


 想像が頭を過る。ユーグは言葉を止め、それ以上口にすることを止めた。

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[気になる点] リベリトアくんさぁ… [一言] 分かるよ?国が誇るのは武ではなく財と人脈網から来る諜報や調略だって でもやられる方としてはたまったもんじゃないんだよな
[良い点] ユーグ、口達者だが真っ当な行商人のペルソナに加えて生死を共にした仲とあっては、スレたウォルムでも引っ掛かってしまうのはやむなしですねぇ♪
[一言] リベリトアって現実で言えば制御できず威力の想定も出来ない戦略核を使ったようなものだよね しかもその戦略核って使おうと思えばどの国も使用可能というとんでもない物なわけで これ以上ハイセルクを…
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