第八十話 再誕
かつてグンドール家の居城であった旧王城は、予備の指揮場、兵員詰め所として現在まで機能を果たす。統一戦争で迷宮都市を陥落させたボルジア家は、旧支配者の象徴である居城を破却した。堀や土塁は取り除かれ、積まれた防壁や施設の多くは、ボルジア家の新たな本城に転用される。破城の末に残されたのは、倉庫や兵舎と言った権力の残滓を残さぬものばかり。
仮に、城を移転せずに使い続けていれば、ひっそりと地下に眠る大空間に気付いた者もいたかもしれない。倉庫として転用された部屋、その床材の石板の下に隠匿された入り口は、群島諸国関係者に露見することなく、今日この時を迎える。矮小な入り口とは裏腹に、地下へ地下へと延びる通路は深く、底には天然の空洞を利用した大部屋が広がっていた。その中心に爺と呼称されていたアイゼンバッグ・ファン・グンドール王は佇む。
据え付けられた通信魔道具からは、戦闘に加わらず各所に潜んだ密偵からの情報が飛び込む。混乱から立ち直った群島諸国の守備隊と冒険者により、市内が組織的に鎮圧されていく。スデーリィンに設けていた本拠地は、旧民の末裔であるジーゼルの死と共に陥落。統一戦争時代からの家臣であるファウストも息絶えたが死後、その身に宿した魔を発揮させている。
「死して尚、役目を全うするか」
グンドールがファウストに命じた指示は、時間稼ぎ。旧王城に最も近い城門を制圧、増援を一時でも長く止め、反攻を遅延させるのが任務であった。その役目は見事に果たされている。
「私どもは、此処までです。先に冥府でお待ちしています」
共に作業に従事していた臣下がグンドールに言った。都市中にアンデッドを放ち、要所を奇襲したとは言え、迷宮都市単体でも小国に値する戦力が駐留している。組織的な反攻が始まれば、人員と物量の差で磨り潰されるのは、統一戦争で経験している。
「国家も、民草も失われたと言うのに、一世紀、良く仕えてくれた。儂も、直に逝く。戦果を期待しておれ」
百年連れ添った臣下達が、地上での戦闘に加わる為、階段を駆け上がっていく。グンドールの頭上では絶え間の無い戦闘が続く。ここまで来るのに、随分と長い時間を過ごしてしまった。
「間もなく全てが終わる。終わらせる」
人は劣勢に追い込まれれば、奇策に頼り、何にでも縋る。かつてのグンドールもその一人。敗戦の歴史が示す通り、急ごしらえの策は間に合いはしなかった。
「こやつを動かすには百年だ。百年遅かった」
魔人化部隊と同様に、希釈した真紅草と死霊魔術を併用して、グンドールは延命を果たした。とは言え、完全な真紅草の摂取を果たせなかった身体は、確実に蝕まれていく。狂気に意識を奪われ、辻斬り的に群島諸国の兵を潰したのも一度や二度ではない。
「それでも、今度は間に合った」
グンドールは素体として集められた者達を、潰し、繋ぎ、保存していた。魔法袋により運搬された素材を、眼前の骨格に肉付けしていく。統一戦争以前にまで遡る長いグンドール家の統治の間で、無数の勇士や血族の犠牲によって迷宮から持ち帰ったその遺骸は、一体を再現するに足りる量であった。
喧騒が近付く。その正体は、旧王城を奪還せんとする群島諸国の兵とグンドールの手勢が衝突する戦闘音であった。地下への入り口で、臣下が身を盾に時間を稼ぐ。北部諸国の敗残兵である傭兵は、実に厄介な存在。カロロライア鉱脈では旧民の末裔から成る傭兵団を壊滅、市内でもアンデッドの総数を減らし、ファウストやジュストまでも葬った。それでも、グンドールの悲願は達成されようとしている。
「最後の仕上げに、取り掛かろう」
グンドールは床に刻まれた溝へと松明を投げ込んだ。黒き水が満たされた溝が引火すると、炎が暗闇を走り回り、六芒星と奇怪な文字で構成された紋様を浮かび上がらせる。
「ジーゼルの小僧は舞台に例えておったな。……奴も見届けられんかったか。演劇の準備は整った。役者も観客も揃う。大層、群島諸国の者達は気に入るであろう」
グンドールは短刀を取り出すと、枯れ木のような自身の胸に突き立てた。力任せに胸骨と肋骨を切り開き、右手を胸に突き入れる。砕けた骨を押し退け、腕は鼓動する心臓を掴み取ると躊躇なく引き抜く。グンドールは眼前に鎮座するソレに掲げる。心臓を失ったグンドールの肉は溶けだし、人間であったものを皮ごと脱ぎ捨てた。
骨だけになった頭蓋の眼光が、怪しく光る。不死の王。天賦の才を持った死霊魔術師が、一世紀に渡る研鑽と真紅草を得て変貌したものであった。尚も胎動する心臓を掲げたグンドールは、硝子を擦り合わせたような声色で、慟哭する。
「我が身全て、供物に捧げるッ!! その姿を現世に現し、力を振るえ。忌わしき、ベルガナを死で埋め尽くせぇえええ!!」
呼応するように紋様が揺らめいた。中身の無い、ガワだけの存在であったそれは、龍脈の魔力を汲み上げ動き始める。黒々とした顎門を開き、グンドールを一飲みにする。更なる生を求めるソレは、窮屈な地下の天蓋を打ち破り、その身体を陽の下に晒す。冥府より呼び起こされたそれは、再誕を告げるように天高く咆哮を上げた。
◆
指揮権を継承したトリィオは、全身全霊を賭けて本分を全うした。都市の子細が記された地図の上からは、敵に模した駒が取り払われていく。本城に設置された指揮場は、その指揮機能を取り戻し、市内の敵を一掃しつつあった。城門に出現した死霊騎士には、多大な犠牲を強いられたが、森林同盟から派遣されていた探索隊を中心に討ち取られる。敵の主力は旧グンドール王城を残すのみ。
周辺地域からの増援も順次到着している。指揮場に詰める誰もが口に出さないが、大勢は決していた。最大の懸念は、先の時代の亡霊の後ろにいるメイリス共和国であった。事前に計画された演習を名目に、国境近くへと軍を派遣している。動乱と同時期に、出来すぎた話であろう。その軍勢に動きはない。旧盟の残滓を焚き付けたはいいが、都市の防衛戦力を見誤り、二の足を踏んでいるか。トリィオの結論は出ない。
「トリィオ様、旧グンドール王城より知らせが。施設の大半の奪還に成功した模様です」
指揮場に駆けつけていた将や兵士からは、感嘆の声が漏れる。同調しそうになったトリィオであったが、通信手の言葉に引っ掛かりを覚えた。
「大半と言ったが、残る箇所はどこだ?」
「備蓄倉庫です。頑強な抵抗が続いているそうで」
トリィオは記憶を探る。倉庫の外壁は、備蓄物の盗難を防ぐために厚く、石壁は多少の魔法を跳ね返す。入り口も限られ、籠城するには悪くない場所であった。同時にトリィオには疑問が浮かぶ。防御に適した場所ならば、独立式の城塔、側防塔や城壁の一角を占拠する手もあった。共和国の後詰もその方が益がある。
「破城により、旧王城そのものは無い。倉庫は、都市国家時代から使われている。自分たちの歴史が残る場所で、果てるつもりか……一世紀も潜伏を続けた奴らが、か?」
胸騒ぎを覚えたトリィオだが、現場の兵は死力を尽くしている。通信魔道具越しに幾ら叫ぼうが、結果は変わらない。頭の片隅には情報を残しつつも、トリィオの意識は被害の確認や後処理に移った。それから間もなくして、続報が入る。
「倉庫を制圧しましたが、地下への通路を発見。死兵の一部が通路を塞いでおり、先が何処に繋がっているかは現時点では不明です」
「アンデッドが湧き出た通路の一つか」
統一戦争時代に作られたと推察される地下壕や通路から、アンデッドは市内に湧き出た。その一つが旧王城跡地に残されていても不思議ではない。
「残党の残党など、冗談ではない。絶対に逃がすな」
トリィオは語気を強めて命令した。これだけの強固な抵抗だ。亡霊達の首謀者が地下から逃げ延びるのは、十分に有り得た。追撃の結果を待つトリィオは、カップに注がれた水が、小さく揺れていることに気付く。その波紋は鎮まるどころか、強さを増していく。
「な、なんだ」
「揺れているぞ!?」
動揺する兵の中で、トリィオは地下に潜る残敵と揺れを結び付けた。
「逃げたんじゃない。奴ら、地下で何をした」
自問自答をしたトリィオであったが、城を揺るがすほどの轟音に耳を塞いだ。格子が嵌められた硝子窓が爆ぜるように撒き散らされる。トリィオを庇うために、兵士が身を重ねた。
「トリィオ様!」
「大事はない。それよりも今の音は――」
窓から遠方に目を向けたトリィオは、言葉が出なかった。一族の死を告げられた時も耐えた腕が小刻みに震える。人が持つ原初の恐怖。絞り出した声でトリィオはその名を口にした。
「ふ……腐骨龍っ」
意志を持つ天災と呼ばれる龍種、その中でも迷宮の主、現世と交わることのなかった腐骨龍が迷宮都市に降臨していた。
「やつらめ、これが狙いかァああ!!」
無造作に踏み出された一歩で家屋が崩壊、尾が兵を薙ぐ。不意に市内へと鎌首を持ち上げた腐骨龍は、顎を開き不揃いの牙を晒す。大気と地上を禍々しい魔力が犯し、集約していく。指揮場に集う面々は、情けなくも息を漏らし、見ていることしかできない。数十万の民が営みを紡ぐ都市に、比類なき龍の息吹が放たれた。




