第十四話
フェリウス王国マイヤード方面軍の指揮を一任されていたのは、王族でもあるウィンストン・フェリウスだった。
王位継承権第二位であり、軍学校を主席で卒業したウィンストンは、贔屓目無しで見たとしても大戦で司令官を任命されるのに相応しい人物だった。
集団の運用に長け、幼少からの英才教育により、個人技も騎士に後れを取らない程だ。小競り合いから本格的な野戦まで経験しており、今回の出兵にも自信を持って臨んでいた。
補佐する参謀や将軍も、日々の修練と経験を積んだ精鋭と名高い者ばかりだった。そんなウィンストンは人生初めてとなる強い焦燥感に襲われていた。
「敵兵の勢いが止まりませんッ!!」
「馬防柵が引き倒されます。敵は眼前まで迫ってきています」
次々と飛び込む凶報に、ウィンストンは歯が砕けんばかりに、奥歯を噛み締めた。
「騎兵だけならまだしも、敵は6kmの道を一個大隊の歩兵を相手取りながら、丘までやってきたのだぞ。そんな奴らに何故押し切られている!?」
ありえない。そう、有り得ないと状況を整理する。民兵混じりのマイヤードは高度な運動戦には適していない。
その為、事前の軍議でマイヤード首都へと繋がる丘の防御を固め、フェリウス・マイヤードどちらかの陣地に食い付いたハイセルク軍を前線で拘束して、包囲網を築き、野戦軍を壊滅させる腹積もりだった。
敵は予想通り、弱兵が揃うマイヤード陣地に攻撃を仕掛けた。その上、防御を固めたマイヤード兵の陣地を攻め切れずに、戦線が膠着していた。
前掛かりになった敵軍を半包囲した時には、負けはあり得ないとウィンストンは確信していた。それが今では窮地に立たされていた。
騎兵だけならば陣地まで強襲を仕掛けてくるのは、ウィンストンや将兵は予想していた。その為の入念な馬防柵と、本陣の予備に備えていた2000人の兵だ。
マイヤードと異なり、常日頃から訓練を積んでいる常備兵だ。戦争に明け暮れるハイセルク兵ですら相手取れる筈であった。
騎兵の突撃に追走する軽装歩兵など、ウィンストンは聞いた事が無かった。仮令追走出来たとしても疲労困憊でまともな戦闘など不可能だ。
それをハイセルク帝国軍は実現した。左翼から詰めていたマイヤードの歩兵部隊を騎兵と共に蹂躙せしめ、丘で防御態勢を取っていたフェリウス兵すら突破されようとしている。
「……ウィンストン様、ここは危険です。最後尾の大隊の位置まで合流するしかありません」
意を決した軍師の一人が、ウィンストンの説得に掛かった。
「馬鹿な。本陣を放棄して逃げろと言うのか」
右翼では主力が猛攻を継続中だった。ここで本陣を放棄して丘を開け渡せば、主力が大打撃を受ける事になる。ウィンストンには受け入れがたい提案だった。
「司令官が討ち死されては、総軍が大崩れします。今は丘を明け渡し、立て直すべきですッ!!」
「う、ぐう……」
軍師の意見に、ウィンストンは呻きながら逡巡する。敵は4000人規模の集団だ。後続の大隊さえ合流すればまだ持ち堪えられる。左翼の蹴散らされたマイヤードの部隊も、速度を優先した敵により戦闘能力をまだ残している。時間さえ稼げばフェリウスの勝利は間違いない。
ウィンストンは即断出来ずにいた。ここで丘を放棄すれば、平原での勝利は遠くなる。
前線では魔法による轟音が響く。風に乗り届く悲鳴は、フェリウス兵のものに違いない。軍人として、王族としての務めを放棄して、後退する結論をウィンストンは出せずにいた。
血塗れの兵が本陣に転がり込んで来る。
「何事か、ウィンストン様の前だぞ!?」
叱責する騎士を無視する形で、兵士は叫んだ。
「馬防柵が突破されました。敵の騎兵隊が雪崩れ込んで来ます。もはや維持が出来ません!!」
その知らせは本陣にいた全員を絶望させるのに十分な知らせだった。
「ウィンストン様、直ぐに離脱を、ここは我らが!!」
最初に反応をしたのは、ウィンストン直下の兵だった。
「お連れしろッ!!」
ウィンストンが結論を下す前に、直下の兵達と軍師がウィンストンを押し、本陣から連れ去る。
「偽装の集団も離脱させろ。直ぐそこまで迫っているぞ」
本陣の天幕が爆炎で弾け飛ぶ、敵がウィンストンの間近まで迫っていた。
「何としても食い止めろ!!」
「来たぞ。軽装歩兵だ」
視界の端で、ウィンストンが絶大な信頼を置いていた筈の近衛兵達が敵の雑兵に討ち取られて行くのが、見えた。
一人は筋骨隆々の男だったが、別のもう一人にウィンストンは目を奪われた。何の変哲もない無害そうな男がスキルを発動させ、鎧ごと近衛兵を切断したからだ。
「は、ハイセルク兵、恐るべし」
雑兵ですらあの技量を持つとなれば、平原での決戦は無謀であったとウィンストンは悟った。マイヤードの首都であるエイデンバーグを巻き込み、籠城戦を挑むべきであったのだ。
それでも近衛兵達は、主人であるウィンストンを逃す働きをしていた。問題があったとすれば、この世界において、戦術や数十人の人数差を覆す個人が存在する事だった。
ウィンストンは背中に熱気を感じ、振り向こうとした瞬間、左右の兵が自身に覆い被さった事に気付いた。直後、耐えがたい熱量と共に猛炎が周囲に撒き散らされた。
「な、何が……」
意識が朦朧とするウィンストンが見た光景は、一面の炎と風であった。ウィンストンを懸命に守ろうとした兵達は、火に巻かれ、踊り狂うように手足をばたつかせ、動かなくなって行く。
ウィンストンを庇った兵は半身を焦され、息絶え絶えに呼吸をする。
「おい、しっかりしろ!!」
ウィンストンは昔の戦場話を思い出した。教育係である古参兵が話してくれた筈だ。『戦場で青い炎を見かけたら、それは冥府への送り火、誘われたら死が待っています。それの名は――』
単なる迷信か、与太話の類だとウィンストンは考えていたが、それは実在し、自身へと迫ろうとしていた。
「お……《鬼火》」
そのスキルを持った敵は、先程の特徴の無い兵士だった。燃え盛る兵士達の間を悠然と歩きながら、迫ってくる。
「後はお前だけだ……司令官だな」
刈り残した雑草を見るかのように、無表情でその男はウィンストンに告げた。




