第六十九話
統一戦争以来、初めてベルガナ出身の制覇者が生まれ、迷宮都市は感謝祭の如く賑わいを見せる。冷めやらぬ熱気に包まれる街中とは裏腹に、その一室に漂う空気は、冷たく澱んだままであった。
「制覇者が出た。よりにもよって、あの傭兵が所属するパーティだ」
傭兵は弟の仇だけではなく、今度は迷宮の制覇者として、ジーゼルの前に立ちふさがろうとしている。何処までも関わる運命なのだと、ジーゼルは感銘すら覚えた。
「そう不思議でもあるまい。鬼火と魔眼持ちだ。それに三魔撃が加われば届き得るで、あろうな」
危機感を募らせるジーゼルとは対照的に、僅かな揺らぎも見せずに爺は言い切った。
「牙や爪は持ち帰ったようですが、まさか完全体の腐骨龍を」
ファウストの疑念に爺が答える。
「腐骨龍の完全体を葬るには、火力が不足しておる。易々と墜ちるほど、龍は安い存在ではない。五人揃って帰還したということは、供物を捧げず、機転を利かせて抜け道を探し当てたか。それでも成し遂げたことには違いはない。制覇者というのは、力だけで到達するものではないからのう」
不完全であれ、三魔撃のパーティが龍殺しを成し遂げたとすれば、ジーゼルの配下では正面から殺し切るのは困難だ。メリルに加え、冒険者ギルドやボルジア領兵の横槍も想定しなければならない。
「ジュストも面倒な奴に、殺されてくれたもんだ」
死んでも面倒事ばかり増やす亡き弟に、ジーゼルは呆れかえるばかり。預けていた多数の構成員が失われたのも痛手だ。
「そう嘆くな。ジーゼル」
幼児をあやすような物言いに、ジーゼルはしかめっ面で首を振った。スラム街でジーゼルにこのような言葉を吐けるのは、爺だけであった。残る抑え役と言えばファウストぐらいのものであったが、糞真面目な男は、気の利いた言葉を掛けられもしないだろう。
「何か妙案でもあるのか、爺」
「底に潜り続けられれば、都市戦力の増大は必須。第二、第三の制覇者が出れば我らも詰みだ。制覇者という節目、都市そのもの、あらゆる人間が浮かれている。頃合いであろうな」
容易には表情を悟らせない枯れ木のような老人は、確かに笑った。どのような感情か、ジーゼルが完全に知る由もない。ファウストを頼りに読み解こうにも、迷宮での失態以来、能面を顔に張り付けたままだ。とは言え、大事なことは爺が直接動くということであった。これまで暗闇に、人の手を引くことはあっても、その身を晒すことはなかった。
「一切合切って訳か。まあ、手段はどうであれ、俺は傭兵が死ねばそれでいい」
ジーゼルは割り切れる性格だ。暗闇に潜み続けた怪人が表舞台に出ようとしている。迷宮都市にとっては確かに節目になるだろう。死を連れ添って、ジーゼルもその宴に参加する。その過程で、仇が取れるのであれば手間はなく、冥府の愚弟も文句は言うまい。
汚泥の如くスラムで、長い歳月を掛けて育まれ膨張を続けた悪意は、静かに生まれ落ちようとしていた。
◆
人狩りとの戦闘で負傷した際、ウォルムは治療を受けた上で応接室に軟禁となった。それがこの短期間で軟禁場所に舞い戻る羽目になるとは、想像もしていない。滞在を強いられた前回の一室よりも格段に広く、部屋数も確保されていた。食事はもちろんのこと、間食まで運ばれてくる。容疑者扱いされていた時よりも格段に待遇が良かった。尤も、表立って拗ねるほどウォルムも幼稚では無い。制覇者と身元の怪しい容疑者との差は有って当然なのだから。
ウォルムが治療魔術師により定期治療を受ける中、最も軽傷だったメリルは外に出向き、ギルド関係者との協議に応じていた。何せ、待望された制覇者だ。その期待は大きく、冒険者ギルドから軍部、貴族までと来訪者は後を絶たない。それに迷宮の底に関する情報は希少で、僅かにでも引き出そうと誰もが躍起になっている。冒険者ギルドに所属するメリルは、侯爵家と冒険者ギルドを盾に躱しているようだが、身が休まる暇もない。
そんな疲労困憊なメリルを労わる為に、ウォルムはある食材を冒険者ギルドに提供した。その食材はクラーケンの肉であり、夕食として生まれ変わり眼前に鎮座している。クラーケンの触手を塩で炒めたシンプルな品から、小麦粉をまぶし揚げたタコからもどきまで揃う。ギルドお抱えの料理人は実に優秀であった。
「……こ、この触手食べられるのかい?」
迷宮では如何なる時も常に冷静で、腐骨龍すら葬ったメリルは、声を震わせていた。ウォルムもかつての世界で蛸や烏賊などを食したことはあったが、この世界に生れ落ちてからは経験はない。見た目は多少大きいぐらいで、形状そのものには変化はない。まず問題なく食べられる、とウォルムは確信を持つ。
「船乗りは珍重していたぞ」
「そりゃ、珍味で、高級食材なのは知っているけど、見た目がね」
「お前らも遠慮するな」
海中に起因する触手に後天的嫌悪感を抱えないウォルムだが、それらの食材に触れ合う経験の無いメリルは、食すにも覚悟が必要らしい。仕方ないと他の面々にも催促するが、クラーケンの触手と睨めっこを続けるばかり。ハリですらも唸り声を上げる。今でこそ慣れたが、ウォルムから言わせれば、得体のしれない人型の豚を食す方が勇気が要る。
そんなウォルムの言動に反発するように、マリアンテが皿を押し返す。そして善意に擬態した押し売りが始まった。
「ウォルムとハリが一番重傷なんだから、最初は二人じゃない」
「うぬぅうッ゛っ、少しばかり卑怯ではないか、マリアンテ」
ハリは珍しく狼狽え抵抗を試みる。様子見や鍔迫り合いばかりで、埒が明かない。ウォルムは唐突にフォークで触手を突き差し、一挙に口に放り込んだ。
「え、ぁっ」
メリルはまるでウォルムが毒物を摂取したかのように、声を漏らす。一方のウォルムはたこからもどきを味わうのに忙しい。乱切りにされた厚みのある肉質は、実に噛み応えがあった。吸盤の食感がアクセントとなり、まるで口の中で弾ける。噛めば噛むほど、旨味が舌に広がるではないか。
「味は、大丈夫なの?」
マリアンテが恐る恐る探りを入れる。良く噛み、一頻り堪能したウォルムは飲み込み答えた。
「美味いぞ。歯ごたえだけで言えば、魚というより弾力のある肉に近い」
ウォルムも食品の味を言葉に表すのに慣れている訳ではない。どうすれば伝わるかと頭を悩まし、次々食べてみせるのが、最も効果的だと判断した。
「匂いもいいだろう」
これほどまでにウォルムの食事風景を凝視されるのも珍しいが、彼らは真剣そのものであった。遂に観念したのか、メリルが一番槍を買って出る。
「……僕がいくよ」
メリルは恐る恐る口に運び、触手を味わい始めた。一同が固唾を呑んで見守る。
「うん、美味しいね」
肩を張っていたメリルは笑みを浮かべた。先駆者を得て、堰を切ったようにパーティメンバーもクラーケンを口に運ぶ。食す前はあれ程警戒していたクラーケンの肉も、食べてしまえば口を揃えて褒め称える。
海産物を主とした夕食を終えたウォルムは、ギルドハウスの外に居た。重傷の身も連日の回復魔法と静養により、一人で抜け出せる程度には傷が癒えている。クラーケンを食した影響だろう。胃が熱を持ち、腹部から頭の先まで火照る。心臓の鼓動も普段よりも早い。この即効性だ。間違いなく滋養強壮に優れている。跡取りを待望する貴族が好み、食せば死者も飛び起きるとは、言ったものであった。
不夜城と化した迷宮からは、相も変わらず喧騒が響く。人気の少ない場所を探り、裏手へ回るうちに、ウォルムは古ぼけた石碑の前に辿り着く。それは鎮魂碑であった。統一戦争時代にまで遡るそれは、手入れが施されておらず、半ば朽ち果てている。
腰袋から二本の煙草を取り出したウォルムは火を灯し、片方を鎮魂碑の根元へ、もう片方を自身の口に運ぶ。線香替わりにはならないのは重々承知していた。
吸い込んだ紫煙を吐き出す。煙は空へと霧散していく。舌に残るのは苦々しい味だ。肺腑に良くないのも承知している。それでもウォルムには必要であった。人の死は重いと学び、二つの人生、様々な立場で経験した。それでも人の死は時が経てば風化し、忘れられ、やがては消えてしまうのかもしれない。
鎮魂碑の台座からもゆっくりと煙が立ち込める。ぼんやりと眺め続けながら、ウォルムは夜風で身を冷ます。取り留めの無いことばかり浮かんでは、煙と共に流れていく。それを終えたのは、足音が近づいたからだ。
「仕事が終わったのか」
振り返れば、職務を終えたリージィが佇んていた。ウォルムがふらふらと敷地内を徘徊する様を見られていたのだろう。
「はい、今日の業務は終えました。中々時間が合わずに遅れてしまいましたが、迷宮の制覇おめでとうございます」
律儀にも受付嬢は祝いの言葉を届けに来たらしい。煙草を握り潰し、向かい合ったウォルムは礼を返す。
「わざわざ業務外にありがとう。制覇はリージィが声を掛けてくれたお陰だ。今も一人だったら、まだ迷宮内を彷徨っているか、死んでいたかもしれない。本当に感謝している」
偽りのない本音をウォルムは吐露する。深層以降の度重なる困難は、ウォルム一人では打開できなかっただろう。
「探索者の支援は業務の一環ですからね。それにお礼なら既に頂きました」
リージィは袖をずらすと、真紅草をモチーフとした銀細工の腕輪を示す。ウォルムが送った品を身に着けてくれていた。
「結果を考えたら、随分と安上がりの贈り物になったな」
「不躾ですね」
機嫌を損なったリージィは僅かに口を尖らせる。ウォルムは己の失言を認め、降参とばかりに肩を竦めた。
「悪いな。田舎生まれの軍隊育ちで、礼儀に疎い」
「ふふ、前にも似たような言い訳を聞いた気がします。でも、その割には、先人に対する敬意は忘れてはいないんですね」
リージィの視線を辿ると、ウォルムが台座に捧げた煙草に行き着く。今も燻る火は、夜空に紫煙を吐き出し続けていた。
「善意じゃない。後ろめたさに髪を引かれる、小心者なだけだ」
かつての世界からもそうであった。誰も訪れぬ朽ち果てた神社に、有り合わせの供え物を置いたり、業務外だというのに、顧客からの電話にも出てしまう。見て見ぬフリもできる強さが有れば、もっと違う生き方もできただろう。バツが悪いウォルムは顔を顰めた。そんな様子を見たリージィは、間も置かずに断言する。
「そうだとしても、私には義理堅いように映ります。口にするだけの人よりも余程、信用ができますよ」
「有難い言葉だな」
沈黙が流れる中、リージィがウォルムに問う。
「ウォルムさん、探し物は迷宮の底で見つかりましたか?」
「どうにか見つかった」
追い求めた秘宝、真紅草は静かにウォルムの腰袋に収まっていた。それは迷宮に留まる理由が無くなったことを意味する。
「パーティはどうするんですか」
「目的は達した。契約に従い、このまま脱退するつもりだ」
所詮、ウォルムの役割は一時凌ぎの間男と変わらない。更なる名声を得た三魔撃のパーティーなら、血生臭い敗残兵よりも、清廉潔白でより優れた仲間が見つかる。
「パーティメンバーにはもう話を」
「……まだだ」
問題は、ウォルムが迷宮から帰還して、脱退する時期を逃したことだ。このまま善意に甘え、ずるずると関係を引き伸ばすのも躊躇われる。
「彼らは、ウォルムさんの脱退は望んでいないと思います」
ウォルムは横槍を入れず、黙ってリージィの言葉に耳を傾け続ける。
「今のメリルさんは多忙でしょう。来賓の方が引っ切り無しに訪れますからね。それでもウォルムさんを気に掛けていて、それは他の方も同じです。式典が終わるまで、本加入の選択肢も考えてはどうですか。職員としても――私個人としても、強く望みます」
即答せずに、ウォルムは考え込む。凄惨な戦場、崩壊した祖国、死んでいった戦友の記憶は、ハイセルクの地を離れても尚、ウォルムを縛り続けていた。思考が阻害されるほどに酒を浴び、汚泥の中で腐り続ける感覚は、今は薄れつつある。これまでの出会いや迷宮都市での経験が記憶を薄れさせたか、それとも人として僅かに成長できたのか。答えは出ない。リージィは何も言わず待ってくれている。
「正直、冒険者は昔から嫌いだ。仲間という間柄も苦手かもしれない。それでも前よりは慣れ、少しだけ好きになっている。……そうだな。迷宮都市に来て、リージィには何度も助けられた。意地を張らずに、式典が終えたら今後を話し合ってみる」
ウォルムの答えに、リージィは満足げに頷いた。




