第六十八話
ベルガナの迷宮には、冒険者ギルドが直営するギルドハウスと呼ばれる施設が存在する。一般の受け付け口と明確に分け隔たれたフロアは、迷宮で長期的に活動する為に必要なモノが全て揃う。登録料や使用料など、活動費用こそ発生するが恩恵は多岐に渡る。多数の職員による各種補助、素材の加工、優秀な治療魔術師の常駐、仮眠所から食事処まで完備されていた。
定期的に開催される講習では、階層ごとに出没する魔物の知識が得られ、実戦形式ともなればギルドの認定を受けた上位の冒険者と契約方式で、迷宮に潜ることも可能であった。一部の跳ね返りや身銭を惜しんで一般向けの入り口から、迷宮の中層以降に挑む者は少なくない。その結果は、ギルドが発表する統計に色濃く表れ、一般利用者とギルドハウス利用者との死傷率は大きな隔たりがあった。
中層に出入りするようになったペイルーズは、手持ちの資金に余裕が生まれ、ギルドハウスを積極的に利用し始めていた。不本意ながらもパーティの長の座に付かされているペイルーズにとって、学び取らなければならないものは多い。座学から始まり、応急処置、危機管理、ボルジア領兵からも個人戦闘の手解きを受けた。
有事の際に、冒険者は防衛戦力の一翼として期待されていると、ペイルーズは教導役の領兵から聞き及んでいる。ベルガナの迷宮はボルジア侯爵家の所有物であり、ギルドはその管理と運営をまかされているに過ぎない。領主としては維持費が掛からない予備兵力扱いであった。ペイルーズは兵士になった覚えはないが、恩恵だけを受けて何も協力しないほど、恩知らずでもない。故郷の農村を離れた今、ベルガナは第二の故郷と言える。何事も持ちつ持たれつであろう。
午前中、ペイルーズは迷宮内で優先すべき行動に関する講義を受け、重くなった瞼を仮眠室で解消した。既に陽は陰り、双子月が顔をみせようとしている。幸いにして、迷宮には昼夜は関係ない。パーティは昨日まで休息日であった。各自が思い思いの休養を楽しんだことだろう。休み明けというのは、動きが重く硬くなる。講義で得た知識を踏まえ、ゆっくりと慣らしていくつもりであった。
待ち合わせを兼ねた受付前に、ぽつりぽつりとメンバーが揃っていく。残りはリークだけであったが、時間通りには揃わないだろう。リークは何かに夢中になっていると遅刻する癖がある。待たされるのにも慣れてしまったペイルーズは、待ち惚けも癪だと思考を切り替えた。
「リークが来るまで軽食でも取るか、何か食べたか?」
「二時間前にね。迷宮に入るとゆっくり食事も取れないし、食べましょ」
ドナの快諾を得たペイルーズは、売店に向かう。マッティオからの言葉は待たなかった。この少年は常に飢えているのだ。聞いたところで返事は同じ。その証拠にマッティオは何を口にするか、思考の海に飛び込み現世から精神を解脱させている。それでも食事の匂いに誘われてか、ふらふらとペイルーズの後ろを辿る。定番と言えばオーク肉であった。
「オーク肉は――」
「……えぇ、迷宮内でも食べるのに、嫌よっ」
オーク肉という言葉に、ドナは反射的に拒絶の意を唱える。マッティオですら露骨に顔を顰めていた。ペイルーズ達はオーク肉をばらして運び出し、残った端材で食生活を担う。味は美味ではある。それでも慢性的にオーク肉を食せば、飽きと言う弊害が訪れる。焼いたり、煮たり、揚げたりと試行錯誤は重ねた。それでも毎日三食続くオーク肉に飽きるな、というのは酷であろう。そんなペイルーズを嘲るように、甘い匂いが漂い脳を蝕む。
「くっ、菓子か……」
ベルガナでは迷宮産のオーク肉が安定的に供給され、塩漬けの魚と並び安価な食品の代表である。それらの食品と比較して割高なのは、小麦を利用した菓子であった。普段から脂と塩気の利いた食べ物ばかり摂取する冒険者達は、甘味に飢えている。立て看板に提示された値段は、決して硬貨袋に優しくない。そもそもオーク肉であれば、格安かタダである。
甘蔗由来の香しい匂いが一行を誘う。マッティオが砂糖の手招きに屈し、夢遊病の如く足取りで近付いていく。育ち盛りの冒険者を、けしからぬ匂いで誘き寄せるとは、実に罪深い店だとペイルーズは罵る。だが、その誘惑には逆らえなかった。
寂しくなった財布とは裏腹に、ペイルーズの胃は満足感を覚える。要らぬ出費を強いられ、まだ見ぬリークに憎悪を募らせる中、件の少年が駆け込んでくる。
「幾ら何でも遅いぞ。また寄り道したのか」
衣服に移った甘い匂いとは裏腹に、苦言を呈したペイルーズだが、リークの様子が普段と異なっていることに気付く。わたわたと手振りを交えて捲し立てる。
「遅れたのは悪いけど、それどころじゃないって。迷宮から制覇者が出たらしい。ギルドハウスの立ち入り制限の掛かった区画からひょっこり出て来て、大騒ぎになっている!!」
「は!? 迷宮を制覇した奴が居るのかっ」
ペイルーズは中層にこそ到達したが、同業者により間引きが進んだ中層の入り口で、慎重に獲物を選び戦う日々だ。深層ともなれば潜れるパーティは極端に限られる。厄介で強靭な魔物は断続的に押し寄せ、休む暇もない。ペイルーズが仲間と死力を尽くしたとしても、深層の魔物一体を道づれにできれば、上出来であろう。
「それで誰が制覇したの?」
早く教えろとばかりに、ドナが早口で詰めた。冒険者の端くれとしては当然であろう。口にこそしないが、ペイルーズとて気になって仕方がない。
「三魔撃のパーティらしい。あっちで人だかりができてる。見にいこう!」
ペイルーズは誘われるままリークに続く。人込みを縫い、他の冒険者からは押すなと叱責混じりに小突かれながらも、僅かな隙間を頼りに突き進む。無数の人波を越えた先に、ペイルーズはその面々を捉える。職員に連れ添われ、ギルドハウスの奥から治療所に向かう途中であった。装備は擦れ損耗し、無数の死闘を潜り抜けたことを色濃く示す。防具では受けきれなかった猛攻により、全員が負傷している。そこに華やかさなどはない。満身創痍、その一言に尽きた。
「うぇ、凄い怪我だな。無事じゃ済まなかったんだ」
「ぼろぼろなんだけど……怪我だらけの冒険者って、不思議とかっこよく見える」
「そうだな」
ドナの言葉に返事をするペイルーズであったが、その眼は一人の男に奪われたままだ。最近になって三魔撃のパーティに加入したあの傭兵であった。身に着けた鎧は、まるで巨大な何かに握りつぶされたように無残に拉げている。へし折れた手足は添え木により固定され、三魔撃のメリルに身を支えられていた。
「っ、ぅ」
まじまじと見つめるペイルーズの視線を気取られ、暗く濁った眼がペイルーズに向けられる。寒気を覚える目つきであった。それでもペイルーズは目を逸らさない。出会った当初は、ただただ恐怖し、酷く狼狽するだけであったが、今は恐怖よりも興味が勝っていた。正確に言うのであれば、それは淡い羨望も含まれているだろう。
「暗いのに、眩しい、な」
傭兵の背を見かける度、その姿は忘れられぬ記憶となってペイルーズに刻まれる。動きを捉えさせない足取りと受け流し、ボーンコレクターすら容易に断ち切る一閃、気付けばペイルーズは傭兵を目で追うようになっていた。単身でも三十階層に到達する猛者、今のペイルーズが十人居たところで届きもしないだろう。一斉に斬り掛かったところで、死体の山が築かれるに違いない。それでもペイルーズは決意した。その強さの一端に、僅かでも近づいてみせると。
ペイルーズはウォルムと呼ばれる傭兵に何も投げ掛けない。死力を尽くし、迷宮を制覇した彼らに、ただただ無言の称賛を送り続けた。
 




