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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第二章

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第六十四話

 ベルガナの大迷宮、第三十六階層、ドワーフでさえ容易には立ち入らない底へ至る一歩。人を拒むかのように、深層は厳かに静謐さを保っていた。微かな息遣い、不規則に石畳を踏みつける足音だけがウォルムの鼓膜に届く。


 ウォルムは通路の先に広がる暗闇から足元、壁、天井へと視線を滑らせる。そうして最後に、ウォルムの前を進むハリに異常は無いか視界に収めた。ウォルムの背後にはパーティメンバーであるユナ、マリアンテ、メリルが続き背後を任せている。隊列に於けるウォルムの役割は、僅かに先行するハリの補助であった。壁役であり、前後の繋ぎ役でもあり、行動には柔軟性が求められる。


 第三十六階層はこれまでの通路と比較しても、高さ、幅共に不必要なまでに広い。サイクロプスが並び歩いたとしても、悠々と動き回れるだろう。これまで以上に立体的な警戒が必須であった。


 粛々と一団が迷宮の深みを重ねる中、先行するハリが拳を突き上げた。警戒を知らせる手信号に、短い隊列はぴたりと動きを止め、各自が息を潜める。微かではあるが、ウォルムの耳も弾性の高い手鞠が跳ね回るような音を捉えた。当然、迷宮で手鞠に興じる幼子など居ない。たっ、だっと鈍い音は増し、明確な指向性を持って、パーティへ迫っていた。


「完全に捕捉されたね。戦闘準備、来るよ」


 パーティの頭であるメリルの命は下された。戦闘は回避不能と判断され、それぞれが細めていた呼吸を戻し、準備に取り掛かる。ウォルムは魔力を練り上げ、ユナは弦に矢を番える。通路を飛ぶような速さで迫るのは、七体の魔物であった。


「キマイラ三、ケルベロス四ッ」


 ハリは魔物を種別ごとに報告する。ウルフやオルトロスとの戦闘経験のあるウォルムであったが、それらと比較して三つ頭の狼は巨大。子狼と成狼ほどの開きがあった。並走するキマイラに関しては、ケルベロスよりも更に一回り大きい。獅子の頭部に山羊の下半身、尾骶骨から先はぬるりと大蛇が生える。異形の群れがパーティに牙を立てようといきり立つ。


 ウォルムは発現させた火球を群れの中心に打ち込む。軽快な脚を持つ七匹ではあるが、既に回避が間に合う間合いではない。数体を痛めつけられれば戦闘が優位に進む。そうしたウォルムの思惑であったが、キマイラ三体が頬を膨らませると、火炎を吐き出した。蒼炎と紅蓮が交じり合い、肌を炙る。薄暗闇に支配されていた通路は炎により暴かれ、一層、魔物の姿が浮かび上がった。


「相殺された!? 左右から来るぞ!!」


 火球を火炎により止められたウォルムは、仲間へと警告する。広がる火炎の波を避け、魔物は左右に分かれた。


「ウォルム、ユナ、そっちは頼むッ」


 メリルはマリアンテとハリと共に、キマイラ一体、ケルベロス四体との戦闘に入った。メリルが放った風属性魔法により、猛火が更に踊り狂う。二体のキマイラが目出度くウォルムとユナの取り分となった。辞退を申しつけようにも、メリル達は更に多数の魔物を相手取っている。文句も言っていられない。張り詰めた弦から矢が飛び出ると、火の波間を抜けてキマイラの胴部に到達する。キマイラが身を揺すれば、身震いと共に食い込んでいた鏃が抜け落ちる。


「硬いっ」


 悔し気にユナは言葉を漏らした。距離も関係しているだろうが、重厚な筋骨の密度に加え、濃密な魔力膜を体に張り巡らせている。同族の火炎を受けても効き目は薄いであろう。忌々しいことに、それはウォルムの火属性魔法に対しても同様であった。


「こっちだ、出来損ないィっ!!」


 腹から声を張り上げ、ウォルムは魔物を誘う。上品な言葉使いの甲斐あってか、上段で斧槍を構えたウォルムの下に、キマイラが飛び込む素振りを見せる。


 タイミングを合わせ斧槍を叩き下ろそうとしたウォルムであったが、キマイラの後ろ脚の筋肉がまるで隆起するように張り詰め、解き放たれる。斧槍の一撃から脱するようにキマイラは横合いに跳ねた。側面を回る動きを見せる合成獣をウォルムは目で追う。


「ウォルム、そっちに行った」


 ユナと相対していたもう一体のキマイラが、ウォルムへと標的を切り替えていた。背を向けたことにより、太腿と腰骨に矢が撃ち込まれていたが、些事だと言わんばかりにその顎をウォルムに差し向け、喉笛を食い破ろうと涎を垂らす。


「《バースト》!!」


 地面を蹴り上げながら風属性魔法を使用したウォルムは、一挙に身体を加速させる。獅子の顎は空を噛む。巨体に見合う間合いを考慮して逃れたウォルムであったが、尾から伸びた大蛇はその進路を読み取り、毒牙を突き立てる。


「このっ」


 石突きで強打された蛇頭の身はのたうち回り、虚空に毒液をまき散らす。息つく暇もなく、側面に回っていたキマイラが、ウォルムの頭上から鉤爪を叩き下ろした。多少の抵抗など意味を成さない。覚悟を固めたウォルムは石突きを地面と靴底で固定し、斧槍の穂先を立たせる。直ぐに衝撃が訪れた。腕が軋むほどの力に耐え柄を保持し続ける。キマイラの前腕骨に食い込んだ刀身は骨を削り、肉を裂く。


 ウォルムは石突きを踵で蹴り上げ、柄を脇に挟み込む。そうして全身の力で斧槍を捩じる。半ばまで断ち切れていたキマイラの片腕は耐え切れず、筋繊維をぶちぶちと音を立て断裂。引き千切れた腕が石畳へ落ちた。硝子をこすり合わせるような不快な叫びをキマイラは上げる。


 随分と痛がるではないか。ウォルムはその声に満足感を覚える。何せ、もう一体のキマイラのことを考えれば、そう長い時間一体だけに構っては居られない。離れ際、残る片腕を枝刃から伸びる鉤爪で撫でつける。一本目の腕のように断ち切れはしないが、動きを鈍化させる程度には効果が現れた。のたうち回るキマイラから距離を空け、置き去りにした合成獣に意識を向ける。


 弱らせたとは言え、面妖なキマイラ共は十分な戦闘力を有す。鉤爪でも、不揃いの牙でも、大蛇の毒牙でもまともに受ければ、形勢は一挙に傾く。駆け込んでくるキマイラは、その喉を膨らませると、まるで反吐でも出すように火炎を吐く。火で勝負を挑むとは、いい度胸だとウォルムは口角を吊り上げた。鬼の面は腰袋の中で、アトラクションを待ちきれない幼児のように燥ぐ。珍しく面との意見が一致したウォルムは迷わず火炎の中に飛び込んだ。


「避けて、ウォルムっ!?」


 ユナの絶叫が響いた。中々に強力な火であったが、鬼火を纏ってきたウォルムにとってはまだ生温い。大口を開けたままのキマイラは遅まきながら異常を察知するが、既に遅過ぎた。


 槍先が柔らかい口蓋をこじ開け、頭部にまで刃が達する。腰で支えた斧槍を左右前後に操り、ウォルムは優しく脳内を撹拌した。纏わりつく炎をあやしながら魔力膜ごと引き剥がす。役目を終えた斧槍を引き抜いたウォルムであるが、キマイラはまだ動きを止めない。獅子の目からは生気が失われていたが、尾から生えた大蛇が鎌首を持ち上げウォルムを睨む。


「蛇頭も、か」


 水平に繰り出された鉤爪を上半身を逸らし、回避する。体格差を活かした突進が続くが、その動きは先ほどまでに比べて緩慢。なるほど、とウォルムは納得する。恐らく尾の大蛇は補助脳的な役割を熟しており、身体の主導権を握るのに慣れていない様子。


 獅子頭程の緻密な動きではないが、その膂力は決して馬鹿にできない。半身が死んだ合成獣、残るキマイラを一度に相手取れるか逡巡するウォルムであったが、ユナの呼び掛けで解決する。


「そっちを仕留めて、時間は稼ぐ」


 ユナは片腕の無いキマイラに走り込みながら、次々と矢を撃ち込む。その狙いは的確そのもの。四肢の関節部がまるで的当て台のように変貌する。ユナの勝算を持っての行動であろう。ウォルムは仲間を信用して、やり残した仕事へと戻る。


 ウォルムを捉えきれず、四肢を狂ったように振り回す合成獣に対し、ウォルムは身体の角を斧槍で刻む。肩の肉が削げ、膝に斧頭を食い込ませ、槍先で脇腹を抉る。たまらず振り下ろされた鉤爪の軌道を見極め斬り上げる。


 大した力は必要なかった。何せ、手首を斬り落とすための力は、合成獣が生み出してくれるのだ。前腕の先端を失ったキマイラは自身の荷重に振り回される。慣れない三つ足では、ウォルムを止められなかった。頃合いを見たウォルムは尾の大蛇へと迫る。


 大口を開けた大蛇は苦し紛れに毒液を吐き出すが、瞬間的に作り上げた炎がウォルムを保護。降り注ぐはずだった毒液が蒸発する。遮るものは何もない。死神が鎌を振るうように、ウォルムは枝刃から伸びた鉤爪状の刃で、大蛇の首を斬り落とす。合成獣の巨躯は震え上がり動きを止め、地面に崩れた。斬り落とした大蛇の首は、しゅうしゅうと空気が抜けるような威嚇音を出すが、ウォルムの石突きにより黙り込む。ウォルムはすぐさまユナの加勢に入った。


 ユナは片手で弓を保持したまま、ショートソードで斬り合っていた。驚くべきことに尾から伸びる大蛇は斬り落とされ、丁寧に止めまで刺されている。接近戦も強いとユナは誇示していたが、偽りのない事実であった。他のパーティであれば前衛ですら務められるだろう。


 死角から忍び寄ったウォルムは、最上段に構えた斧槍を叩き下ろす。魔力が込められた強撃は、背骨から肩を一挙に断ち切る。下半身の制御を失いキマイラの姿勢が乱れた。それでも息絶えていないのだから、しぶとさにウォルムは感銘すら覚える。


 とは言え、その抵抗もユナが獅子の眼孔にショートソードを差し込むまでであった。根元まで入り込んだ刀身が決め手となり、ようやくキマイラはその生命を終える。


「次だ」


「んっ」


 多くの言葉は要らない。賑やかな攻防が続く先へ向かうのみ。そんなウォルムの視界に、氷柱で身体を貫かれ、空中で息絶え絶えとなったケルベロスが飛び込んでくる。常人には理解し難い前衛的なアート作品のようであった。


 展示場と化した通路には、モグラ叩きにあったかのように頭部を潰されたケルベロスが鎮座。また別のケルベロスは、三つ仲良く首の断面を大気に晒す。巨匠がどのような手法と道具で芸術を作り上げたか、つぶさに伝わってくる。


 残る素材は二体のみ。それも殆どは仕込みを終えていた。仕上げ作業くらいはユナと共に参加すべきであろう。馳せ参じたウォルムが斧槍を掲げれば、マリアンテが視線で答える。


 正しく意図を理解したマリアンテは、メイスを振り上げケルベロスの進路を制限。無事にウォルムはケルベロスと巡り合うことができた。頭部の一つは失われ、前腕の一部は枯れ木のように曲りくねっていた。残された二つ首でウォルムの接近に気付き吠え掛かる。踏み込んだ脚を軸に、ウォルムは斧槍を叩き込む。水平に入り込んだ斧頭は二つ首の顎部より上を刎ねた。水気交じりに音を立て、頭部は転がり静止する。


 最後に残ったキマイラも既に沈黙していた。メリル、ハリ、ユナの猛攻を受け、耐え切れるはずもない。短い付き合いのウォルムよりも、三人はお互いの手法を知り尽くしている。声を掛けなくとも、目で語らなくとも、自然と身体は動き、互いを活かす最適解を選ぶ。突如始まった饗宴は、主催者の退場により幕を閉じた。周囲を探るウォルムの下へ、パーティメンバーが集まる。


「追加の魔物は無しか」


「そのようだね。至って静かだ」


 気配に敏感なメリルのお墨付きを得て、漸くウォルムは息を吐き出した。


「誰か怪我は?」


 ウォルムは離れて戦っていた三人の外見を探る。外見上は多少の汚れが付着しているが、怪我は負っていなかった。それでも楽観視は禁物である。治療魔術師でもないウォルムに、内出血や防具の内側まで判別できるはずもない。


「うむ、特段、大事は無い」


「私も平気」


「こっちは大丈夫だね。……強いて言うなら、ウォルムが火炎に飛び込んだ時が一番危なかったかな」


「見ていたのか」


 悪戯を見られてしまったような恥ずかしさがウォルムを襲う。


「ユナが叫ぶんだから、見るに決まってるじゃないか」


「曲芸をするなら前もって言ってくれない? 心臓に悪いわよ」


 メリルとマリアンテに叱り付けられたウォルムは、素直に非を認めた。


「それは悪かった。大道芸の火潜りを、皆好むとは思わなかった」


「嫌いな人間なんて居ないさ。今度是非、皆に披露して貰おうかな」


 逃げ場を失ったウォルムは肩を竦めた。このメンバーだと本気でやらされかねない。悠長な会話を続ける面々に、マリアンテは切り上げに掛かる。


「お喋りもこの辺かしらね」


「三十六階層以降は、魔物の出現数が少ないとは言え、喋り過ぎたね」


「その情報って、酔ったドワーフ達からお酒で仕入れたんでしょ」


 胡散臭いとマリアンテが首を振った。酒で釣れるとは随分と安上がりな連中であろう。とは言え、素面で“ああ”なのだ。嘘が吐けなそうな連中とは言え、酔いが回ったドワーフの話をどこまで信じられるだろうか。


「魔物の出現数が少ないにしても、刺激的な場所には変わらないな」


 俊敏さと強靭さを併せ持ち、首を一つ落としても死なず、炎に、毒液まで吐き出す。こんな魔物が群れで徘徊している。制覇を目指す冒険者が減る訳だ、とウォルムは呆れ果ててしまう。


「怖くなったなら、引き返すかい」


 ウォルムは摂理に反して、腐り落ちる目を癒そうと言うのだ。このぐらいで音を上げていては、秘宝と称される真紅草に届く筈もない。幸いにして、ここには底を目指す奇特な五人が揃っていた。ウォルムは一人一人を目に収めていく。


「漸く、底が見え始めたところだ。ここまで五人で来て、今更だろう」


 ウォルムの軽口に、メリルは満足そうに頷いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] そろそろ底ですかね 戦闘描写は素晴らしいけど話も進めたい
[一言] 騎士になる時に祝いの品としてもらった剣は ダンデューク城の時に無くしたんですかね ずっとハルバード使ってたので、気になりました 描写していて、見落としてたならすみません
[一言] いつも全力全壊の鬼火しか見てなかったけどずいぶんと小粋な魔法も使えるのね
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