第五十二話 回帰
面倒な魔物の群れを退け、上位階層の歓迎を凌いだウォルムは休憩室へと辿り着く。閑古鳥が鳴くほどに室内は閑散としていたが、それでもウォルムの貸し切りとまではいかなかった。
五人一組のパーティ、それも先日言葉を交わした熟練冒険者のファウストがパーティメンバーと共に壁際に鎮座している。彼らも片手間でこの階層までたどり着いた訳ではないだろう。身なりは整えていたものの、戦闘の証である汚れや生傷が目立つ。
「単独で三十階層まで来るとはな。歓迎する」
入場に気付いたファウストは、休めていた身を起こしてウォルムへと接近する。今回はパーティーメンバーを引き連れ、まるでこれから懇親会が開かれるかのようであった。
「見ての通りこの様だ」
謙遜でなくウォルムの本心であった。ここまでの道中は決して手抜きが出来るような相手ではなく、惜しみなく魔力の消費を重ねた。
「こちらは五人で、そう変わらない。ウォルムがあと四人居たら、迷宮だって制覇できるかもしれないな」
迷宮に潜り凡そ五日が経とうとしている。その間、誰とも言葉を交わさなかったウォルムの口は普段よりも緩み、冗談の一つを生み出すに至った。
「生憎、兄達は居たが五つ子じゃない」
「それを聞いて安心した」
ファウストは屈託のない笑顔で声を漏らす。音と動作にウォルムの五感が引っ張られた直後、横合いから微かな風切り音、急速に迫る死の気配にウォルムは石突を突き出す。
手が痺れるほどの衝撃。ロングソードと柄がこすれ合う。死角に入り込んでいたファウストのパーティメンバーの一人がウォルムへと斬り掛かっていた。
「……惜しいな、本当に」
ウォルムに言い聞かせるのではなく無意識に漏れ出た言葉。人の良い笑みは消え失せ、能面の如き表情へと変貌する。この手の眼は、久しぶりだった。殺し合いの手管に長けた北部諸国の兵でも希少。感情の揺らぎを見せず、人を人とも思わず、雑草の如く淡々と処理する。
こうなるには生贄になった無数の犠牲が必要であり、襲撃が偶然でなく周到に用意されたものだとウォルムは悟る。何故、どうして、そんな疑問を口にすることはない。戦時こそが平時として育ち、迷宮でかつての思考と感覚を取り戻しつつあるウォルムの意識の切り替えは早かった。
襲撃者の、欺瞞をかなぐり捨てた総攻撃が始まった。下方から喉元を狙ったファウストの槍が迫る。飛び退きながら上半身を逸らすウォルムだが、後退に合わせて側面からメイスが繰り出されていた。そうして更なる回避を強要されたウォルムの行く手にも、ロングソードが待ち受ける。
防御が固いと踏み、まずは機動力を削ぐためか、脚を払おうとするロングソードを脛当てに誘導。裂傷こそは免れたが、骨に響く鈍痛と姿勢のふらつきまでは防ぎようがない。痺れを感じながらも踏ん張るウォルムだが、盾持ちがその身を投げ打ちながら肉薄する。
最早逃げるスペースはない。衝突と同時に、勢いを殺すために後方へ飛んだウォルムは、床を転がりながら飛び起きるが、焼けるような痛みが肩口を襲う。
「っ、ぅッう」
そう多くない隙と時間の中で、間合いの外に居た射手が、前衛四人の隙間から矢を射抜いてみせたのだ。矢を抜く暇も無い猛攻が続く中、ウォルムは崩しを狙うために、魔力を練り上げ火球を地面に打ち込む。
「畳みかけろ、リィロ、ハウンゼン逃がすな」
斬り込みから一転、距離を取り相対する五人は、次なる行動に出た。風属性魔法と水属性魔法による水弾と突風が火炎を消し飛ばす。安定して上位階層にたどり着くパーティだ。魔法持ちが居るのは当然であった。火の防壁を喪失したウォルムに対し、槍を構えたファウスト、メイス持ちが間合いを詰め、ロングソードの冒険者が側面に回る。
ウォルムは瞬間的に、風属性魔法で加速。側面のロングソード持ちを狙うが、忌々しい盾持ちと射手が妨害を図る。盾持ちはウォルム同様の風属性魔法持ちであり、距離を離せば中距離魔法、近距離では風属性魔法により加速を掛けたシールドバッシュが繰り出される。
「随分と芸達者でッ」
一見すると一人、二人が切り取り易く浮いているように感じられるが、即席の殺し間であり巧妙な誘い出しだ。かと言ってそれらを無視すれば死角に回り込まれ致命的な一撃が待つ。
敗走を選ぼうにも、転送室や前後階層までの進路は厳重に消され、無理に突破すれば背中を文字通りに刺される。三十階層までたどり着く為にウォルムは魔力の消費を重ね、頼みの鬼火を使えば直ぐに魔力は枯渇するだろう。
何より、冒険者の装備構成が使用を躊躇わせた。全員が修練を重ね並み以上の魔力量を持つ上に、用意周到に耐火装備まで揃えている。考えなしに鬼火を切り打開できなければ、視野の阻害に合わせ眼球の激痛まで加わってしまう。そうなればまな板の上のサハギンは避けられない。
最低でも、一人二人を行動不能に陥らせなければ、逃げることさえ叶わない。ウォルムは明確に追い込まれる。持ち主の窮地だと言うのに、腰の面は人同士の流血に頗る上機嫌。この面が興味を示す相手だ。まともな人間のはずがなかった、と後悔が頭を過る。
ウォルムは攻撃を斧槍で捌き、その上で細かくステップを続けて踊るように回避を続けた。反撃の糸口を掴むための魔法ですら、破綻を先のばすために浪費していく。四肢は少しずつ削り取られ、衣服に血が滲む。出血を抑えるために、第二の皮膚たる魔力膜は傷口を押さえ続ける。
常に背筋に寒気が走り、臓腑が浮足立つ。濃厚な死の気配は瞬きですら許されない。負傷と疲労を重ね、強敵に囲まれる。これ以上とない死地にウォルムは立たされていた。迷宮という舞台には観客も居ないというのに、大したベテラン役者共の中で踊り続けなければならない。
「ぁ、は、ふっぅ、はぁ」
浅い呼吸を繰り返し、限界を訴える足を酷使する。斧槍を突き絡め、幾度も迫る致命の一撃を、手痛い負傷に変える。それでも動きからは精細さは失われない。窮地の中で、これまで重ねてきた迷宮の戦いが、かつての感覚を呼び起こす。酒精に塗れた怠惰な一年間の鈍りはそぎ落とされる。皮肉にも死線を漂い、命が刻まれる中こそ、ウォルムを回帰させる十分な環境であった。
ウォルムは無意識に笑みを浮かべていた。死角から足元を掬うロングソードを踏み付け、地面へと食い込ませる。綻びを見逃さず身体を捻り斧槍を叩きつけるが、咄嗟にロングソードを手放した剣士は両手で首を庇った。
手甲を切り破り、骨と肉を砕き裂くがそこで刃が食い止められる。お礼とばかりにウォルムの脇腹にメイスが食い込み、ファウストの鋭い槍が喉を深々と傷付けるが構わなかった。どれも致命傷は避けている。
「退け!!」
ファウストが剣士に指示を下すが、僅かに遅い。折れた肋骨が激しく自己主張を繰り返し、気管に血が混じる中でもウォルムの動きは鈍らない。最愛の恋人のように剣士を引き寄せ、身体を入れ替える。
肉盾に取った剣士だが、折れた腕でウォルムに抱き着こうとする。減速する気配の無い武器に、ウォルムは襲撃者達の覚悟の深さを読み取る。これは無駄な盾であり不必要。突き放し際に剣士の喉を焼き払い、槍とメイスの軌道上に押し付けた。肉が焦げ、血が沸騰する音が大部屋に広がる。声帯を焼かれた音のない絶叫がウォルムを歓喜させる。
「……四人っ」
人質といった精神的揺さぶりが通じないタフな襲撃者も、人数差という手数を失い、障害物と化した死にゆく仲間、情報量の過多に動きが遅れる者が居た。ウォルムは崩れる死体越しに、肩に突き刺さった矢を引き抜く。そのままではまだ通じない。ウォルムは口内に溜まりつつある血を虚空に噴き出す。
広がった血霧が視界を歪め、相手に処理すべき情報を増やす。仕込みが整ったウォルムは、握り締めた矢を圧縮空気で射出する。
「《リリース》」
弾き出された矢は腕による防御をすり抜け、寸分狂わずメイス持ちの眼球から入り込み、脳漿にまで達する。
「あと、三人」
ウォルムは斧槍を向け相対する。蓄積した疲労、枯渇する魔力、全身の負傷、コンディションは最悪だった。それでも思考は晴れ、明確に成すべきことを指示する。
「……時間をかけ過ぎた。いや、決着には時間が足りな過ぎるか。口惜しい」
殺し合いが始まってから、初めてファウストがウォルムに言葉を投げ掛けた。固く閉じられていた扉が軋みながら開く。意味するものは新たなパーティーの到着。無観客を貫いていた休憩室に、来訪者が訪れようとしていた。




