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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第二章

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第五十話

 黒みがかった鈍い光沢を帯びた扉に、ウォルムは手のひらを押し当てた。金属特有の冷たさが火照った指先に心地良く伝わる。酷使により熱を帯びた足を動かし、ウォルムはすっかり馴染み深くなってしまった休憩室に入り込む。


 ゴーレムやガーゴイルの見本市と化した階層を脱し、到達した深さは第二十五層にまで達している。それでも道のりは順調そのものとは言えない。余力は残しているとは言え、これまで温存していたスキルや魔法も解禁を強いられた。


 気怠げな視線のまま、室内に視線を走らせる。中級の限界点と呼ばれる階層だけあってか、休憩室で身を休めるパーティーはこれまでと比較にならないほど少ない。ウォルムを含めても僅かに四組。道中に擦れ違った連中、地上で休養を取っている者も合わせれば、総数は跳ね上がるであろうが、それでも一種の区切り、中位と上位の境界が休憩室にはある。


 迷宮に潜り込むこと四日目。鋭敏さを取り戻しつつある感覚とは裏腹に、疲労は蓄積しつつある。一時の先住者と距離を取り、ウォルムは腰を落とした。胃が空腹を告げる一方で、開かれ続けてきた瞼はその責務の放棄を訴える。


 ウォルムは優先すべき問題を天秤に掛ける。大層な言い回しではあるが、中身は実にくだらない。何せ寝てから食べるか、食べてから寝るかの違いだけであった。


 一人決断を迫られるウォルムであったが、部外者の接近により中断を強いられた。立てていた膝を支柱に、ウォルムは音もなく立ち上がる。休憩室に入る前に、過酷な仕事を終えた戦棍は魔法袋に収まり、古女房である斧槍は再びウォルムの手の中だ。


 ウォルムは抜き身の斧槍を床でかち鳴らし、口も開かずに来訪者に目を凝らす。尚も接近する冒険者は、装備の上からでも実戦により培われた筋骨の発達が見て取れる。顔を隠し、立ち居振る舞いだけを考慮するなら歳は二十代でも通用するであろう。尤も、深く刻まれた皺や白髪交じりの頭髪と髭は年齢を雄弁に語っていた。


 装備はよく磨かれてはいるが、無数の細かい傷は嫌でも目に付く。関節部の擦れ具合から、その戦闘の遍歴、特に迷宮での経験の長さが伝わってくる。腕は自然と腰に下げた剣から遠く配置され、敵意が無いことを無言のうちで示していた。


「本当に一人で潜っているんだな。並みのパーティでもしくじれば、全滅も有りえる階層で大したものだ」


 第一声は世辞から始まった。だが冒険者の顔には覚えがない。無用な探り合いに興じるほど、睡眠不足のウォルムの気は長くはなかった。


「何処かで会ったか」


「ああ、失礼。初対面だ。最近の奴には珍しく単独で迷宮を潜り続ける男が居ると、酒場で話題になっている。実際に目にしたものだから、気になって声を掛けてしまった」


「冒険者は噂が好きだな」


「確かなことは無い稼業だ。交流と情報交換は冒険者にとって欠かせない。勘弁してくれ」


 腫れ物扱い、それも遠巻きに探る他の冒険者よりかは誠実だろう。年の功か、物言いも柔らかさを感じる。無下に追い払うのも気が引けたウォルムも丁寧に追い払うことを決めた。


「見て分かると思うが、俺と交流しても碌な情報はないぞ」


「つれないな。言葉だけでは軽薄かもしれないが、迷宮の探索者として何処まで単独で潜れるか応援してる」


 ウォルムの吐いた言葉の意図を察した冒険者は、素直に退散の態勢に入った。冒険者と言えど物分かりの良い人間はウォルムも嫌いではない。


「応援されるほど、大層な身じゃないが……まあ、ありがとう。そちらの武運を祈っている」


 社交辞令を済ませたウォルムは立ち去ろうとする男の背を見送るが、冒険者は不意に足を止めた。そうして忘れ物があったとばかりに言葉を続ける。


「ああ、そうだ。名を聞いていなかったな。俺はファウストという」


「……ウォルムだ」


「ウォルムか、歳で物覚えも悪くなっているが、その名は覚えたぞ。願わくば、また迷宮での再会を願っている」


 休憩前の思わぬ出来事であったが、ウォルムはそう不快ではなかった。今度こそ満足したファウストは、仲間の下へと引き返していく。パーティメンバー五人で押し掛けないだけ、実に気が利くだろう。


 ウォルムは背を壁に預けながら、再び迷宮の床を堪能し始める。腰の鬼の面が微かに震えた。振動の意図はウォルムへの呼び掛けではない。どうやらあの中老の男がお気に召したようだ。


「お前なぁ。好みの人間になら誰にでも震えるのか」


 浮気性の面にウォルムが小言を漏らすと、鬼の面は怒りに高速振動を始めた。なんとも腰がむず痒い。まるで土から這い出たばかりの蝉が腰に張り付いたようであった。


「冗談だ。やめろ。悪かった」


 繰り返しの謝罪により、面の怒りはようやく沈静化した。マント内での出来事ではあるが、やり取りを目撃されていれば迷宮に挑み、精神に支障をきたしてしまった者に映るだろう。


 自身の間抜けな姿を頭に浮かべ、小さく笑みを浮かべたウォルムは、疲労感に身を任せることに決めた。どうせ口にするのは温かみの無い黒パンや乾燥肉だ。多少惰眠を貪り、時間が経ったところでその味に差異はないだろう。





 贅沢な悩みではあるが、ウォルムの所有する魔法袋は、大型の背嚢一つ半から二つ程度の容量しか持たない。ハイセルク時代から常備している必要物資や品々に加えて、迷宮での消耗品、食料が内蔵物の半数以上を占めていた。そこに迷宮での獲得物も合わされば消費した品々を差し引いても、残る容量は十分とは言い難い。


 消耗品の補充、迷宮の収集物を売り払うためにウォルムは地上へと一時的に舞い戻った。オーク等の食肉を処理する一角に併設された水浴び場で汚れと垢を洗い落とし、待機場に足を踏み入れる。


 到達者が限られる中層以下の迷宮に潜っていたせいか、人混みが実に賑やかに感じてしまう。時に半身となり行き交う人々を避け、ウォルムは受付に顔を出す。


「おかえりなさい。今回は長かったようですね。何階層まで潜られましたか」


 日々の受付業務を熟すリージィが作業の手を止め、出迎えてくれる。取り出していた割符を返却しながら、ウォルムは答えた。


「二十五層だ」


「それはまた、随分と深くまで。そうなると次は二十六階層ですね。その階層は斬撃や打撃系の攻撃が効き難い魔物しか居ません。ウォルムさんは魔法を使えますか」


 幸にしてウォルムは実用的な二属性の魔法を有しており、戦闘では遺憾なくその効果を発揮していた。


「風属性と火属性魔法が使える」


「攻撃的なその二種であれば、対抗手段は不足しているとは言えません。適性がないのであれば、お止めしたのですけれど。その様子だと、まだお一人で挑戦を続けるのですね」


 言っても聞かないのでしょうね、とリージィは呆れ顔ながら、根本的な説得ではなく生存性を高める助言をウォルムに施してくれる。一頻りリージィから次階層の話を聞いたウォルムは素直に言葉を漏らした。


「悪いな。仕事を増やして」


「まあ、低層向けの受付から、それも単独で二十五層まで潜られる方は初めてですからね。業務内で有ればサポートもしたくなります。本当は冒険者ギルドに登録して、ギルドや私の評価に貢献して頂くのが望ましいですが、無理強いはできません」


 冗談混じりにリージィは恨言を呟いた。感謝の念と引け目を感じたウォルムは、迷宮で拾った腕輪の存在が脳裏に散らつく。


「貢献はそうできないが以前、貢物が欲しいと言っていたよな」


 ウォルムは手探りで腰袋を探り、銀製の腕輪を取り出す。


「貢物とは、言葉が悪いですけどね……えっと、これは?」


「迷宮で手に入れたんだ。迷宮内で唯一咲く真紅草の花とはいえ、男が着けるには意匠が可愛らし過ぎる。売っても銀貨数枚だろう。リージィには世話になってる。貰ってくれると嬉しい」


 ウォルムは静かに腕輪を受け付け台に置き、受け取りを催促する。頭を悩ましく抱えたリージィは、なんとも小難しくも表情を変え、声を漏らした。


「ふふ、っ、まさか本当に貢物を持ってきたのは、ウォルムさんが初めてですよ……貢がれても職務内でしかサポートできませんよ?」


「ああ、十分だ。それだけで助かってる」


「それならば、貰っておきます。後で返してと言われても返しませんよ」


「努力はする」


 腕輪を掴み上げたリージィは、まじまじと腕輪へと視線を落とし、表面をひと撫でしてから仕舞い込んだ。


 一つの用事を済ませたウォルムは手際良くカウンターを離れる。酒場ではないのだ。何時までも張り付いていては、他の人間の邪魔になる上に、業務妨害も免れない。ないとは思うが要注意人物として出禁にされたら、笑えもしないだろう。


 ウォルムが次に目指す場所は刀剣商であった。収取物を売り払い得た硬貨で必要品を買い込み、中級者殺しと名高い次階層へと挑まなければならない。


 石畳の通路を抜け、空の下に出たウォルムは、眩しさに目を細める。前回地上に居た時は、双子月が夜を駆けていた。それが今や我が物顔の太陽がその陽光をこれでもかと振りまいていた。


「迷宮に、身体が慣れ過ぎたな」


 薄暗い地中から地上に這い出てしまった土竜に共感を覚えてしまう。きっと日中に迷宮から戻ってきた人間は、光度の差により皆、顰めっ面に違いない。勿論、ウォルムも例外ではなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 持ち物枠に制限がある以上、潜るのを優先して価値が分かる装備品だけを拾っていくのは理にかなっている。深層に潜る程にドロップ品の価値は跳ね上がるだろうし、浅い階でチマチマ稼いでいる場合じゃないし…
[気になる点] これは…フラグが立っちゃったのかなあ? あーあ悲しいね
[気になる点] これって受付嬢が狙われちゃうんじゃ
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