第四十八話 三魔撃
石畳の通路は風化と戦闘によって劣化が進み、壁や天井から剥がれた石材が歩みを阻害する。瓦礫を避け足の置き場を選ぶウォルムであったが、砂利の如く小さな破片までは避けようもない。自重が乗った半長靴により礫は音を立てて砕ける。地上の雑踏であれば誰も気づきもしないだろう。だが迷宮、特に中層の始まりとされる第十五階層以降では別であった。
何処かしらのパーティが戦闘を繰り広げ、魔物の解体に勤しんでいれば、聴覚や嗅覚で察知もできるが、基本的には極めて静寂。それは探索者が音による存在の露見を避ける為に、静粛を徹底しているからだ。探索者は不意打ちを避け、可能な限り先制攻撃を狙っている。如何に相手の動きを察知、速やかに攻撃に移るかが重要であった。
「懲りもせずに、来たな」
礫を潰した返答は、直ぐに現れた。しゅうしゅうと空気が隙間から漏れ出す音。鋭く並んだ牙に彩られた口からは長細く、爬虫類を連想させる舌が伸びる。二足歩行、手足の数は人と同一にも関わらず、その造形は人と似付かない。ウォルムはそれだけで十分に襲撃者の正体を掴む。リザードマン、武器を操る知能と振り回されないだけの技量を有する魔物であり、感情が読み取れない瞳がウォルムを見据えている。柄を軽く握り、ウォルムは斧槍を構え歓迎の意を表す。
公平に、始まりを告げる笛などある筈もなく、唐突に戦闘の幕は切って落とされた。尖兵を務めるリザードマンは古ぼけたラウンドシールドと汚れたサーベルを持ち、その後ろには槍持ちと戦棍持ちが続く。
ウォルムは狙いを読み取らせぬように身体を左右に揺する。意に介さず一直線に迫る蜥蜴に迎合する形で、斧槍を左上段に掲げたウォルムは飛び出す。上部から迫る斧槍に対し、ラウンドシールドで防御を狙うリザードマンであったが、強度不足の盾は斧頭を防ぎ切れずに圧壊した。
肘まで食い破った斧身により砕けた木片と漏れ出した血が混ざり合い、虚空を彩る。痛手にも関わらず無機質な眼は依然、ウォルムを捉え離さず、異質な戦意は衰えていない。それどころか左半身を撫で付けるようにサーベルが逆襲を狙う。
柄を手の平で回しながら引き戻したウォルムは、鉤爪状の枝刃を立たせて受け止めると、刃に沿い滑らせる。そうしてリザードマンの残る手首を半ばまで斬り落とした。両手を失ったリザードマンは顎を開き、残る武器である牙を突き立てようとするが、悪足掻きを予見していたウォルムに、下顎から上を斬り飛ばされる方が速かった。
先陣を切ったリザードマンとの交流は終わりを告げ、残る二体のリザードマンは、ウォルムへと攻撃を果たそうとしていた。一度、二度と突き入れられる槍を上半身を逸らし回避。ウォルムの胴部を抉ろうとする戦棍を地面を蹴り逃れる。
槍がウォルムを捉えようとするが、間合いが短い戦棍の特性上、踏み込んでいた同胞のリザードマンの身体に阻まれ、届くことはない。ウォルムの回り込みを阻止するために、戦棍持ちのリザードマンは腕よりも太い尾を叩きつけるが、ダンデューグ城を巡る防衛線でその手合は経験済みであった。
「困ると尾を振り、噛みつきか」
本来は側頭部を叩いたであろう尾をウォルムは眼前で見送る。一方、尾を振り回したことによりリザードマンの動きは一層、不自由となった。呆気なく背中をウォルムに晒したリザードマンは、知覚することもなく、地面へと首を落とした。
障害物と同胞を同時に喪失した最後のリザードマンは、臆することなく槍を交えようとする。ウォルムはその誘いに応じ、穂先を合わせながらも側面の斧頭で柄を弾く。柄が交差する中、斧槍の穂先と枝刃の間に収まったリザードマンの首は、斬り飛ばされた。
転がり回る頭部が落ち着いた頃、迷宮は静寂さを取り戻す。ウォルムは周囲を探るが、変化と言えば床が鮮血により芸術的に染め上げられ、三体分の蜥蜴が盛り付けられているくらいであろう。
「ガタガタの鈍もいいところだが、鉄には変わりないか」
手放されたサーベルを拾い上げる。質が良いとは言い難いが、研ぎ直すか、溶かせば武器としての機能を果たすだろう。前任者たるリザードマンに文句を付けるのであれば、鞘が無いことであろうか。
魔法袋に手首を突っ込んだウォルムは、何度利用しても慣れぬその感覚に、鳥肌を立てながらも目的の布を引き摺り出す。布材は余分に持ち歩いており、その用途は豊富にある。ウォルムはサーベルをクルクルと回しながら布を巻き、縛ると再び魔法袋に仕舞い込む。
次に拾い上げたのは戦棍であった。柄は肩から手首程の長さで、メイス頭部の形状は、出縁が五方向、放射状に伸びている。玉ねぎや球型に比べれば破壊力こそは一歩劣るが、衝撃と軽量さに優れる。
「こっちはなかなか、悪くない」
斧槍を肩に担ぎ、ウォルムは残る片手で振り心地を確かめる。この手のタイプのメイスは、防具越しにでも腹部に食い込めば胃酸と酸素を吐き出させ、瞬間的に行動を鈍化させる。戦場でも馴染みの光景であった。粗悪な剣が正面からぶつかり合えば、刃が欠け鞘に収まらなくなるだろう。
使い具合を確かめたウォルムは、斧槍を小脇に抱え布を巻く。一周、二周と巻き始めた時であった。微かに、地面の礫が擦れる。ウォルムの反応は実に鋭敏であった。飛び退けながらも姿勢を反転させ、急速に広がった視野一杯に、刀身と長大な尾が映る。
雌型の上半身と大蛇の下半身を持つラミアが、その特性を生かしウォルムを奇襲したのだ。瓦礫に紛れ、機会を窺っていたであろうラミアは隠匿をかなぐり捨て、硝子を搔き乱すかのような金切声を上げる。
器用にも左右同時にショートソードで喉を裂こうとするラミアに対し、ウォルムは斧槍を手放した。既に抱き着くような間合い。こうなっては小技の一つを使ったところで、主導権を握られてしまう。そして思い切りの良さを支えたのは戦棍であった。振り切られる前の右手首を狙ったメイスの一撃は顕著に、その効力を発揮する。まるで折られた長ネギのように手首は支えを失い、砕けた指から剣が有らぬ方向へ飛んでいく。残るショートソードは水平に首を狙っていた。
ウォルムは身体を丸めながら懐に潜り込み一撃をやり過ごし、勢いを殺さぬままラミアへと衝突。雌型と言っても、人間基準では筋骨隆々の大女、それも重心は下半身に集中している。上半身は幾分か仰け反り、僅かな空間が空くだけ。
即座に機能を失った右腕と尾がウォルムを絡め捕ろうと伸びる。握手でも望むように突き出された腕を掌底打ちで払いのけ、迫る尾は逆方向に姿勢を傾けてすり抜ける。上半身を捻り斬り返しを試みたラミアであったが、ウォルムがメイスを突き入れる方が速かった。
その重量の過半を出縁型頭部と呼ばれる金属塊に占めるメイスは、ウォルムが望んだ破壊を齎す。鼻部と眉間の間に減り込んだ出縁型頭部は、鼻骨や眼窩を広範囲に砕き蹂躙。脳を揺さぶりながら五感の内、二つを奪い去る。しぶとい魔物の中でも蛇由来の生命力を持つラミアも、一時的に無防備な姿を晒す。
残念ながら戦乱を生き抜き、博愛精神や動物愛護の精神が薄れて久しいウォルムは容赦がない。メイスが弧を描き、崩れ落ちるラミアの頭部を掬い上げる。粘性の液体や骨片により迷宮で赤褐色の花が咲く。それも一瞬の出来事であり、壁や天井の真新しい染みへと変わった。
「やっぱり悪くないな」
メイスを手首で数度回転させてから、空を叩く。あれだけ粗暴に扱っても、欠けや歪みは生じていない。普段から斧槍を愛用するウォルムは、決して浮気性ではない。それでも暴力を至上とする迷宮に於いて、メイスのシンプルで、迅速な問題解決能力を嫌う事など、誰ができるであろうか。
◆
中層の入り口である第二十階層のセーフルームの扉を押し退けて入室したウォルムは、毎度向けられる好奇の目に辟易していた。ウォルムを除くパーティは、殆どが定員上限の五人編成であり、四人組でも珍しい。そんな中で単独で潜り続けるウォルムが奇特な人間に映るのは仕方ないとは言え、心地良いものではない。
ましてや疲労と寝不足、張り詰めた緊張により圧迫された精神では、寛大な気分になれる方が異常だ。一つ一つの視線の主に澱んだ眼を向け、漸く表立ってウォルムを品定めする評論会は終わりを告げた。壁に背を預け、もたれかかったウォルムは座り込む。冷え込んだ床と壁は、火照った身体を冷やし歓迎の意を示してくれる。
マントの中で魔法袋から食料を取り出し、隠すように食事を始める。何とも行儀が悪いが、礼儀作法に煩い食事処ではないのが救いであろう。安価な塩漬けされたオーク肉を噛み千切り、日持ちするように固く焼かれた黒パンを繰り返し咀嚼して飲み込む。合間合間に水を口にするが、一日以上潜り続け、昂った神経は戻らない。
改めて室内を眼だけを動かし一瞥する。五、六組のパーティが一定の距離を空け休んでおり、その中でも比較的余裕のあるパーティが情報交換や会話に精を出している。隙間なく防具が着込まれ、武器も魔物に合わせ多種多様。低層の劣悪な装備とは一線を画す。これで人数が揃えば、戦前の陣地を彷彿とさせたであろう。
片膝を突き、武器を手元にしたまま、ウォルムは浅い眠りを繰り返す。熟睡はできなくとも、身体は休まる。軍隊生活で身に付いてしまった習慣であった。幸い、ウォルムに近づく者は居らず、幾つかのパーティが入退出を繰り返す。
五度目か六度目か、扉が放たれ新たな集団がセーフルームに踏み入れてきた。腰袋に収めているというのに、鬼の面がかたかたと動き出す。ウォルムは嬉しくもないが、振動数やその音で、面が意図するものがぼんやりと理解できるようになっていた。
珍しくも面が興味を現す震え方。ウォルムは重い瞼をうっすらと開く。そこには四人組が居た。迷宮であればそう珍しくもない冒険者であったが、先頭の冒険者はなんというか――良く言えば色彩豊か。悪く言えば、眼に優しくない。防具はミスリル混じり特有の光沢を帯び、腰に下げたロングソードには三色の宝石と銀細工がほどこされている。髪は鮮やかな鮮緑、瞳はそれぞれ赤と蒼、何とも欲張りな奴であった。
続くパーティメンバー全員がそうであれば、催し物や劇の役者が闊歩しているとウォルムも笑い飛ばせたが、二番手の冒険者は、無駄な物を徹底的にそぎ落とした無骨な様相。ミニマリズムに通じる物をウォルムに感じさせるが、本質的には修行に勤しむ武僧であろう。残る二人は弓手とロッド持ち。立ち振る舞いと装備を加味すると前衛二人と中、遠距離を熟す後衛といったところであろうか。
部屋のど真ん中に達したところで、カラフルな冒険者とウォルムの視線が交差する。明るいとは言い難い迷宮の中でも瞳の光は失われず、吸い込まれるような深みを持っていた。
自身の暗く濁った瞳とはなんと正反対か。そんな交差も冒険者が次階層に進むため、正面を向いたことで断絶される。そこでウォルムは、はたと気づく。パーティメンバーには疲労が見られず、汚れすら付着していなかった。ここまでたどり着く為に、どれほどの魔物を相手取り、その血肉が飛び交ったかは、潜ってきたウォルムにはよく分かる。並外れた技量という言葉ですら陳腐な贈り言葉であろう。
「休憩無しか」
結局、彼らは散歩に出かけるかのように、足を休めず次の階層へと踏み込んだ。短い沈黙の後に、呆れ半分、羨望と嫉妬が入り混じった声色で、冒険者達は会話を始めた。
「三魔撃は休憩要らずってか」
「俺たちにとっての低層みたいなもんだろ。そりゃ制覇者の期待も掛かる」
「あれでまだ四人だろ? 荷物持ちでいいから、パーティに迎えてくれねぇかな」
「っは、冗談だろ。ポーター役ですらお前には無理だ。それに三魔撃のパーティは魔法袋を持ってる。わざわざ足手纏いを囲い込むかよ」
「選ばれるのは最低でも三十階層以降に潜った奴らだろう。まあ、その手の奴は癖が強いし、固定が居るからな」
ああ、とウォルムは納得がいった。迷宮都市を訪れ日が浅いウォルムですらその名は知っている。迷宮都市出身者のパーティで最も制覇者に近い存在。彼らにとってこの階層は苦戦すら難しいのだろう。そんな迷宮都市ベルガナの期待を背負う者ですら、頂に届いていない。
至宝と称される奇跡は遥か地の底。ウォルムの指先すらもまだ届いていない。奇跡を望むのであれば、これまでの働き振りは不十分であろう。足りないのであれば積み上げていくしかない。それも急速に。
手にした斧槍に自然と力が入る。ゆっくりとした呼吸を繰り返し、高まる鼓動、焦燥感を宥め付かせたウォルムは再び浅い眠りに就いた。




