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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第二章

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第三十七話

 夜を徹して続いた作業により、サハギンの死体は取り除かれ、船内中にこびり付いた汚れも洗い流されている。結局、ウォルムは乗客分だけではなく、船内中の水の供給に励むこととなった。薄々はそうなるだろうとは想定していた。何せ、戦闘で海上魔術師や魔法持ち(マジックユーザ)は魔力を消費し切っており、船内の水事情は逼迫している。報酬を提示されれば、ウォルムとて頷かない訳にはいかない。


 ヤードの修理とクラーケンの塩漬け作業は一日が経過しても続いていた。クラーケンに関してはその量が膨大である為、消費する塩の生成に海上魔術師が魔力を搾り取られている。ヤードに関しては常に風の影響を受ける重量物であり、高所作業の為、一朝一夕では応急処置ですら完了していなかった。


 外壁と甲板に関しては幼児の工作のような歪さを残しながらも、機能性はどうにか取り戻している。そんな重労働が続き、誰しも疲労と眠気に苛まれる中ではあるが、欠伸や悪態を漏らす者は居なかった。それどころか全ての作業が中止され、必要最低限な人員を残し、上甲板に集結している。


「彼らは己の命を捧げ、同胞を、船客を、船を守った誠の船乗りであった。その雄姿は、この身が朽ちようとも忘却されることなく、永遠に記憶に刻まれるだろう」


 大型商船の統率者である船長ベリム・ベッガーが、二度と物言わなくなった彼らの傍に立ち言った。深海の悪魔(クラーケン)海の小鬼(サハギン)の襲撃による死者は十四名、負傷者は二十名以上に及んだ。魔物の討伐等級を考慮すれば少ない被害ではあった。それでも死者となった彼らが目の前に並べられれば、誰が少なかったと喜べるものか。当然、亡くなり腐敗するばかりの彼らを陸地まで運ぶことはできない。


「彼らの新たな旅路を、慎ましくも盛大に見送ろう」


 甲板に居並ぶもの達は、葬儀に参列する者達であった。賑やかな彼らの口は固く、痛い程に閉じられ、親しかったであろう者達の遺骸を前に、すすり泣く。ベッカーは目配りで部下に合図すると、ラッパの音が響き、一斉に参列者が歌い出す。


 酒焼けした声、音程が外れる者、泣き枯れた声、それらは死者への手向けであり、偉大な船乗りの一員となった彼らを送り出す葬送曲(レクイエム)であった。彼らには焼き場も埋葬する土も無い。一生の大半を過ごした海へと身を還す。彼らは資材で急造されたスロープを下り、海中に没していく。その身には重りやラム酒を抱いていた。


 一つ、また一つと、遺体は海へと旅立っていく。葬送曲が止まることは無い。決して美しいとは言い難い船乗りたちの歌声も、ウォルムの心にはよく響く。死んだ彼らは不幸であり、嘆かわしくあった。それでも、だからこそ、ウォルムには彼らが羨ましく眩しかった。


「俺は、女々しく、浅ましいんだろうな」


 その身は丁重に扱われ、仲間達が故人を惜しみ、感情のままに歌い送り出す。これが船乗りだった。死体の両端を掴み、海中に遺棄すれば済むものを、こうして貴重な時間を割き、送り出している。だからこそ死闘の中でも惜しむことなく命を投げ出して戦ったのだろう。


 しかし一方でウォルムはどうだ。仲間の死を悼む暇もなく戦い続け、そしてまた失う。救えなかった者の顔が次々と蘇る。約束を守れなかった少女や戦友、故郷を焼いた光景など忘れられる筈もない。唯一の救いと言えば、ウォルム自身の手で二度目の死を父と母、村の仲間に与えたくらいのものだ。それも十全とは言えない。丁寧に埋葬もできず、何の役に立ったと言えるのだ。


 砕けんばかりに歯を食いしばり、ウォルムは思考を中断させる。中断しなければならない。この場は彼らのものだ。犬死することなく命を懸けて守り、救い、称えられ、惜しまれるに相応しい彼らのものなのだ。愚かで無様な己を慰める場であってはならない。もしそうすれば、彼らを侮辱したこととなる。残る船乗り達の制裁を受けたとしても、何の文句も言えない。


 ウォルムは静かに手を合わせて、彼らの冥福を祈る。信仰など持ち合わせておらず、その手は数多の血で汚れていたとしても――成し遂げ逝った偉大な船乗り達に祈らなければならない。


 最後の遺体が海に放たれる。これで水葬は終わりだ。ラッパの音がウォルムの耳に残り続ける。すすり泣き、その場を離れようともしない船乗り達を、普段は小うるさいはずの甲板長は何も言わずに放置した。両足が砕けた水夫が、沈んでいく同胞に最後まで呼び掛け続けている。その内容を聞き取る気にウォルムはならない。


 それでも現実は止まることなく動き続ける。甲板に居残っていた者達は、名残惜しそうに甲板を去り、再び作業に従事する。結局、魔力を吐き出し、作業の割り当ての無いウォルムが最後の一人となった。彼らが消えていった海を呆けたように見続ける。


 見飽きた筈の海のはずであった。それなのに、今はどうして眼を離せないでいる。人間の些事など関係ないとばかりに、波は押し寄せ海面を揺らし続ける。空を見上げれば、途切れ途切れに雲が流れていく。マストには羽を休めた海鳥がウォルムを見下ろしていた。中には海面へ打ち捨てられたサハギンや売りものにならないクラーケンの一部を啄む海鳥も居る。そんなウォルムに近寄るものが居た。


「どうした、サーシェフ」


 仲間を失い、失意に沈んでいるであろう海上魔術師に、気の利いた軽口一つたたけず、ただただウォルムは対面する。


「ウォルム、ありがとうな。仲間の為に祈ってくれて」


 胸と眼の奥が痛む。ウォルムが手を合わせていたことを言っているのだろう。そんな崇高なものではない。己の醜態を自覚し、それを取り繕うとしただけだ。


「祈りなんて、そんな大層なもんじゃない」


「何があったか知らないが、あまり自分を卑下するなよ。ウォルムにはみんな感謝している。逝っちまったあいつらだってそうさ」


「ああ……そうだと、いいな」


「ウォルム付き合ってくれよ。魔力と体力が切れた俺は、お払い箱を食らったんだ」


 サーシェフは瓶詰のラム酒三本を取り出すと、そのうちの一本を海へと撒いた。そうして残り二本の片割れをウォルムへと差し出す。ウォルムは言い訳もせずに素直に受け取ると、瓶を突き出す。


「旅立っていった船乗りたちに」


「ああ、勇敢な彼らに」


 そうして二人同時に、瓶のラム酒を一気に傾ける。酒精が喉をすり抜け胃に収まっていく。港で口にしたラム酒は、甘さの中に苦みが共存していたが、今のウォルムには、ただただ苦さしか感じることができなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああそうか塩と水を分けるとか言ってたな、塩作れるんだ。 んで作った水と塩とを臭いなんかと流して消すのか、なんか穴掘って埋めるごうもんみたいやな…
[一言] 死出に誇りと尊厳がある葬列を。 畳の上で家族に看取られて死ぬのが幸せみたいな話もありますが、仲間たちと誇りを持ち激しく生きるのも憧れますね。
[一言] 今回は人間給水機として立派に働いてますね、ウィラートも草葉の陰で喜んでるかな? ウォルムはまだまだ昔を背負っていますね、心の傷を治してくれるヒロインが必要なのにそもそも女性キャラが少ねえ!…
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