番外編 2.近衛騎士の決意・後編
17歳にして王立剣術大会の優勝者となったアランはその実力を認められ、王太子の近衛見習いとしてラセイン王子の傍にいることが多くなっていた。
そしてある日、セインティアの王宮、謁見の間では他国からの使者が愛想に満ちた笑顔を浮かべて、自国からの贈り物を並べていた。
「これは私どもの王からの気持ちでございます」
長いこと反目していたはずのその国が、最近になって他国からの脅威に晒されはじめ、手のひらを返したように擦り寄って来たのだ。当然セインティア王国側は良い顔はしなかったが、それでもこうして貢ぎ物を携えて使者を立てられては無下に追い返せない。
しかし王は王妃と共に他国への視察に出ていて、生憎直接それに応対することは出来なかった。代理として後を任されている宰相と、わずか13歳ながら既に全ての会議で発言を許されている、聡明で溜息の漏れるほど美しい、ラセイン王子が使者に会うことになったのだ。
……あの使者、なんか嫌な感じなんだよな。
アランはラセイン王子のすぐ背後で、使者が王子にリボンのかかった箱を献上するのを見つめていた。箱自体は事前に中を検めていて、問題は無いと分かっている。金色のリボンは後から見目がよくなるよう結んだのだろう。
一見、友好的なやりとり──けれど、胸騒ぎがする。
「どうぞ、ラセイン王子」
王子の優美な手が、それを受け取り。リボンを解こうとした、瞬間。
魔法感知能力に突如反応したそれに、一気にザワリと背筋が震えた。
「ラセイン様!」
──魔法がかかっている!
考えるより、身体が動いた。
彼の声に手を止めた王子へ、使者が手を伸ばす。それを振り払うように、アランは自分でそのリボンを引き抜いた。
「──ぐ」
その瞬間、金色のリボンが真っ黒に染まり、アランの手の中に吸い込まれる。同時にとてつもない重圧感に、彼は呻いた。痛みと、圧迫感と、剣を抜きたくなる衝動が、身体を焦がす。
──呪いだ。
警戒された贈り物の中身ではなく、その箱にかかるリボンに魔法が掛けられていたのだ。たちまち近衛騎士達によって取り押さえられた使者は、こちらを凝視して憎々しげに唇を噛み締める。それを見届けて、王子が無事だと認識した瞬間──わずかに逸れた意識に、呪いが彼を浸食した。
「あ、ああああっ!!」
苦痛に叫んで、腰の剣を引き抜く彼。王子を害するつもりかと、騎士団に警戒と緊張の色が走り、全員が剣を抜いて構えた。
「フォルニール!」
何しろ彼は剣術大会の優勝者だ。呪いで我を忘れたら、太刀打ちできないかもしれない。
「違う──アラン!」
自分を護ろうとする騎士達の中、ラセイン王子だけはアランの剣のわずかなズレに気付いた。あれは、相手を斬ろうとするものではなく。
「駄目だ、アラン!!」
返された刃は、勢いを持って刺し貫いた──アラン自身の腹を。
「──ぐ、あぁあ!」
リボンに掛けられていた呪いは、発動した者を自害させるものだったのだ。
掛けた使者は、呪いを王子に掛けて、彼自身の手で死なせるつもりだったのだろう。使者が襲いかかるよりずっと成功率が高い。
──やはり同盟を結ぶと見せかけて、侵略するつもりだったか。
呪いに支配された身体は、なおも深く剣を突き立てようとする。
「アラン!」
ラセイン王子は咄嗟に騎士の一人の剣を奪い取ると、アランに駆け寄って、彼の剣を自分の剣で弾き飛ばした。
「だ、めです。ラセインさま」
彼は魔法を受け付けない体質であるがゆえに、呪いも他の人間よりは作用しにくいという勝算があった。確実に死を選ぶ魔法に飲み込まれるギリギリで、わずかに急所を外していたのだが。
「まだ、呪いは終わってない。近づかないで……」
呪いが完了しない状態で、それが彼に害を及ぼすのを恐れて、アランは流れ出る血を押さえた。
まずい。意識が飛んで来た。早く呪いをなんとかしなくては。上位魔導師の王妃も、父も居ない。厄介な体質のアランには、普通の魔導師の浄化魔法など、とてもじゃないが受け付けない。セアラ姫ならなんとかできるかもしれないが、彼女にこの呪いを近づけることなど絶対にしたくない。
これをどうにかできるのは。
「──シーファを。誰か、シーファを呼んでくれ」
**
わずか数分後に、王子の要請で王宮に転移されて来た銀髪の魔導士は、不機嫌な顔でアランを見た。
「何故俺を呼んだ。俺がお前を治療するとでも?」
てっきり呪いの解除と治癒を頼まれるものだと思っていた少年は、血の気の引いた顔でかろうじて意識を保っていた近衛騎士にその胸ぐらを掴まれ、鼻先まで引き寄せられて目を剥いた。
「おい、何を」
「頼む、シーファ。俺を殺してくれ。呪いを確実に閉じ込めて、どこにも漏らすな」
周りに聞こえぬように声を潜めて、けれど鋭く言われた言葉に、シーファは目を見開く。
「は……?」
「駄目だ、俺は浄化魔法が効きにくい。間に合わない」
言われて彼の身体を見下ろした。剣の傷こそ急所を外しているが、出血量が酷い。このままでは彼は命を落とす。だというのに、アランは誰にも治療させること無く騎士達も王子も近づけさせないのだ。
話すのも苦痛なのか、荒く息を吐く彼に、シーファは眉を顰める。
「呪いは自害させるだけじゃないな。成就しないと時限式で爆発か」
この呪いは性質の悪いことに、二段階に組まれていたのだ。
一つ目は掛けられた者を自害させる。二つ目はそれが失敗した場合、数刻おいて仕掛けた者が逃げおおせた頃に、体内で爆発する。いずれにしろ呪われた者は助からない。
後者の魔法は感知能力者のアランだけが気づいたもので、他の者には知らせていない。知ったらラセイン王子はなんとかしてアランを助けようとするだろう──それでは、間に合わない。
「シーファ、お前ムカつくし、大嫌いだけど──お前にしか頼めない」
彼はラセイン王子とセアラ姫を大事にしている。たとえアランを救うことを王子が願っても、彼の安全を優先してくれる。臣下でもない彼なら、命令されても聞くことはない。
「王子を護ってくれ」
額に浮いた脂汗が流れて、アランは掴んでいたシーファの服から手を放した。もう、それほどの力が残っていないのだ。彼を見下ろした美しい魔導士が、微かに微笑んだ気がした。
「俺もお前は嫌いだ、近衛騎士。──けれど、その志は尊重しよう」
シーファは白い杖を取り出すと、呪文を唱え始める。杖が光り出して、その銀色の髪と青い瞳に反射した。
……ムカつくけど、綺麗だな。
アランは嫌悪していたはずの強い魔法の波動に、不思議と安堵を覚えて。
「──アラン!!」
最後に聞こえたのは。大好きな幼馴染であり、大事な主君である、金色の髪の王子の声だった。
両手に柔らかな温もりと、片方には濡れた感触。目を開けたら、いつかのように両側に、美しい金色の髪の姉弟が居て。
あ、両手に花ってこういうことか?
なんて呑気なことを考えて──次の瞬間、飛び起きる。
「ラセイン王子!?セアラ姫!?」
彼の手を掴んで、泣いていたのはセアライリア王女。もう一方の手を掴んで、怒ったような顔をして居るのは、ラセイン王子だった。
「すみません、御前で──」
王族の前で寝ているわけにはいかないと、アランは慌てて寝台からも降りようとしたが、息ぴったりの姉弟は両側からガッチリと手を放さず、どちらに降りることも出来ない。
え、これどういう事だ!?
「あ、あの、お二人ともお手を離して頂けませんか。俺──私は一体」
混乱する彼に、壁際に立って彼を見下ろしていた銀髪の魔道士が、面倒臭そうに口を開いた。
「知らなかったか、阿呆近衛騎士。私は超偉大なる一流魔導士なのだ。相手がお前ごとき感知能力者であっても、あんな呪いなど跡形もなく消し去れるほどには」
どうやらシーファが彼の呪いと怪我を治してくれたらしい。彼の魔力が強いとは知っていたが、これほどとは思わなかった。少なくとも王宮にいた他の魔導師には、手が出せなかったはずなのだから。
アランは呆然としたまま、けれど「……ありがとう」と礼を言う。
いけ好かない相手だろうと命の恩人だ。けれど彼がアランを助けるとは思わなかった。彼の疑問を感じ取ったのか、シーファはアランの傍を指差す。
「ラセインが、お前を失うのを嫌がると思ったからだ。それに……」
「──アランのバカ!心配しましたのよ」
言い淀んだ彼が再び言葉を紡ぐ前に、セアラ姫が叫んだ。姉姫の涙に、アランはなんとも言えず居たたまれない、けれど嫉妬に苛まれていた身としては、自分をこれほど心配してくれるのが嬉しくて。未だに握られたままの両手に力を込めた。
「すみません、セアラ姫。──王子も、私の力が足りず、ご不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」
「違うだろう、愚か者!」
あくまでも臣下として謝罪した彼に、ラセイン王子は空いている方の手でクッションを掴み、アランの顔に投げつけた。
「ぶっ」
えぇえ!?
クッションとはいえ、至近距離で顔面はそれなりに痛い。けれどそれを退かして主君の顔を見てしまった瞬間、アランは気まずくなってしまった。
──心配して、安堵して、怒っていて、悲しんでいる。
「僕の騎士になるということは、僕の許しなく犠牲になることじゃない!僕の騎士は、心を殺して他人行儀に振舞うことじゃない!アラン、お前はもっと自分を大事にして──僕の友人でいてくれ」
「ラセイン、さま……」
近衛騎士が主を守るのは当たり前だ。その為に命を落とすことだって、覚悟の上で。自分一人が居なくなっても、何も変わらないと思っていた。
けれど。
望まれていたのは、“騎士の一人”としてではなく、“アラン”なのだと。
ラセイン王子の言葉に、アランは息を呑む。それが、シーファに嫉妬していた自分が、一番欲しかった言葉なのだと気付いた。
「簡単に自分を捨てるな。お前はお前らしくいてくれ。僕と姉上のために」
あのときつい、呼んでしまった。昔のように──『ラセイン様』と。
臣下としての距離をわきまえるために、『ラセイン王子、セアラ姫』と呼んでいたのに。
──ああ、同じだ。
彼を守りたかったのは、王子だからというだけではない。大好きで、大切な、弟のような幼馴染だったから──。
シーファは銀色の前髪を掻き上げて呟く。
「まあ、お前の──ラセインを護りたいと思う気持ちが本物なのは分かったからな。仕方なくその脆弱でつまらぬ命を救ってやることにしたのだ」
「余計な一言さえなきゃ、素直に感謝してやったのに。このクソ魔導士……」
思わずボソリと溢れた言葉に、しまった、と口を押さえたが。何故かラセイン王子は口を尖らせた。
「お前たちは本当に仲が良いな」
「「はあ!?」」
主の言葉に、つい礼儀も忘れて、シーファと口を揃えてしまう。
「ほらまた、ぴったりだ」
「いやいやいや!違いますって!俺こいつ大っ嫌いなんですから!」
「それは俺のセリフだ、阿呆騎士め」
血相を変える二人を見て、王子と姫君は意外にも笑い出す。ラセイン王子はシーファとアランを見比べて。
「気付いてないのか?シーファと喧嘩してる時のアランは、昔のお前みたいだ。シーファもアランには遠慮なく本音で話してるし、口調も素になっているぞ。だから今まで放っておいた。アランに良い刺激になって、また以前みたいな関係になれるんじゃないかと思ったから」
「ちょっと妬けますわよね。わたくしやラセインには、取り澄ました騎士の顔しか見せないクセに」
──そんなことを思われていたなんて。
「……妬いてたのは、こっちだっていうのに」
寝台に沈み込んで、アランは苦笑する。
言われてみれば、未だ見習いの身の彼を『近衛騎士』と呼ぶシーファの真意など気づきたくなかった。今更歩み寄るなんて、やりにくい。
両側から見下ろす、優しいアクアマリンの瞳に、微笑み返す。
この姉弟には、どこまでいっても勝てそうにない。いつだって振り回されて。
けれど、それはきっと。
このうえなく、幸せだ。
*
セアラ姫は手の中の薔薇を弄びながら、クスリと笑った。
「思えばあれからよね、アランがわたくし達に遠慮が無くなったのは」
「色々とふっ切れたんですよ。シーファも遠慮してくれないし、まあ、周りもうるさかったので」
あの事件での功績が認められ、間もなくアランは騎士団の中でもトップの第一近衛騎士団に配属された。
口調も態度も、素以上に遠慮が無くなった彼は、王子に贔屓されていると陰口を叩く者も居たが、アラン自身の実力は誰の目にも明らかで、やがて21歳の時に王子直属の第三部隊の隊長に任命された時には誰も文句は言わなかった。ほとんどの他の部隊長が彼の倍近くの年齢であり、アランはセインティア騎士団史上、最年少での就任だった。
ただ若くして出世したことに対しての嫉妬や嫌がらせはある。それをかわすために、アランは明るく人当たりも良く、多少の嫌味など笑顔で聞き流せるだけの度量を身につけたのだが。
そして彼は王族に対して恐れを知らない口はきくものの、王子への忠誠心は絶対だ。だからこそその姿に憧れる若い騎士も多く、先輩騎士にも信頼され、支持されているのだ。
「ラセインが言っていたわよ。『遠慮するなとは言いましたが、ここまではじけなくてもいいだろうと思う時もあります』ですって」
聖国の金の薔薇は可笑しそうに笑う。
王子の近衛騎士は苦笑して、けれど悪戯めいた瞳で姫君を覗き込んだ。エメラルドの瞳が美しい婚約者を映す。
「俺がハジけまくってぶっちゃけたから、あなたを手に入れることが出来たんですよ」
その言葉に、セアラ姫はふと考えて。
「あら。ならつまり、わたくし達の婚約は、シーファのおかげね」
「えええええ」
あいつに借りを作るなんてごめんです!と叫ぶ彼に、姫君はクスクスと笑った。その笑顔を眩しそうに見て。アランは優しく囁いた。
「セアライリア、俺だけの金の薔薇。あの頃から変わらず──いや、あの頃以上に、俺はあなたを愛してる。俺の命はラセイン様のものですが、俺の心はあなたに生涯捧げます。……この身もね」
頬を撫でてかすめたキスが唇に落とされる前に、セアラ姫は微かに赤く染まった目元をゆるませる。
「やっぱりあなた、ラセインに似てきたわよ……」
「俺は元々こういう男ですよ。知ってるくせに」
美しい姫君と近衛騎士の密やかな甘いキスは、彼の抱えたたくさんの薔薇に隠されて。まるで絵画のような二人に、精霊たちはうっとりと溜息をついた。
婚約者とひとときの甘い時間を過ごして、アランは王宮の警護の任務へと戻る。王子の執務室へ入れば、彼は書類に落としていた視線を上げ、側近を見た。
「お前、大丈夫なのか」
気遣わしげな表情に、姉姫と同じく彼も魔法感知能力への負担を気にしているのだと気付き、アランは微笑んだ。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ、我が君」
本当に、良く似た姉弟だな、なんて。
思わず口元が緩んだのを、王子は目ざとく見つけて眉を上げる。
「何だ、ニヤけて。気持ち悪い」
「酷いっすよー。いやあ、優しい主人に恵まれて良かったなあと、この身の幸運を噛み締めてるんじゃないですかあ」
ひらひらと手を振ってみせれば、彼の主は頬杖をついて。空いた方の手でカツカツとデスクを叩いた。
「そう言われると、お前にひとかけらの優しさをやることすらもったいない気がするな。それくらいなら僕の心は全てディアナにあげたいから、返してくれ」
そう言われて、差し出された手のひら。
幼い頃の素直で可愛い王子はどこにいっちゃったんですかね、なんて。彼と同じくらい、遠慮も無くなった主人に苦笑しながら──けれど嫌な気はしない。
「どうやって返すんですか、無茶言わんで下さい。それにディアナさんへはこれ以上無いくらいベタ甘じゃないですか。あんまりしつこいと嫌われますよ」
茶化してやろうと笑み混じりで言ってみせるが、美しい主君はにっこりと微笑んだ。
「──僕が、ディアナに嫌われる?本当にそう思うか?」
……ああ、あなたは嫌われるどころか、ベタ甘のめろめろに全力で口説き落として捕まえて、逃がさないんですよね?
聖国の太陽の異名を持つ、キラキラで、交渉術にかけては向かうところ敵なしの主に、もはや囚われの月の女神を少々気の毒に思いながら。けれど彼の選んだ女性がディアナで良かったと思う。
強くて優しくて、ラセイン王子を護ると決めたアランと同じ志を持つ彼女。アランが初めて、王子以外に膝を折ることを決めた新しい主。魔法の国の王子様だけでなく、狂皇も、精霊でさえも虜にする、美しき戦いの女神。失ってはならない、次期セインティア王の運命の相手。
「……まあ、おにーさん応援してますから。あんな可愛いお嫁さん、ちゃんと掴まえてて下さいよ?」
からかうように言った言葉とは裏腹に──アランの瞳は真剣そのもので。彼の気持ちを感じ取った王子は、穏やかだが揺るがない、アクアマリンの瞳をまっすぐに合わせた。
「──お前が居てくれれば、僕は大丈夫だ」
臣下として、兄代わりの幼馴染として、それは何より嬉しい言葉だった。アランは微笑んで片手を胸に当て、騎士の礼を取る。
「この命尽きるまで、あなたの傍に。一番近くで、あなたをお護り致します。我が君」
あの日、決意したように。
窓の外に広がる美しい自国の景色を眺めて、アランは目を細めた。
セインティア王国に満ちる、ゆるやかな魔法の波動を、温かいと思ったのは初めてだった──。
fin.




