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月の女神  作者: 実月アヤ
第五章 王の資格
83/90

果たされる約束

**


 ドフェーロ皇国、皇帝陛下の居城。

 アレイルは皇帝の前で膝をついて深く項垂れていた。


「……アレイル。私は女神を捕らえて来いと言ったはずだ」


 苛立たしげにハーフエルフを睨みつける皇帝の双眸は、狂気にも似た光を浮かべている。

 セイのもくろみ通り、最大国家アディリス王国を味方につけ、砂漠の覇者フレイム・フレイア王国を押さえたセインティア王国は、もはや小さな島国でありながら強大な力を秘めていた。迂闊に手を出せばこちらがやられる。

 しかもセインティア王国は月の女神ディアナを、次期国王であるラセイン王子の婚約者と、非公式ではあるが、はっきりと発表した。これで彼女に手を出す事自体が聖国への宣戦布告と取られてしまう。前回の様に強引な誘拐することなどもってのほかだ。

 皇帝自身はそんなものをものともせず、アレイルにディアナを攫うよう命令を下したが、皇国の重臣たちは完全に怖じ気づき、こぞって反対している。


「皇帝陛下、これ以上女神に執着すれば、皇国は近隣諸国と戦争になる。それでなくてもあなたは今普通じゃない。また国内に反乱が起きてしまう」


 今までなら自分と兄を拾ってくれた皇帝に逆らうことなど、考えたこともなかった。けれど、ディアナへの想いと、ラクロアの言葉が、アレイルに大きな変化を与えていた。


「私に、逆らうつもりか。アレイル」

「どうかお許しを、陛下。アレイルは混乱しているのです。次は私が」


 口調は淡々としているものの、弟を庇おうとリエイルが皇帝の前に進み出た。それにアレイルは首を横に振る。


「駄目だ、リエイル。ディアナのことはもう──」

「私を裏切るか、アレイル!半魔の分際で──」


 言いかけたアレイルの横面に、皇帝の投げた杯が叩き付けられた。

“ガシャーン!”と派手な音を立てて割れたその破片に、彼のこめかみが傷つけられ、血が滴り落ちる。


「アレイル!」


 リエイルは顔色を変えて弟に駆け寄った。


「お前、どうしたというんだ。陛下に逆らうなんて」


 小さく鋭く問われた兄の言葉に、アレイルは縋り付く。


「リエイル。もう戦いで奪い取るのはたくさんだ。このままでは陛下を失ってしまう。ディアナを壊してしまう」

「──お前、女神に狂ったか」


 侮蔑を込めて見下ろされた視線に、アレイルは兄にも皇帝にも、自分の言葉が届かないことを知る。

 けれど。どうすればいい。皇帝を裏切ることなどできない。彼と共に墜ちようとする兄を見捨てることも。


「──もうお前は要らぬ。役立たずめ」


 冷えきったその声に、茫然と。アレイルも、そしてリエイルさえも、拾った言葉に耳を疑った。


「へい、か」


 伸ばされた手に生み出された、赤い光。今まで何人もの命を奪ってきた、皇帝の魔法。それが自分に向けられていることに気付いて、愕然とした。


 俺は陛下にとって、こんなに簡単に捨てられる駒だったのか。


「陛下!お待ちを」


 リエイルの声を遮って。


「アレイル。──去ね」

「──へいか、ァァアッ!!」


 アレイルは自分の身体に叩き付けられた魔法の衝撃に、絶望の声を上げた。


**


 ディアナとイールはセレーネの森の泉に居た。

 海竜騒動が落ち着いて、セレーネへ戻ってきたのは昨日のこと。ディオリオはセインティアの騎士団に請われて、しばらくセインティアとアディリスのまとめ役として、リルフェン復興の手助けをすることにした。彼の補佐としてリルフェン支部のメイスが付き、ラクロアはセインティアへと帰っていった。


 別れ際、彼はディアナの前にひざまづき、「セインティアにてお待ちしております」と礼をしたが、躊躇いもせず頷く娘の姿に「……我が娘ながら罪な女だな……」とディオリオが呟いたのは言うまでもない。


「ディアナ、リルフェンで待たなくて良かったの?」


 イールは白い羽で泉の水を跳ね上げながら問いかけた。水の精霊と遊んでやっているらしい彼の姿に、ディアナは微笑む。


「ええ。私は、ここで待ってるって約束したから」


 お互いに、誰を、なんて聞かなくても分かっている。金色の髪を思い浮かべたとき──


“ザアッ──”

 風が巻き起こった。


「ディアナ」


 張りつめたイールの声に、彼女は剣を取ろうとして──瞬きした。彼らの前に現れたのは、深い緑色のローブを着たハーフエルフだった。


「リエイル……」


 ディアナがその名を呼ぶが、剣を向けなかったのは、その腕のなかの彼の兄弟を目にしたからだ。


「アレイル?」


 ぐったりと瞳を閉じて、兄に担がれたままのハーフエルフ。所々焼けこげた肌と、斬り落とされた朱金の髪。濃い血の匂い。重傷なのは間違いなさそうだ。


「……なにが、あったの?」


 女神の問いに、リエイルが顔を上げた。どこか気の抜けたような、どうしていいかわからないといった、虚無の表情。しかしディアナと目が合った途端、彼女を強く睨みつけた。


「お前のせいだ。アレイルの心を惑わせた魔女め。月の光など知らずに居れば、アレイルは皇帝陛下に逆らったりせず今まで通り──こんな目に遭わなかったのに」

「何言ってる!」


 彼の言葉にイールが怒りを表した。


「お前たちの皇帝は残虐な魔性だろ!最初から捨て駒にされていたのに、気付かないふりをしてた愚か者はお前たちだ!」

「イール」


 ディアナは相棒を嗜めた。リエイルの瞳をしっかり見つめて、問う。


「リエイル。どうしてここに来たの?私にどうしたいの?どうして欲しいの?」


 彼はひどく面食らったように女神を見て。そして弟へ視線を落とした。


「アレイルを──頼む。かろうじて息がある。頼む、死なせないで欲しい。皇帝陛下から守ってくれ」


 置いて行かれた子供の様に。どこか頼りない声音にイールが息を吞む。ディアナは手を差し伸べた。


「分かった。──あなたはどうするの?」


 彼はアレイルをディアナに託し、視線を逸らした。弱々しく呟く。


「陛下は私も殺すだろう。けれど最後の瞬間まで私は、あの方のお傍に居ると決めた」

「くだらないよ。あんなヤツにお前が命をかけてやるなんて」


 彼の決心に、イールは舌打ちする。リエイルは初めて感情の動いたその表情で──笑った。


「そうだな。けれどそれでも、あの方は私の主なのだ。アレイルを──頼む」


 ふたたび風が巻き起こって。咄嗟に閉じた目をふたたび開けた時には、彼はもう姿を消していた。ディアナは彼の気配を感じ取るかのように耳を澄ませていたが──首を横に振る。


「イール、急いで家に戻りましょう。アリエルを呼んで」


 ハーフエルフを助けると決心したらしい相棒に、イールは冷や汗を拭いながら答えた。


「……またキラキラの居ない間によその男連れ込んだら、今度こそお仕置きされちゃうよ……」


 またも厄介なことになる前に、キラキラ王子に早く戻って欲しいとイールが願ったのは、初めてかもしれない。




 アレイルが目を覚ましたのは、それから二日経った夜だった。

 女医アリエルの処置と自身の魔法治癒能力によってなんとか命を取り留めた彼だったが、意識が覚醒して最初にディアナを見たとき、喜びと、絶望が入り交じった複雑な表情をした。


「……アレイル、分かる?リエイルがあなたを連れてきたの」


 そっと告げるディアナに、アレイルは目を見開いて俯く。


「リエイルを独りにしないと、思っていたのに──」


 寝台に座ったままの彼が握りしめた拳が震え、もどかしさに苛立つ様を、傍らに立ったディアナは労るように見つめた。その手を重ねる。


「リエイルは、あなたに生きていて欲しいと思ったのよ。私に頼むって言ったわ」

「ディアナ……」

「リエイルは皇帝の傍に残るそうだけど──それでもあなたたちの絆は無くなったわけじゃない。いつか、きっとまた会える」


 アレイルの金色の瞳が揺れ、紫水晶に吸い込まれるかの様に彼女を見つめ返した。その腕に縋り付く。


「ディアナ、もう俺の希望は君しかない。頼むから、俺を受け入れてくれないか」


 必死な彼の様子に、ディアナは言葉を失った。打ち拉がれたハーフエルフを放っておけない。けれど彼を受け入れるわけにはいかない。だって、私は──


「アレイル。私が愛しているのはセイだけなの。あなたの力にはなりたいけれど、心はあげられない」


 彼女の腕を掴む彼の手に触れると、アレイルは泣きそうな顔でディアナを仰ぎ見た。その金の瞳に徐々に赤い光が混じるのを見つけ、月の女神は息を吞む。


「アレイル」

「嫌だ。君が欲しい。月の女神」


 アレイルはハーフエルフの魔性の力を使おうとしている。じわじわと身体の自由が奪われて行く感覚に、静止の声を上げた。


「アレイル、やめて」

「──駄目だ。俺のものになって、ディアナ」


 その腕を力任せに引いて、華奢な身体を抱き締めようとして。



『──月の女神に触れること、我と我が主が許さぬ』



 凛とした声がその場に響き渡った。


“──パアッ”


 アレイルとディアナを引き離すように退魔の剣が現れる。

 それが纏う青と赤の光に、アレイルは思わず身を退き、身体の自由を取り戻したディアナが剣の銘を呼んだ。


「フォルレイン──」


 剣を中心に、ディアナを守り囲むように青い光が浮かび上がり、それが宙を走って魔法陣を描いてゆく。繊細な紋様が紡がれ、一つ一つが美しい絵画のようにその場を満たしていき、アレイルもディアナもそれに目を奪われた。

 長いようで一瞬の、魔法──ひときわ強く輝いた、その中に。



「今度こそ、約束を守ります。……迎えにきました、僕の月の女神」



 青い光に包まれて。優しく微笑む、美しい青年。

 零れ落ちる金色の髪。アクアマリンの瞳。待ち続けた、愛しい人。


「──セイ」


 差し伸べられた腕に、ディアナはためらいなく飛び込んだ。しがみついたと思ったら、逆に強く抱きすくめられて。その腕の力強さに、前にこうされたときよりもセイがより逞しくなった気がする。

 夢で逢ったときは自分の記憶が作り出した彼だったのか、どこも以前と変わらなかったのに、実物を目の当たりにしたら──その容貌が美しいままだけれど、より男性らしくなっていることを意識して、急に気恥ずかしくなった。


「セイ……」


 けれど離そうとした身体を、王子は許してはくれない。


「ちゃんと確かめさせて下さい」


 腰を抱く手も、頬を撫でる指も、向けられる視線も、どこか艶を帯びていて。ああ、目が合った、と思った時にはもう唇を塞がれていた。目を見開くディアナに、悪戯めいた光でセイが微笑む。


「キスしてもいいですか……って聞こうと思っていたんですが。すみません、待てませんでした」

「……もう」


 クスリ、と溢れた王子の笑みと色気に、ディアナは真っ赤に染まる頬を隠したくて俯いた。けれどすぐに、彼にその顎を掬い取られて、また唇を落とされる。視線で待って、と乞うものの、潤んだ瞳は更にセイを煽っただけだった。その腕に力が篭る。


『全開で口説かせて下さいね』と。──彼の言った通りだ。セイはその美貌も色気もフルで活用して彼女を堕とそうとしている。だってこんなにも、目が離せない。触れる指一本にさえも、蕩けるような愛情を感じる。

 どうにも逃げられず、瞳を合わせたまま、ディアナは口を開いた。


「聞かなくたって、私の答えなんて知ってるでしょう」


 少女の答えに、王子は言葉を失った。驚いたように目を丸くして──唸るように呟く。


「そう、きましたか」


 答えを間違えたのだろうか。ふと不安になるディアナは、見上げた恋人の頬が赤く染まっているのを見つけた。どうやら大正解の模範解答だったらしい。目元を緩めて、セイがディアナの額にキスを落とす。


「いけないひとですね。聖国の王子を誘惑する女神だなんて」


 頬に触れていたその手が首筋を撫で、後頭部に回って。それを追うように彼の唇が彼女の耳朶をかすめ、腰を抱いていた手が焦らすように撫で降りる。くすぐったさにディアナは背を震わせて──


「ねえ、それ以上いちゃつくと、ハーフエルフ灰になっちゃうよ」

「イッ、イール!」


 呆れ返った冷静な声に、ディアナは悲鳴を上げた。いつの間に戻ってきたのか、窓枠に留まってこちらを見つめる女神の相棒がそこに居る。セイは動じることなく、にっこりと彼に微笑んだ。


「おやイール。お久しぶりですね、会いたかったですよ」

「すっげー棒読みだよ、キラキラ王子。ところでその華麗なスルー、わざと?」


 白い鳥がちらり、と視線を投げた先に、茫然としているアレイルの姿を見て、ディアナは真っ赤になって眉根を下げた。

 あろうことか告白してきた彼の前で、思いっきりセイといちゃついてしまった。しかもちょっと際どいところまで。ごめんなさい、と言うのもなんだか余計に傷を抉る気がする。


「あ、あの、アレイル」


 慌てるディアナを離しもせず、青の聖国の王子は極上の笑みを投げかけた。


「すみません、アレイル。僕の愛しい婚約者の姿につい、我を忘れてしまいました」


 こちらは実に優雅に、かつ的確に、さらりと傷を抉ってみせる。イールは溜息混じりに呟いた。


「ほんっとイイ性格してるね、キラキラ」


 ディアナにちょっかいをかけ、誘拐監禁したあげく彼女に救われたのに、懲りずに迫ろうとする。そんな害虫にこの王子様が容赦するわけがない。未だしっかりとディアナを抱き締めているのが良い証拠だ。この王子は意外と独占欲も強いし、嫉妬深い。


「……やっぱ帰って来なくて良かったかも」


イールはこっそり呟いた。

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