それぞれの道
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セインティア王国に戻った王子一行は国民に盛大に迎えられた。
ラセイン王子はその堂々とした態度で王へと進言し、
「申し上げました通りに、リティア嬢はセインティアの航路を脅かした海竜を見事に浄化致しました。銀の魔導士とその弟子の働きはお認め頂けるでしょう。我が国の誉れでありこそすれ、敵ではありません」
海竜討伐の成功をもって、見事試練に打ち勝った証を立てた。これにより、銀の魔導士とその弟子は晴れて聖国の英雄となった。青の聖国に災いをもたらす災厄ではなく、王に認められた自由な魔導士として。
教えを欲する魔導士見習いを導くのは、師であるシーファであり、ひいては魔導大国セインティアの次期王である自分の役目だと。そう言い切った息子に、王は目を細めた。
公式な謁見が済んだ後、父王は息子をその場に残し、後の者を下がらせる。セイは何を言われるのかと少し身構えたが──父はにやりと笑った。
「女神を賭けられて、本気になったか」
「……お言葉ですが、陛下。僕はいつだって本気です」
父はどこまでも息子たちを試していたのだ。
シーファとリティアを幽閉すると言ったのも、セイとディアナを引き裂くつもりだというのも、本気ではなかったに違いない──否、セイが打開策を見いだしてくると確信した上で、試練を与えたのだ。
「これでお前は国民に王としての資質を認められ、魔導士とその弟子は安泰。国境をまたいだアディリス王国との共闘で友好関係も確固たるものとなった。世界有数の大国とこれだけ仲良くなったのだ、セアラの政略結婚は必要ないだろう。ついでにアディリスとの同盟は、女神を狙うドフェーロ皇国への牽制にもなったな。両国から攻め入られる危険を侵してまで皇帝が軽はずみに動くとは思えん。ああ、リティアがこの国の英雄となった時点で、彼女の母国フレイム・フレイア王国もこちらに手出しは出来ぬし、これも重ねてドフェーロへの対抗手段になり得るな。──全てお前の計算通りだろう、ラセイン。我が息子ながら悪知恵が働くものよな。一石二鳥どころか土産だらけではないか」
「……すべて、お見通しでしたか」
王が何もかも見抜いていたことに、内心苦笑する。計算というよりは、希望ではあったが。
「ということは、父上も同じことを考えていたのではありませんか。他にも試練に相応しい魔物討伐の話はいくつも挙がっていたようですが、わざわざアディリスとセインティアの間に現れた海竜の討伐を選んだのは、姉上のことがあったからでしょう」
「まあ多少の気配りはしたがな。正直、私は半分も成功すると思ってはいなかった。こればかりはお前の手柄だ。良くやった、ラセイン」
「……ありがとうございます、父上」
王子たるもの、問題のすべてを個人的な感情で解決できるとは限らない。けれど、どうしてもやり遂げたかった。
『僕の大事な人すべてに、幸せになって欲しいから』
ディアナにいつか語った言葉を、嘘にはしたくなかった。
「けれど、僕にも誤算はありましたよ。僕はアランとシーファを危険に晒してしまいましたし──」
ふと思うのは。紫水晶の優しい瞳。
彼女がリルフェンに現れたと知った時には、本気で動揺した。彼女の剣士としての腕前を良く知っていても、皇帝に怯えていたあの姿を忘れられない。どんな危険な目にもあって欲しくなかった。けれど、彼女は自ら飛び込んできたのだ──セイに逢うために。
「ディアナは、自分の力で次期王妃としての素質を示したんです。ただ安全な場所で待つのではなく、戦いに身を投じて僕を支え、僕の心まで護ってくれた。アランもラクロアも、もう彼女を認めています」
ラクロアの想いなど、彼の目を見ればすぐに分かった。それでなくても魅力的な彼女の傍に居れば、惹かれるのは当然で。けれど、ディアナの強さに触れれば触れるほど、彼の視線が恋ではなく崇拝に変わっていくのも分かっていた。嫉妬と独占欲が欠片も無かったわけではないが、それ以上にディアナの言葉が嬉しくて。
『迎えにきて、ラセイン王子』
熱と甘さを秘めたその約束が。何よりもセイを前に進ませた。
「彼女にも覚悟を決めてもらいましたので、近々、月の女神を婚約者として正式に王宮へ迎え入れるつもりです。お許し頂けますよね」
緩み切ったと自覚している顔で父に許可を求めれば、王は呆れたように、けれどどこか可笑しそうに問うてきた。
「泣き落としたのか、ラセイン。それとも色仕掛けか。女神も災難なことだ」
「……だからあなた方は、僕をどういう目で見ているんでしょうか……」
***
王城の廊下の片隅。近衛騎士アランは今まさに焦がれた姫君の手を取っていた。
俯く金の薔薇、そのこぼれ落ちる豪奢な巻き毛の間から見える、蒼白に震える頬でさえ美しい。
『アランが死にかけたと聞いて半狂乱になるくらいなら、出来ぬ覚悟など捨てよ』
先ほど魔物退治の報告中に、謁見の間で突然暴露された王女の秘密は、アランに衝撃を与えた。
王が皆の前で放った言葉に、セアラは本来ならぴしゃりと皮肉を言うか、あっけらかんと言葉遊びで躱すはずだった。けれど彼女はどれも出来ずに、その場から逃げ出したのだ。
──その姿を見た途端、アランは自分を押さえていたものが弾け飛んだ気がした。
御前で失礼だとか、主の傍を離れるべきではないとか、そんなことは頭から吹っ飛んだ。それでもかろうじて残った理性で、瞬間的に主を呼べば。
「ラセイン様」
「許す。追え」
主君もまた間髪入れずに答えてくれた。さすがに長年の付き合いだ。
感謝しながら、足早に彼女を追って。すぐにその気配に追いついた。セアラ姫が逃げ込む場所まで熟知している自分に苦笑する。
そして、捕まえた彼女が今、目の前にいる。彼の視線を受けて、彼女は思い切ったように顔を上げた。
「あなた言ったわね。無事に帰ったら一つ願いを聞いて欲しいと。あなたの願いを聞かせてちょうだい」
今までなら、決して問われなかった言葉の先。それを許されたことに、はっきりと距離が変わったのを感じた。
王女セアライリア──セインティアの“金の薔薇”と言われる美しい姫君。
幼馴染として育って、いつも傍に居て。友人だとか、妹みたいなものだとか、忠誠を捧げる相手だとか。彼女との関係を表す言葉はどれも曖昧で違うような気がして。
最初から変わらずはっきり言えるのは、守るべき、大切な存在だということだった。
いつから恋だと思ったのかも分からないほど、自然に彼女への気持ちは育つばかりで。いつかはセアラ姫は聖国を守る為に政略結婚をすることも、彼女の望みならばと見守ってきた。
自分が手に入れたいなどと──間違っても望まないように。
しかし実際にアディリス王国のレオンハルト王子という具体的な存在が現れたことで、アランの自制心は揺らいだ。セアラ姫が立派な王族に嫁いで、幸せそうに笑っていたならまだ、忘れられた。
なのに、彼女はそれすら諦めているのだと知って。
どうして。俺があなたを諦めるのに、あなたは幸せになってくれないのか。それなら。
「セアラ様、どうか幸せになって下さい」
言葉にした一番の想いは、きっとセアラ姫には他人事に聴こえたのだろう。誰かに幸せにしてもらえという意味に誤解したに違いない。怒りと哀しみが混じった顔を向けてくる。
「あなたこういう時は、『私のものになって下さい』とかせめて『キスしてもいいですか』とか、それくらい言うものでしょう……!」
彼女の口にした台詞に覚えがあって一瞬考え込んだら、姫君は侍女から愛読書を借りてこい!などと言う。
ああ、あの姫付きの侍女が大好きなロマンス小説に出てくる台詞か。「フォルニール君、モテる男はこういうこと言うものよ」とアランも押し付けられたことがある。もちろん全巻拝読させて頂いた。
そう告げればセアラ姫ががくりと肩を落とし、それがいつもの凛とした美しさよりも、妙に無防備で可愛くて、彼は苦笑する。
「そりゃ言いたいですよ。でもあなたが後悔することだけはしたくないんです。俺がこのまま抱き締めたら、あなたは俺のものになってくれるかもしれないけど、それであなたが前を向けなくなるのは嫌なんですよ」
強引に自分のものにすることなど、簡単だ。捕らえてラセイン王子のようにドロドロに甘やかすことだって躊躇いなくできる。けれど、アランの愛する姫は“聖国の金の薔薇”たる彼女だ。
誰にも手折られること無く、自分の意志を持って前を向く女性──だから約束にかこつけて、気持ちを奪い取る真似などしたくない。けれど。
「あなたの幸せが、俺の願いであり望みなんです。だから抱き締めることも、キスすることも、あなたの許し無しにはできません。でもね、セアラ様」
──もう、見守るだけなんてことはできない。俺が幸せにしたい。
これは別離の言葉ではない。今までの距離を取ろうとする言葉でもない。
望んで。
俺を欲しいと、望んで下さい。
「もしそれがあなたの幸せだと言ってくれたら、俺は迷いません。あなたを抱き締めて離さない。だからその決心がついたら、俺に堕ちて、幸せになって下さい──セアライリア」
セアラ姫、ではなく。
正式な名を乗せることで、正式な騎士の誓いだと示した。青の聖国では、求婚の際には正式な名を呼ぶことが慣習になっている。
ああ、と。姫君のアクアマリンの瞳から涙が溢れた。──もう長いこと、見ることのなかったそれ。
「……アラン」
「はい、我が姫」
一言呼ばれるごとに、心臓が跳ね上がる。この美しくて愛おしい、焦がれるほどに想うひとを、手に入れたい。
──どうか、俺を求めて。
「キスして。それがわたくしの幸せよ」
その言葉を待っていた。
アランはセアラの手を引く。金色の睫毛が震えるのに構わずに──その唇を奪った。
一度目は重ねて熱を確かめて。それから息もつかせぬほどに強く──奥深くまで。セアラの金色の巻き毛を抱え込むように抱き締めて、お互いの息の合間に、潤んだ彼女の瞳を覗き込んだ。
「──もう、何を言われても逃がしませんよ、我が姫」
愛おしさを込めて囁けば、真っ赤に染まった頬でセアラが頷く。
「ええ。逃がさないで。離さないで」
返された言葉に、心底幸せだと思えた。
「愛してる、セアライリア。もうあなたは俺だけの金の薔薇だ」
何度もキスを交わしながら。何度も愛を囁いて。
近衛騎士と姫君は、幸せそうに微笑んだ。




