疑惑
魔族の住み着いた古城に入り込み、魔物を蹴散らしながら捜索していた二人だったが、見える範囲をあらかた片付けたところでふとセイが呟いた。
「おかしい」
「え?」
ディアナが問い返す。彼女の顔を見て、彼は油断なく周りを見渡しながら説明してくれた。
「これだけの量の魔物が居るというのに、いくら極秘扱いとは言え、王女が誘拐されて全く兵士が動かないのは不自然です」
「そうなの?でもタクナスさんは兵を動かせば、諸外国にまで何かあったと知らせるようなものだって」
ディアナは城からの使者の言葉を繰り返す。しかしセイは更に疑惑を深めたようだった。
「そもそもフローラ王女と青の聖国王子の結婚なんて有り得ないんです。そんな不確かな情報でドフェーロ皇国が動くとも思えない。僕達は何かに利用されているのかもしれません」
「どういうこと?」
よくわからない。だいたい、王女の結婚があり得ないなどと何故言い切れる。彼はどうしてこんなに政治や王家の内情に詳しいのだろう。それともディアナが疎いだけなのだろうか。
しかしセイは答えず考え込むばかりで、気まずくなった彼女は話題を変える。
「それにしても王女様と王子様の婚約なんて、別世界のことみたい。セイにもいるんじゃないの?恋人とか、貴族なら婚約者とか」
「え」
──“バキッ”
古い扉に手を掛けていた彼の手元から、なんだかもの凄い音が上がった。しかしそれには目もくれず、セイが振り返る。先ほどまで朗らかに微笑んでいた顔が、今は無表情でディアナへと向けられていた。そうすると輝くような美貌が一気に氷のような不穏を纏う。
予想もしなかった青年の顔を見せられてしまい、少女はその視線にたじろいだ。
「あ、あの今、取手が」
彼の手の中で、扉の取手が壊れていた。どうやら思わず力を込めてしまったらしい。
「今、なんて?」
「あのだから、取手……」
恐る恐る彼の手元を示すが、セイは聞いていない。ディアナを凝視している。
え、え、何?
その反応に、軽い気持ちで問うたディアナの方が驚いた。
短い時間だが一緒に居て、彼は穏やかで冷静な人間だと思っていた。ちょこちょこ気になる意味深発言はするが、思ったよりも真面目だし気を遣われているのも分かった。
なのにその彼が。わずかな一瞬で氷の美貌は溶けたものの、今度はひどく途方に暮れたような顔をしている。
私、何か悪いことを聞いた?
ディアナは一瞬、自分の言葉を後悔する。無意識のまま。
そして、セイは緩やかに息を吐いた。彼女に聞こえ無いほどの微かな声で呟く。
「──やはり本気にされないか」
ディアナの耳には届かなかったが、口元を歪めて微笑んだその顔に、なぜか胸が痛んだ。
そして、彼は一歩彼女に近づいて──ビクリとするその身体を壁際に追いつめる。彼の腕が、ディアナを囲い込むように壁に触れて。
「僕はあなたを好きになったと言いましたが。それを聞いた上で、そんな質問をしてしまいますか」
声音は優しいけれど、台詞にはなんだかディアナを逃がさない響きがあって。
「え、だって……」
「それともわざと、気づかないふりをしているの?」
彼女は混乱したまま、その瞳から必死に逃げようとする。セイのアクアマリンの淡い水色が、暗い古城で深い色に煌めいた。逃げようとする彼女を絡め取るように。
冗談、でしょう?だって出会ったばかりなのに。本気にしろという方が無理よ。
そう思ったが、言ってはいけないと何となく感じた。
少し怯えが混じったその表情に気づいて、セイはハッと彼女から離れる。安心させるように微笑んだ。
「すみません。ついムキになって。怖がらせてしまいましたね。……僕もまだまだ未熟だな」
なんだか悲しそうに笑う彼から、目が逸らせない。離れて欲しいとは思ったが、傷ついて欲しいとは思っていない。どうして彼がそんな顔をするのかもわからないまま、ディアナは思わず首を横に振った。それを見て、セイは軽く目を見開く。
一瞬だけ頬に伸ばされた彼の指が──結局ディアナには触れずに落ちた。それが残念な気がしたのは、絶対に気のせいだ。
「ねえ。そんなことしてる場合じゃないんじゃないの」
「きゃ!」
不意に耳元で上がった声にびっくりして肩を見れば、イールが不機嫌そうにそこに居た。
「イール!入って来たの?」
天井があるところでは、空高く逃げられないイールが魔物に襲われたら危険だ。だから屋内での魔物退治では彼を外で待たせているのに。
イールはフンッと鼻で笑って、バサリとその翼で美貌の青年を指し示した。
「だってボクが居ないとどこかの誰かさんが、ディアナにおいたするかもじゃん」
「おや、信用がありませんね。悲しいな」
「たった今現行犯だったよね!ねえ!?」
「そんな記憶はありませんが。見間違いでは?」
「犯罪者はみんなそう言うんだよ!!有罪!キラキラ罪!!そのキラキラ引っこ抜いてやろうか物理で!」
「それは困ります。ディアナを口説き落とす武器が一つなくなってしまうじゃありませんか」
「やっぱりアンタ、自分のキラキラ加減自覚してるだろ!」
先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように、セイは軽口を叩く。その顔はもう、いつもの彼で。
喋る白い鳥と笑顔の青年のやり取りは端から見ると妙なものだが、今はイールが居てくれて助かったと思う。これからずっとこうでは、心臓が持たない。
ディアナは溜息を一つ吐いて、奥へと歩き出した。