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月の女神  作者: 実月アヤ
第四章 奪われた女神
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襲撃者

「ディアナ、セイはその辺も全部、ゆっくりキミに受け入れてほしいんだよ。コイツの言う事に騙されないで」


 イールはなんだかんだ言っても、セイを信頼しているのだろう。結局最後には彼の味方をしている。


「イール、俺は騙してない。ただ疑問に思っただけだ」

「ひきこもりのエルフが、なんでそんな王族事情だけ詳しいわけ?」


 目を吊り上げたイールが、アレイルを羽でバサバサと叩きながら怒っていたが。


「──っ!?」


 ディアナは不意に殺気を感じて振り返った。身体を捻ると同時に、本能的に剣で目の前を薙ぎ払う。剣先が何かを弾いて、それがキン、と高い音を立てて、くるくると中空に跳ね上がった。地面に落ちて突き刺さる。


──短剣だ。飾り気の無い、狩猟用の。


「誰!?」


 警戒態勢でそれが投げられた方向を睨みつけると、深緑色のローブに包まれた人影が現れた。深くフードを被っている為に顔は分からない。けれど短剣の勢いといい、コントロールといい、少なくとも武術の心得がある。


──そして、空気が震えるほどの、威圧感。


 短剣を投げたまま、こちらに伸ばした手の甲に、不思議な魔法陣が描かれていた。


「──あいつ」


 アレイルが息を呑んだ。その様子を横目で見て、少女は視線で尋ねる。エルフが男を睨みつけたまま口を開いた。


「あのローブの男……リスタリティカに来た。俺の仲間を捕らえて連れて行った男だ」

「何ですって……?」


 エルフを狩り、絶滅への道を引いた男。それが、あの人?

 ディアナの肩で、イールも同じように息を呑んだ。


「イール?」

「ディアナ、あいつ……!キミの両親を殺して、クレスを傷つけた──月の指輪を奪った、ドフェーロ皇国の男だ……!」


──目の前が、弾けたような衝撃に。ディアナは目眩がした。暗く染まる視界に、煮え立つほどの怒り。


 この男が、両親と兄を奪った?兄の遺した、月の指輪を奪った?


──ユルサナイ。


「ディアナ!」


 イールの緊迫した声に、意識を取り戻す。駄目だ。あの時の様に、女神の力を暴走させてはならない。ここにセイは居ない。誰も止められなくなる。

 息を吸って──吐いて。無理矢理気持ちを鎮めた。なにも考えないように、目の前の男を睨みつける。

 彼女の隣でアレイルが魔法を唱えて、手に水球を発生させた。他にも仲間が居るかと偵察するつもりなのか、イールが空高く舞い上がる。


「アディリスの月の女神、だな」


 予想もしていなかった雷のような重低音の声に、彼女はビクリと背を仰け反らせた。目の前のその男から発せられる殺気と、その鋭い声、ローブからかろうじて出ている手元、どこを見ても隙がない。

──おそらくは相当な手練だ。

 背中を冷たい汗が流れていく。剣の柄を握り直した。その瞬間、一気に男が動く。


「っ!」


 反応した時には、咄嗟に身体の前で庇った剣に、男の剣が振り下ろされていた。


──“ガンッ!!!”


 声と同じように酷く重量のある一振りだった。剣を弾かれなかったのが奇跡的なほど。打ち返し叩こうとするがもう一撃振り下ろされる。


──“ガァンッ!!”


「く、っ……!」


 先ほどより更に重い攻撃に、受け止めた剣を持つ腕にビリビリと痛みが走った。


(これは……)


 セイほど速くはない。ディアナほど鋭くもない。しかし圧倒的な腕力の差があり過ぎる。このまま打ち合っていたら、ディアナの方の体力が尽きてしまう。

 少女は自らの不利を悟って、どうにかその男から逃れようとするが、隙が掴めない。焦り始めた彼女に頭上からイールが叫んだ。


「エルフ!」


 アレイルがその手の水球をローブの男に叩き付けた。ひとつではない、いくつもの魔法を撃ち込む。


「ぐっ」


 男がその攻撃にひるんだ瞬間に、ディアナはアレイルの手をとって走りだした。


「逃げるわよ!」

「まて、ディアナ!こちらの方が速い」


 アレイルはディアナを抱きかかえ、木々の間を跳んだ。さすがに森に住む精霊だ。あっという間に男から逃れ、森の外れまで来る事が出来た。イールが舞い降りてきて、ディアナに言う。


「ヤバかった……!もうこれボク達の手に負える話じゃないよ。セイに話そう」


 彼の言葉にディアナは苦笑を返す。


「もう知ってるわ、きっと」


 掲げた腕には、セイから与えられた腕輪──それが今や赤い光を放っていた。


「きっと守護の魔法か何か、掛けていってくれてたのね。さっきの男の剣の衝撃を減らしてくれてたもの」


 魔法が発動したら術者に報せが行く。きっと今頃は、彼女に起きた危機を青の聖国へ伝えているだろう。


「……さすが王子様。備えまくりだね」


 呆れたように呟いたイールだったが、ふと未だにディアナを抱きかかえたままのアレイルへと目を移す。


あ~……世界の終わりの日になるかもしれないなあ……。


**


 その夜、腕輪を通してひとしきり事情を話すと、セイはまず息を吐いた。


『あなたが無事で良かった』


 黙っていた事を咎めるでも責めるでも呆れるでもなく、ただ純粋な安堵を向けられて。ディアナがつい申し訳なくなるほど。


「ごめんなさい。アレイルの事、黙ってて」

『いえ……そのエルフの言った事は本当ですよ。ドフェーロ皇国がリスタリティカでエルフ狩りをしたという報告が、僕にも上がってきました。ただ精霊の言葉以上の証拠が無く──今の時点ではどうにも介入は出来そうにありませんが』


 例えばそれが聖国への侵略目的ならともかく、その目的も、皇国として行ったのか一部の人間によるものなのかも分からない今は、国として対応は出来ないのだと。セイが苦々しく呟くのを聞いてディアナはそう、と返した。


『ただ、各地のエルフが全滅したわけではありません。彼の仲間はまだ居ますよ』


 彼の言葉に、ディアナは口元が緩む。


「調べてくれたのね?ありがとう。アレイルが喜ぶわ」


 探すのは大変かもしれないが──独りではないという事実は、きっと彼の力になるだろう。

 セイはそうですね、と同意してから慎重に言葉を重ねる。


『けれどあなたを襲った男の目的が月の女神の力なら──ディアナ、しばらく家から出ないようにしてください。その家ごと守護魔法を掛けていますから、そこに居れば安全です』


 いつの間に。腕輪といい、家といい、青の王子は用意周到で──過保護だ。

 その気遣いも、確かに嬉しいのだけれど……。


『どうしても外に出るときや、必要ならアレイルの手を借りて。エルフの魔法“だけ”は頼りになりますから』


 その含みのある声に、ディアナは微かに違和感を感じて眉を上げた。


「アレイルを頼っても良いの?」

『そりゃあ、あなたに言い寄っている男は全て気に入りませんよ。けれど今は、あなたの身の安全が最優先だ。使えるものは何でも使います』


 事情を話そうとしたディアナに、イールがセイを怖がって席を外したのは、正解だったかもしれない。腕輪の向こうから伝わる、冷え固まった口調は、言葉とは裏腹に聴こえる。けれど結局彼は自分の感情よりも、ディアナを最優先するのだ。その辺りは、イールも彼を見くびっていたかもしれない。


『僕が傍に居られたら良かったのに──』


 ディアナの両親を殺し、兄の死を招く傷を負わせた襲撃者。そんな相手が迫っているというのに。

 世継ぎの王子の、ままならない身が悔しいのだろう。セイは呻くように呟いた。それを気に病ませたくなくて、わざとディアナは明るい声で言う。


「イールはあなたが嫉妬でエルフを滅ぼしちゃうかもって言ってたわよ」

『……実は嫉妬でつまらない事を言わぬように、必死で格好つけているんです』

「私は簡単に心を移したりはしないわ」


 部屋に一人きり。イールも居ない。聞いているのはセイだけだ。それも顔を合わせず、声だけ。

 いつもディアナを躊躇わせる、恥ずかしさは半減していた。今なら、素直に伝えられる。


「好きなのはあなただけ」


 それでもかろうじて聴こえる声でそっと囁けば。


 『──っ』


 魔法の向こうで彼が息を吞んだ気がした。わずかな間が空いて──柔らかな声が届けられた。


『ディアナ。腕輪を耳に近づけて、目を閉じて』


 セイの言葉に不思議に思ったが、彼女は素直に従う。腕輪を耳に押し当て、目を閉じた。


「言われた通りにしたわ」


 そうして、閉じた瞼の暗闇の中で。


『愛していますよ、ディアナ──僕の月の女神。今すぐあなたをこの腕に抱き締めて隣で眠れたなら、他には何も要らないのに』


「──っ!」


 背中にぞくり、と甘い衝撃が走った。

 耳元で響く艶めいた声。優しいのに──情熱的な。どこか色気に満ちた声音が、滑り込む。

 まるで彼がディアナを抱き締めて囁いているかのようで。

 目を閉じている分、耳は鋭敏に反応した。その音を一つも漏らさずに、ディアナの身体の奥へ沈み込む。思わずくらり、と眩暈がした。声にならない悲鳴が、吐息になってディアナの唇から溢れる。


『あぁ……こういうのも、いいですね』


 満足げな声に、思わず悲鳴を上げそうになった。セイも同じようにしているのだと悟って──ディアナの吐息までもその耳に捕まえているのだと気付いて。


「セイ……!」

『あなたにちょっかいを掛ける男を排除出来ないなら、せめて全力で口説かせて下さいね?』

「な、な、なっ、何言ってるのっ」


 とんでもない羞恥に、頬が真っ赤に染まる。顔が熱い。瞳を開けてしまっても、なお破壊力のある、彼の声。


『可愛い、ディアナ。早くあなたに会いたい。このまま眠るまで囁いてくれたら、きっと夢で会えますね』

「──っっっ!!?」


 今度こそ、彼女は膝から床に崩れ落ちた。

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