従兄弟からの依頼
「キルスさんはセイと凄く親しいんですね」
ディアナはキルスと一緒にキッチンへ来ると、オーブンからクッキーを出しながら微笑む。綺麗に焼き色のついたクルミとチョコレートのクッキーは、ディアナが初めてセイに出した時から彼の好物になっている。熱の取れたそれを白い皿に取り分けて綺麗に並べた。
「そう見える?」
キルスが問う。
「えぇ。アランさん以外の人にあんなに遠慮のないセイ、初めて」
クスクスと笑ってディアナが言う。
「でもねぇ、ラセインが俺に本音を見せるようになったのは、つい最近なんだ。君のお陰だったんだよ」
ディアナの手から皿を受け取り、キルスは微笑む。その顔は、セイやセアラほど完璧な美貌ではないが、よく似て端正な容貌だった。軽い口調や仕草で受ける印象は全く異なっていたが、しかしたまにふとセイに重なる部分がある。背格好も近いし、遠目ならば間違える者もいるかもしれない。
今も──軽く目を伏せて微笑むその笑顔に、恋人との相似を見つけてディアナが目を見張った。
キルスウェルの母とセインティア王妃イリアレティアの生家は、セインティアの下級貴族だった。
しかし絶大な魔力と類希なる美貌を持つ魔導士であったイリアレティアは、王の一目惚れで見初められ、聖国の王妃となった。何の取り柄もなく魔力もそこそこだった妹は、姉の影響で侯爵家に望まれて嫁いだ──王の体質の恩恵に預かったとも言える。幸い両親の仲は悪くは無く、後継者も兄が居るために、キルスはいささか自由奔放すぎる次男として育ったのだが。
それもあってキルスは王位からはほど遠いが、成り上がりと蔑まれてきた母の生家は、なにかにつけ完璧な王子と比較して孫達を激励した。
「ラセイン王子には敵わなくて、悔しくてすっごい対抗意識を燃やしていたよ。でもラセインには僕なんて眼中になかったんだ」
ラセイン王子は常に前だけを見ていた。立ち止まりも振り返りもしない。国のため、民のため。キルスだけでなく、周り全てのつまらない妬みや嫌がらせなど、意に介さなかった。彼には母の生まれがどんな家だろうと気にする事は無かった。自分を生み出した母だ。卑屈になる理由も無い。彼はその心根までも、生まれながらの王子だったのだ。
『聖国の太陽』には敵わないと、何度絶望したことか。
しかし、パーティーでセアライリアの客だという美しい少女と踊る彼を見て、その表情にキルスはピンときた。
ラセイン王子はあの娘に惚れてる。完璧で、人の上に立つ王子が──ただの恋する男の顔をして。
「だから気になって、ちょっかい掛けてみたんだよね」
『ラセイン王子、あの娘にご執心なんだね。僕もすっごいタイプ』
以前からキルスの気の多さや女癖の悪さは問題になっていたし、なにかとラセイン王子に対抗し、彼のものを欲しがった。ラセイン王子が胸中に疑念を抱くのも無理はない。
「彼女は僕の大事な人ですよ」
何もかも難なくかわしてきた王子の、初めての本音だった。これだけは譲らないと、はっきり目が言っていた。ラセインにとって風景の一部だった自分が、やっと認識された気がした。
歪んだ喜びだったが、キルスには大きな前進で。
「目から鱗が落ちた気分だったよ。羨ましくて妬ましくて手の届かない憧れの存在が、いきなり僕と同じただの男に見えて」
ディアナはキルスをじっと見つめている。その真意を確かめるように。
「それでなんだか力が抜けちゃってさ。ラセインを妬む自分がバカらしくなった。僕はただ文句言ってただけで、あいつのように何かを努力してたわけでもなかったんだ。だから今は、彼をもっと理解したいとこーやって接してるわけ」
ディアナのことにだけ感情を示す王子の表情をもっと引き出してみたくて、わざと絡むのだ。セイは未だに彼を警戒していて、月の女神の話題すらとりあわなかったけれど。それでも王城では女神の正体を知ろうとする貴族の子息達を、さらりとかわすだけで冷静な態度を崩さなかったセイだったが、どうやらこの家ではその余裕も崩れるらしい。
他の男共が見たらどう思うだろう。いつもなら緩やかに微笑んで相手の言葉を封じるラセイン王子が、キルスに本を投げつけるなど。お上品な彼からは想像もしていなかった。
クスクスと漏れてしまう笑いを隠そうともせずに彼は言う。
「だからディアナのお陰なんだ、ありがとう」
キルスの言葉にディアナは微笑みかけたが、その手をキルスにとられ固まった。
「それにディアナは本当に僕の好みなんだよね~。いやあ、あの魔族を退治したときはほんっとうに素敵だったなあ」
「あ、あの、キルスさん……離して」
顔を赤らめて困るディアナを見て、ますます調子に乗るキルス。
「──フォルレイン!!」
セイの怒声と、稲妻が落ちるような轟音がして、あちこちに焼けこげを作ったアランが飛び込んできて悲鳴とともに叫んだ。
「キルス様!王子を怒らせないで下さいよ!!殺されますよ!!」
その後キルスはセイに家から放り出されそうになり、慌てて訪問の目的を告げる。
「僕、魔獣に狙われてるんだよ!ラセインと月の女神に、魔物退治を依頼しに来たんだ」
「魔獣に狙われているって?」
ディアナはいち早く反応し、キルスに問いかけた。
「緑狼魔獣だよ。でっかいヤツ」
彼は大きく手を広げて示してみせる。ディアナは首を傾けてセイを見た。
「カーシー……?」
カーシーと呼ばれる魔獣は長い緑の体毛の、狼のような魔物だ。ただし大きさは狼とは桁違いに大きい。一般的には馬と同じくらいの体躯だが、その体に見合わず素早い。
「何をしたんです?」
セイはキルスに問う。その瞳はもう冷静そのもので、嘘など何一つ許さないといった様子で鋭く言った。
「カーシーは単体で人を襲うことはない。使役された獣ならともかく」
従兄弟に睨みつけられて、キルスが乾いた笑い声をあげた。
「あはは、ちょ~っとさるご令嬢と仲良くなって~行き違いからお別れしたら、そこの主にけしかけられた」
女性がらみか。
「自業自得」
セイが一言で切り捨てる。
「でもカーシーは手ごわいわ。一度対象を覚えたらどこまでも襲ってくる」
ディアナが真剣に考え込む姿に、キルスは飛びついた。
「そ~そ~。頼むよラセイン、ちゃんと報酬も払うし」
「ハシタ金なら結構。それにあなたの小遣いはセインティアの税金ですよ」
その言葉に珍しく、セイは釣られない。普段、依頼料が破格な案件は、彼のほうが積極的に受けているにもかかわらず。
この家で彼がディアナと暮らすようになって、魔物退治の依頼で報酬交渉をするのは彼の役目になった。王族とは思えない堅実さで、『取れるところからは取る』彼が、客から見事にきっちり依頼料をふんだくってくるのを見ていて、ディアナは内心凄いなと感心しつつ、王子様にこんなことをさせて良いのかと軽く悩んでいたのだが。
セイいわく、「ディオリオになるべく多く仕送りして、楽しく諸国漫遊してきて貰いましょう。二人きりの時間がそれだけ増えますから」だそうだ。
要するに、賄賂を送ってディオリオの帰宅を遅らせる目的で稼いでいるのだ──抜け目無い王子様である。
ディオリオにはクレスの事情をセイから伝えたと聞いている。ディアナの元へは楽しげな義父の観光レポートしか届かないが──きっと思うところもあるだろう。セイの発言は、ディオリオに気持ちを落ち着かせる猶予も与えたかったのだと分かっている。本当に、色々とできた王子様だ。
しかし現在、主君の手ががっちりディアナの手を掴んだままなのを見て、アランは一人顔をひきつらせていた。
(本音はディアナさんにキルス様を近づけたくないだけか)
余りに自分に正直な主君に、呆れる。が、同時に嬉しくもある。
青の聖国では世継ぎの王子として、気を抜くことなどなかった。何かを欲しがることも誰かに執着するのも、初めてのことだ。完璧な王子の、年頃らしい人間らしい一面を見られたことがなんだか嬉しい。多分この王子の従兄弟もそうなのだろう。
だが、キルスはあははと笑ったまま、言葉を続けた。
「それにさあ、ラセインにも無関係じゃないんだよ」
セイとアランは嫌な予感と共に、ディアナはキョトンとキルスを見つめた。
「俺、青の聖国の王子って名乗っちゃったんだもん」
ガタンとセイが無表情で立ち上がり、退魔の剣を抜く。ついにフォルレインが光を零し始めた。
「わわ、それどーするつもりだよラセイン!」
「気持ちは分かります!!だけどあんなんでも従兄弟殿ですよ!思い留まって下さいラセイン様!!」
「どさくさに紛れて失礼だぞ、フォルニール!」
「せ、せめて御手を汚すこと無きよう!俺という貴方の犬が、今すぐそこらの陰で始末してきますからぁあ!」
「主君至上主義にもほどがある!主従関係が歪みきってるぞ、フォルニール!!」
キルスは逃げ回り、アランは絶叫して主君を止める。しばらく命をかけた鬼ごっこが展開されていたが。黙っていたディアナがすっと立ち上がり、セイの前に立った。
「依頼を受けましょう、セイ」
にこりと微笑む彼女にセイは真意を図りかねるが、仕方なく頷く。とりあえず剣を収めた。
「あなたがそういうなら」
ディアナは頷き、キルスへ向き直った。
「色々と聞きたいわ、キルスさん」
キルスは内心ほくそ笑んだ。
(簡単だな)
彼はお調子者を装ってはいたが、さすがにセイとセアラの従兄弟らしく、頭は切れた。このお人好しの美少女に自分とラセインの関係を話せば、同情を得られることはわかりきっていた。そして彼女を落とせば、ラセインは必ず彼女の決定に従うことも。
ディアナに告げた話は全て本当の気持ちだ。だからこそ彼女が自分を放っておけないのもよくわかっていた。そして、キルスのそんな打算も全て、ラセインにはお見通しだということも。
ラセインがキルスにディアナを関わらせたくないのは、キルスの女好きを警戒してのことだけではない。キルスの打算に彼女が傷つけられるのを嫌がっている。
(でも、もう僕だけじゃどうしようもないしね)
頼る相手として、真っ先に浮かんだのが、剣を持った美しき月の女神だったのだ。
「助けてくれないか、月の女神」




