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月の女神  作者: 実月アヤ
第二章 王女の約束
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イールとクレス

 セイはディアナを誘って街を出て、広い丘までやって来た。まだ昼過ぎの明るい光に照らされて輝くセイの金色の髪に、少女は眩しげに目を細める。そんなディアナに気付いて、彼は笑って彼女の手を引いた。柔らかな草の上に並んで腰を下ろすと、セイが彼女に上を示す。


「ああ、ちょうどですね」


 爽やかな風に揺れる花や草木に穏やかな気持ちで空を見上げると、雲の合間に羽ばたく白い鳥がこちらに向かって来た。


「イール」


 ディアナの伸ばした腕に彼は舞い降りる。少しばかり緊張した様子に、ディアナは彼の背を撫でた。


「大丈夫。アリエルさんもレオンハルト王子も、ちゃんと進んでるわ。イールも、もう気に病まないで」

「ごめん、ディアナ……ありがとう」



「ボクに人間の言葉を話す魔法を掛けたのは、ディオリオじゃないんだ」


 あの夜、セイとディアナの前に現れたイールはそう言って、その秘密を明かし始めた。


「クレスだよ。ボクはもともと彼に作り出された」


 クレスはディアナがアディリス王国に居ると知っていた。それと同じくフレイム・フレイアの王は政治的な目的と、王自身の探し人の為にセインティア王国に密偵を放っていて、将軍ディオリオが魔法がらみのトラブルで青の聖国を出て、アディリスに移住した事を知ったのだ。


 ディアナが剣の才能を発揮したように、クレスは月の一族の魔法を使えた。それ故に、ディオリオの行動と、その裏に見え隠れする魔族の悪意に気付いていた。しかし自分の身体は思い通りに動かない。

 だから彼の加護を与えたイールを作り出し、人語を操る魔法を授けて、ディアナの元へ行くように命じた。ディアナがいつか月の女神の力に目覚めるまで、あるいは目覚めた時に、傍で彼女を護れるように。


イールは偶然を装ってディオリオに近づき、彼はディアナを引き取る際に、娘にちょうどいい友が出来たとイールを喜んで受け入れた。ディオリオには魔法使いの屋敷から逃げて来たと適当な嘘をついて、人語を操る魔法は彼に掛けてもらったことにした。魔族に操られているかもしれない彼には、真実を告げる事は出来なかった──クレスを探していると知っていても。


「だけど」


 白い羽を迷うように広げて、閉じてを繰り返して。イールは観念したように言った。


「クレスはボクに掛けた術のせいで、残り少なかった命を更に削られた」


 そして彼が掛けた魔法は、それだけではなかった。


「彼の命が尽きる時、クレスは記憶と想いをボクに受け継がせた。だからボクはイールであり、クレスなんだ」


 ディアナと居る時には、彼女の相棒でもともとの彼である、口うるさくて幼い少年のような『イール』の言動や性格を表に出して。『クレス』の記憶で妹を守り、アリエルやレオンハルトを想った。


 そして。

 ディアナが月の女神として覚醒した時に決めたのだ。

 この子はもう一人でも立っていける。ラセイン王子という守護者も居る。ならば、未だ立ち止まったままの友人を、恋人を、クレス自身の想いを救いたいと──。


「だから、聖国の王女に頼んだ。彼女は魔導師だし、魔法に縛られたボクを理解してくれると思ったから。彼女はディアナを傷つけないし──レオンハルト王子とも縁があった」


 セイは従者の態度を思い出す。いつだったかアランがイールを見て、首を傾げた事があった。「イールさんて、ちょっと不思議っすよね」と。その時は人話の魔法に反応したのかと思っていたが、魔法で作られたイールの存在そのものに、彼の感知能力が働いたのだろう。

 しかしそれはセインティアには無い古代の月の魔法であった為に、種類までは特定できなかったのか。


「イールにクレス兄さんの記憶があること、アリエルやレオンハルト殿下に、伝えなくていいの?」


 ディアナはイールを見つめて聞いた。その指先が震えているのは、失ったものへの哀しみか、残ったものへの戸惑いか。セイはただ、それを自分の手で包み込むことしか出来なかった。


「どっちにしろ『僕』の身体はもう無い。アリエルもレオンも混乱させたくない。僕を忘れて幸せになって欲しい。セアラ姫には、彼らにそう伝えて欲しいと頼んだ」


 イールはいつもの彼ではなく──もっと大人びた落ち着いた声でそう言った。これはクレスの言葉なのだろう。


「兄さん……」


 ディアナの口から零れた呼びかけに、イール──彼の中のクレスが微笑んだ。


「ごめん、ディアナ。お前に会いたかった。抱き締めてやりたかった。とても強く、それに綺麗になったね」


 その言葉に彼女は俯いた。震える肩に、押し殺した嗚咽に、セイはディアナが泣いているのを知る。

 せめて声を上げて、自分に縋り付いて泣いてくれたら。こんな風に我慢して無く彼女が痛々しい。

 けれど包み込んでいた彼女の手が、セイの指に絡められて手をしっかり握り返した。ああ、その分だけは頼られているのだと、彼は胸が熱くなる。


「本当はお前にも知られずに居たかったんだけど──“イール”はお前が大好きだから、秘密が苦しくなってしまったんだ」


 クレスとイールと、二つの人格が入り混じった複雑な感情で、白い鳥は告げる。潤んだ瞳で、ディアナはそれでも顔を上げて微笑んだ。


「兄さん、イールを作ってくれてありがとう。私の大事な、大好きな相棒なの。兄さんとイール、ふたりで私を護ってくれていたのよね。イール、これからもずっと一緒よ」

「ディアナ……」


 囁いたのはクレスなのか、イールなのか。


「青の聖国の王子」


 呼びかけられたのは、セイだった。


「はい」


 返事をして、セイは白い鳥を見つめる。


「ディアナを頼んだよ。──護ってやってくれ」


 女神の兄の慈しみを込めた言葉に、聖国の王子はしっかりと頷いた。


「命に代えても。護り抜き──愛し抜きます」


 彼の決意に、その手に触れた柔らかな指先に力がこもった。



丘の上に座った二人の元で、白い鳥は飛び上がって大きく翼を広げた。青い空と緑の草木に、その白は鮮やかに輝く。


「ボクは先に帰ってるよ。ディオリオにもちゃんと真実を伝えなきゃだし。……まああのオッサン、南でリゾート満喫してるみたいだけど」



 あれから元の『イール』に戻った彼は、以前と同じようにディアナの大事な友人でいる。けれど“相棒”の座は、少しずつセイに譲りつつあるのか、前ほど邪魔しに来なくなった。


「良かったですね。隠し事が無くなってすっきりしたのか、イールも元気になったし」


 セイは安心したように微笑んでそう言って、ふと、黙ったままの少女に気付く。


「お兄さんが眠ってしまって、寂しいですか?」


 クレスの人格は、イールの奥深くに眠ってしまった。

 二つの人格が表に出るのはイールを混乱させ、負担をかけるからだというが──おそらくディアナとイールの関係を今まで通りにするための兄の配慮なのだろう。気遣わしげに問われた言葉に、少女は首を横に振った。


「会えなくても兄さんは私を見守ってくれてる。それに私にはイールも、あなたもいるもの」

「ディアナ……」


 セイがディアナの瞳を覗き込んだ。隣同士で座っているために、距離が近い。ふと指先が触れた。熱を帯びたアクアマリンの瞳が近づくのを、彼女はつい顔を逸らして避けてしまう。


「……今はイールを呼ぶ必要は無いでしょう?」


 ディアナが珍しく少し拗ねたように口にした台詞に、セイは少々焦る。イールをおびき出すために、少々過剰な迫り方をしたことか。あの後、彼女には丁重に謝ったが、どうやらまだ腹に据えかねるものがあるらしい。

 最初はキスだけのつもりだった。けれど驚きながらも応えてくれる彼女が愛おしくて、つい──やり過ぎたのだ。


 アランの本音を聞いたことは、少なからずセイを動揺させた。王の一目惚れと魔法のせいで、姉姫に政略結婚をさせる後ろめたさは、ディアナと出会った時からずっと彼が抱えていたもので。

 それを真正面から突きつけられた挙句──赦されてしまった。諦められるよりも恨み言を聞かされる方が、どんなにマシだったことか。

 しかもそれを聞いてしまったディアナが、自分から離れてしまうかもしれないという不安もどこかにあった。その焦燥から、一番手っ取り早い手段を選んでしまうほど。以前に彼女の信頼を失ったら回復するのは困難だと言ったのは、自分自身だというのに。

 なのに受け入れてくれるディアナが愛おしくて──止められなくなって。


「すみません、キスは確かにイールをおびき寄せるためにしました。……あの、怒っていますか?」

「怒ってるわ」

「……嫌でしたか?」

「……嫌じゃなかったから、困ってるわ」

「……え?」


 告げられた言葉を、セイが理解するのにしばらくかかった。

 彼女の今までの警戒心を考えれば、嫌だった、二度と触るなと言われるかとも身構えたが、まさかこんなに素直な言葉を貰えるとは思っても居なかったのだ。


 ちょっと待て。今、僕は夢でも見てるのか。可愛い。可愛すぎる。どうしたらいいんだ。


 あまりのことに『魔導大国の冷静沈着な美貌の世継ぎの王子』も形無しの大混乱中だ。どうにか平常心を取り戻そうと、子供の頃に習った基礎魔法の呪文を思い出してみたりするが、一向に出て来ない。

 当のディアナはふう、と溜息をついて。


「でもセイはイールを騙すためにやったのよね」

「っ、違います!あなたを好きだから、が大前提です!それにそのあとは……あなたが可愛らしくて、つい調子にのりました!あれは作戦ではありません!……どっちにしろ怒られても仕方ありませんが」


 間髪入れず弁解し、慌てる王子が珍しくて、ディアナはついつい笑みを押し隠す。セイは彼女の様子に気付かずに、今にも彼女にひざまづきそうな勢いだ。金色の髪の青年は視線を彷徨わせたあげくに、心底困ったように口を開く。


「ディアナ……今夜仕切り直してもいいですか」

「それは嫌」


 目に見えてがっかりする目の前の美青年が、青の聖国の王子様だと誰が信じるだろう。

 ディアナは笑い出したくなるのを堪えて手を伸ばすと、彼の頬に──自らキスをした。


「!」


 目を大きく見開いたセイが、彼女を抱き締める前に、少女はさっと身を離した。そのまま立ち上がって、彼の手が届かないように歩き出す。


「さあ帰りましょう、セイ。イールが待ってる」


 月の女神を腕に捕らえること無く逃げられた王子は、不覚にも赤く染まった頬を隠すように片手で顔を覆って呟いた。


「……参りました」


 そうよ、私だって、いつまでも翻弄されっぱなしじゃないんだから。


 事の次第を聞いたセアラ姫に、ニヤニヤと愉しげに「男って馬鹿ですわよね」と教えられた技に、こんなに効果があるとは。ディアナはちょっと小気味好くて口元を緩めた。


 彼は知らないのだ。

 ディアナが彼に触れられる事に、だんだん抵抗しなくなっているどころか、それを愛おしいと感じていることを。あの夜に、彼が何かを意図して迫って来たのを感づいていながら、キスを受け入れたこと。

 そして──彼の理性が焼き切れる音を聞きながら、思わずそのまま身を任せそうになった事を。


……冷静に考えるととてつもなく恥ずかしいから、しばらく秘密だけど。


 背後から、響くセイの声。


「あなたが好きです、ディアナ」


 笑っているような泣いているような、不思議な声音で。振り返ればきっと、幸せそうに目を細めている彼がいるんだろう。


「……私もよ、セイ」


 目一杯の笑顔でそう答えて。

 女神は風に身を翻した──。



***



 数日後、アディリス王宮に呼び出されたセイは、レオンハルト王子より一つの石を手渡される。滴型のアメジストのペンダントだ。


「これを、ディアナに渡してくれ。クレスの形見だ。クレスが死ぬ間際に妹を探して欲しいと言ったのは、おそらくこれを渡して欲しいという意味だったんだと思う」


 深い紫色のそれは、不思議な光を内に湛えている。


「月の力を閉じ込めたものらしい。これと対になるムーンストーンの指輪もあるんだが……」


 ふと言葉をとぎらせた彼に、セイは続きを促した。彼の視線に、レオンハルトは眉を寄せる。


「ディアナの両親を殺め、クレスに傷を負わせたドフェーロ皇国の者に奪われたのだと聞いている。しかもそいつは、今でも月の民の末裔を探していると」


「──ディアナが、狙われているということですか」


 セイは手の中で光る紫水晶の涙を、強く握りしめた。


『ラセイン』


 相棒の魔法剣が微かに震える気配を感じながら、そっと呟く。



「必ず、守り抜く」



第二章:「王女の約束」end.

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