近衛騎士の本音
「お前、大丈夫か」
今日のところは王城に帰る、とレオンハルトが迎えを呼んで帰路に着いた後。セインティアにはまだ帰らないというセアラ姫のたっての希望で、森の家に彼女とアランを泊める事になった。
王女をリザリアの宿に泊めるには無防備だし、一応小さいながらも客室として使える部屋はあって、セアラはそこで眠っている。ちなみにレオンハルト王子は一応、アディリス王城への滞在も勧めたが、セアラに一蹴された。
「あの、ディアナさん一人にしておいて良いんですか?」
年長の近衛騎士は心配そうに主へと提言するが、彼は寝台の上でアランの持って来た書類を眺めている。
「……後で、様子を見に行く。彼女は、僕が傍に居ると泣けないから」
セイの答えにアランは目を見開いた。王子の溺愛っぷりは承知していたものの、同時に彼がディアナを本当の意味で大切にしているのだと知って。セイは彼女をただ甘やかすのではなく、彼女の意志やプライドまで護ろうとしているのかと。
「……『僕の胸で泣いて下さい』とかって口説き落としているもんかと思ってました」
「イールが居ないからな。彼の居ないところではルール違反だろう?」
それは一度泣かせたら止まらないと公言しているのか。
確かにあんなに警戒心も独立心も強い彼女が、セイの前で泣けるようになるほど心を許したら、きっとたまらなく可愛いに違いない。そりゃあ手を出してしまうのも時間の問題だ。
「はあ……ラセイン様も普通の男なんスね」
アランの溜息に、主はちらりと視線を投げる。
「お前は僕を何だと思ってるんだ?普通の男だ──お前と同じ、な」
「……」
話の行き先に少し眉をしかめて、当然の様に扉の前に立つアランに、セイは嫌そうに言った。
「ここは王宮じゃないんだ。僕の気が散る。ソファで休め」
「はあ、すみませんね。では」
彼の部屋にはベッドの他にソファがあって、アランは遠慮なくそこに横になる。常ならば王子の近衛騎士が主の部屋で眠る事など無い。が、セインティア王国では、たまに王子の執務室で二人で仕事に追われて寝落ち、という事もあった。それを思い出していたときに、急に問われたのが最初の『お前、大丈夫か』という言葉だった。
「何が、です?まだまだ若いもんには負けませんけど」
「僕相手に言葉遊びで逃げようとするな。──姉上の事だ。レオンハルト殿下相手に、随分と感情的になっているな」
主君の言葉は的確で、冷静で。けれど声はどこか優しい。だから嘘をつく事は出来なかった。
弟のような幼馴染の王子と二人きりであること、魔法の少ない他国で、彼の魔法感知能力によって神経を摩耗する王宮ではない事も、アランの気持ちを緩めたのかもしれない。
「……わかってます、自分でも。けど……」
近衛騎士は腕を上げて瞼の上に乗せた。程よい重みと、隠れた視界につい呟いてしまう。
「レオンハルト殿下が、無神経なのがどうにもムカついて。セアラ様の前であんな顔で、他の女の話をする婚約者候補なんていますか。彼がセアラ様をちゃんと見て愛して下さったら、あの方の支えになってくれるはずなんだ。姫の外見にとらわれないレオンハルト殿下なら、セアラ様だってまんざらじゃない。今はどうでも、いつかきっといい夫婦になれる」
言えない言葉、言わない言葉、持ってはいけない望み、持つべき望み。
その中で、選ぶとするならば。
「俺は、ただ……セアラ様に、幸せになって頂きたいんです」
淡々と言葉を重ねて居た彼が、そこだけ悲痛な色を見せる。
「俺の手では叶わないなら、せめて──見守らせて、くださいよ」
彼の初めて聞く本心に、青の聖国の王子は辛そうに眉を寄せた。
誰よりも姉を想っているのは、きっとこの従者だ。けれど彼の想いは──姉には届かない。その責任の一端は、自分にもある。
セインティア王国は王の特殊な一目惚れ体質のせいで、血筋としては微妙なものがある。
歴代の王の伴侶には、どこかの国の王女、下級貴族、精霊の娘、ディアナのように町娘など、実に身分も何も関係ない。魔導の国らしく、選ばれるのは特殊能力のある娘が多いらしいが、少なくとも政治的な要素を考慮する事は無い。結果、王は政略結婚が出来ないために、他国との結びつきが非常に弱いのだ。
それを補うためにしきたり化したのが、王以外の王族の政略結婚だ。
セアライリア王女もセイが生まれてからずっとそう教育を受けて来たために、自分の政略結婚は当然と受け入れている。今回はレオンハルト個人に思うところがあっての行動かもしれないが、少なくとも国のためなら彼との結婚を躊躇わないだろう。
セイがもしディアナではなく、フローラ王女ないしは他国の王女を選んでいれば、セアライリア王女には必ずしも政略結婚の必要は無い。
フォルニール伯爵家の令息であり、史上最年少での騎士団分隊長という聖国きってのエリートであるアランは、セアラ姫に求婚できる資格は十分にあるのだ。そしてセアライリア王女にも、自分で伴侶を選ぶ権利を与える事が出来るはずだ。
「アラン、僕は」
「謝ったりしないで下さいよ。俺情けなくて死ねますから。前にも言ったでしょう。あなたの幸せが、俺やセアラ様にとっては幸せだと。あなたがディアナさんを選んだのは、間違ってません」
「アラン」
「それに、俺が動けないのは自分の為ですよ。セアラ様自身が、国を守るために結婚することを誇りに思われている。それを否定して嫌われたくないもので」
「それは、お前が自分の心より姉上の意志を尊重しているからだろう。アラン、僕は」
言葉を継ごうとした主を遮るように、アランは目元を隠したまま背を向けてしまった。
「おにーさん年なんで。お肌の曲がり角なんで、もう寝ます。おやすみなさいませ、ラセイン様。……それと、ディアナさん。ごめんね」
付け足された側近の言葉に、セイはハッと顔を上げる。寝台から立ち上がり、廊下への扉を開く──と、そこにディアナが立っていた。
「今の話、聞いていました?」
「ごめんなさい、おやすみを言いに来たつもりだったんだけど。ああ私本当に、この手のタイミングが良くないわね」
どうやら彼女には重要な話に勘が働く才能があるのか。本人は嬉しくも無い立ち聞きの特技に、申し訳なさそうに縮こまっているが。
セイがアランのほうをちらりと見るが、動く様子は無い。どうやらアランは完全に、事態の収拾をセイに任せて離脱を選んだらしい。
溜息を吐いて王子は廊下に出た。扉は軽く開いていたが、あえてそのままにする。気まずそうに見上げる彼女を引き寄せて、その額に口付けた。
「いいえ。あなたにもちゃんと話しておこうと思っていましたから。この先誰かに何かを吹き込まれても、誤解しないように」
そう。近衛騎士も姉も、ずっとそうだった。ラセインにもディアナにも、不満など抱かずに心から祝福してくれている。それに今更、セイはディアナ以外を愛すことなど出来ない。
「でも私」
それでもディアナは、心を痛めた。自分たちの恋のせいで、誰かを傷つけていたなんて知らなかった。
「あなたのせいではありません。これはセインティア王の責任ですから。──けれど僕は諦めてはいませんよ」
彼女の表情に気付いて、セイはディアナに微笑んだ。
「僕はセインティアを、政略結婚などに頼らずに済む強国にするつもりです。そのために他国に通用する魔道士を育てて来たし、貿易改革も進めている。国を変える方法なんていくらでも見つけてみせます。僕の大事な人すべてに、幸せになって欲しいから」
「セイ……」
ああ。やっぱりこのひとは、素敵な人だ。もとから、自分一人幸せになるつもりはないのだ。
それを聞いたディアナは、微笑んで彼の手を握った。引き寄せられるままに、彼の背を抱き締める。
「そうね。きっと出来るわ。私やあなたの大事な人達が、いつか心のままに生きられる日が来る」
信じている。
──わざと開けたままの扉の向こう。
寝たふりをしているアランにも、きっと聴こえたはずだ。




