失った兄
「セアラ姫は、レオンハルト殿下と仲が悪いんですか?」
険悪になったリビングを出て、ディアナはセアラ姫だけを自分の部屋へ招き入れた。セアラ姫は少し考え、首を傾げる。
「……仲が悪くなるほど彼を知らないわ。ただ興味が無いだけよ。所詮は政略結婚ですもの。お互いに国のためには最高の条件を兼ね備えているとは思うけれど。彼も同じだと思うわ」
「でもレオンハルト殿下は、ここまで追いかけて来てくれたんですよね?」
ディアナが首を傾げて聞いた。セアラ姫は皮肉気に笑う。
「追いかけてきたのはわたくしをじゃないわ。聖国の姫君というただの道具。ラセインとフローラ姫が上手くいかなかったからって、代わりにわたくしに見合いを持ちかけるくらいだもの」
「でもセアラ姫はああいう方、お嫌いじゃないですよね」
ディアナの言葉にセアラ姫はテーブルに突っ伏した。ゴンと威勢のいい音がする。
「あ、あなたって娘は~どこまで鋭いの。自分のことは鈍いくせに!」
頬を染めてセアラ姫は言う。ディアナは微笑んだ。
「なんとなくわかりますよ、セアラ姫の態度を見ていたら」
レオンハルト王子は言葉遣いこそ荒っぽいが、一つ一つの仕草は決して粗野ではない。加えて一目見てこの森をセレーネと判断したあたり、普段からきちんと領地を見回っているなり、近しい家臣に調べさせているのだろう。世界最大の領地を持つ大国の王子として、彼は充分に能力を持っている。
「まあ……口を開けてわたくしの顔に見惚れるそこらのアホ王子よりは、見込みがあるわね」
「セアラ姫ったら、口の悪さがレオンハルト殿下といい勝負ですよ」
二人は顔を見合わせて、クスクスと笑った。
一方、居間では男三人が顔をつきあわせて、非常に私的な会議中だった。
「何をして姉上を怒らせたんですか、義兄上候補殿」
「嫌みな奴だな、ラセイン王子。俺に言われてもさあ」
心当たりが無い、という風に肩をすくめる彼。するとアランが冷たい目でレオンハルトを見た。
「レオンハルト殿下が最近このあたりに出没するって報告受けてますよ。なんでも町娘を追っかけてるそうじゃないですか。見合い控えてるってのに、随分軽率ですよね。そのあたりがうちの姫様の気に障ったんじゃないすか?」
アランの言葉に、セイが目を見開いてレオンハルトを見た。彼は頭を抱えて「あ~これだから聖国の情報網は……」と唸る。その様子にクロだと判断したのか眉を顰めた。
「本当なんですか?少しは立場をわきまえて頂かないと」
家出中の王子の言葉にレオンハルトが噛みつく。
「お前にだけは言われたくない!」
ごもっとな意見だ。レオンハルトは、「それに」と続ける。
「そんなんじゃない。俺は親友との約束を果たしたいだけだ」
その目に真剣な色を見てとり、セイとアランは思わず顔を見合わせた。
「リザリアの街に昔の知り合いが住んでいる。俺の親友だった男の元恋人だ。たまに彼女の様子を見に来てるだけだ」
セイがその言葉に引っかかりを感じ、聞き返す。
「"親友だった"?」
「死んだんだ。三年前に」
レオンハルトは手を握りしめ、そこに重い視線を落とした。レオンハルト王子は大国の王子らしからぬ砕けた様子で、椅子の上で脚を組んだ。緑の瞳を煌めかせて、記憶をたどるように視線を揺らす。
「俺が南の大陸、フレイム・フレイア王国に留学してた頃の話だ。そいつはフレイム王宮の宰相の養子だった。俺より年下だったけど、とにかく頭のいいやつでな。宰相が俺の勉強相手にって連れてきたんだ。三年前だから、俺が20歳、そいつは18だったかな」
自信家で活動的なレオンハルトに比べ、物静かでしかし頑固な彼。二人は良いライバルとなり、親友となり、共に過ごしてきた。
「まあそいつが黒髪に紫の目をした無駄に顔のイイやつでな」
レオンハルトは懐かしそうに笑った。
「女どもにキャーキャー言われてるわりにガード堅くて、警戒心が強くてさ。まああいつの境遇からすれば仕方ないんだが。そーゆー面倒くさい男を唯一オトしたのが、宮廷医の一人娘だった。俺と同じ年で──あいつには歳上の恋人ってとこだな」
二人ははたから見てても微笑ましいほど、初々しい恋人同士だった。レオンハルトもよく二人をからかいつつ、幸せそうな二人を見守っていた。
「だけど、あいつは長くは生きられない体だったんだ。7年前のドフェーロとの戦の折りに両親が殺され、あいつも傷を受けて死の淵を彷徨ったんだとさ。やっと回復した途端、奴隷商人に売られそうになっていたところを宰相に拾われたとかで──その後遺症が残ってたんだ」
思い通りにならない身体を抱えて、それでも泣き言ひとつ言わなかった親友。急激に襲う痛みに何度も倒れ、しまいには起き上がれなくなっていった。
「あいつと過ごしたのは、半年にも満たなかった」
最期の言葉だけを遺して。長い様で一瞬の時を生きて。
「戦の時にアディリスで妹と生き別れてから、ずっと妹を探していたらしい。それもあって、アディリスの王子の俺と話すキッカケになったんだが……。まあ詳しくはあいつが死んだ後に、宰相のじいさんに聞いた話だ」
ここで──セイは妙な符号に気付いた。
この話は知っている。しかも、とても最近聞いた話だ。時期もそうだが、何よりも──黒髪に『紫の瞳』
扉の向こう、私室へ消えた少女の存在を嫌でも意識する。どういうことだ。
もし、セイの考えが合っているなら──出来過ぎている。見えない力に引きずられるような、得体の知れない偶然の一致……否、必然もしくは運命なのか。月の女神の導きなのか。
そのとき、リビングへの扉が開いた。その向こうにはセアラ姫と──ディアナが立っている。少女は蒼白な顔で、彼らを見つめていた。先ほどの話を聞いていたのだろう。
「ディアナ」
セイが立ち上がって彼女の傍へ行き、その肩を支えた。紫水晶の瞳が彼を見上げ、微かに震える唇が開く前に、セイは頷く。ディアナの代わりに、問いを放った。
「レオンハルト殿下。──その方の、お名前は」
二人の様子に、アディリスの王子は怪訝な顔をして──それからハッとディアナの瞳を凝視した。
「──クレス、だ」
息を吞んだのは、誰だったのか。
その名を聞いたとき。ふと浮かんだのは、優しい紫の瞳。
『大丈夫だよ、ディアナ』
頭を撫でる、兄の白い手。
「にい、さん……」
呟いた彼女に、レオンハルトは目を見開いた。
「君が、クレスの妹?」
セイは彼の視線に頷く。
──どんな、偶然だ。
三年前、セインティア王国を追われたディオリオに引き取られたディアナ。同じ頃に遥か南の国で亡くなった兄。アディリス王宮に出入りしていたディオリオでさえ掴めなかったというのに。この──妙な繋がりは。
否、今ディオリオはフレイム・フレイア王国に居るのだ。やはり何か知ってはいたのか。それでもクレスが亡くなっていたことまでは知らないはずだ。
「ディアナ」
セイはディアナを引き寄せると、彼女ごと椅子に座った。もとより一同の視線など気にしない彼は、当たり前のように少女を自分の膝の上に座らせて抱きしめる。いつもなら真っ赤になって怒るディアナが、今は茫然としたまま。自分の状態も良く分かっていないようだ。
そうしてセイは、彼女の頭を自分の肩にもたれかけさせる。心臓の音が聴こえる位置に。
──とくん、とくん……
その熱と鼓動に、ディアナはゆっくりと息を吐いて、瞳を閉じた。
──大丈夫、セイが居てくれる。何を聞いても、何を知っても、私には彼がついていてくれる。だから、逃げるわけにいかない。
必死で冷静さを取り戻そうとする彼女に気付いて、セイは安堵した。
大丈夫、ディアナは強い。わざわざセイが導かなくても、ちゃんと自分で立とうとしている。余計な手出しをすることなく──ただ見守ればいいのだ。たとえ見ているだけなのが歯がゆくて苦しくても。
「ディアナ?」
話を聞けるか、と意味を込めて呼ぶ。そのままセイが彼女の額に口付けると、紫水晶の瞳が彼を見つめ返して──しっかりと頷いた。
「私は、大丈夫。続けて下さい、レオンハルト殿下」
「あ、ああ」
話を向けられて、つい二人に見とれていたレオンハルトは溜め息をついた。
知り合いで、しかも義弟になるかもしれない美青年と、親友の妹である美少女のお膝抱っこは、微妙に複雑な気分になり──目に毒だ。まあその実の姉や側近は平然と、しかしどこか満足気にそれを眺めていたのだから、こちらが照れるようなことでは無いのかもしれない。レオンハルトは気を取り直して口を開く。
「あいつの遺言は2つ。“妹を探して欲しい”、“アリエルを頼む”」
「アリエル?」
セイが聞き返す。
「リザリアの女医の?彼女がその方の恋人ですか」
思わぬところに知人の名前が登場したものだ。レオンハルトが頷く。
「ああ。もともと母親がアディリス出身でな。クレスの居なくなったフレイム王宮に残るのは辛いってんで、俺がフレイム・フレイア王国からの留学を終える時にアリエルも一緒に帰って来たんだが。あいつも頑固でさ。こっちで街の医師に弟子入りして、あげく独りで開業して──何にも俺に頼らずに自分でやっちまうんだもんな」
誇らしげに、しかし寂しそうに言う彼に、ディアナは顔を上げた。
「──あいつは今でも、クレスを想ってるんだ」
その表情からは、明らかに友人の恋人以上の感情を持っているような気がして──
そういうことについては、自分よりも聡いセアラ姫のことだ。きっと気づく。ディアナはつい彼女を見たが、その表情は全く動かず、心は読めなかった。しかしディアナを抱きしめるセイの手には、ピクリと力が入ったから、彼も気づいたに違いない。
それに、もう一人──
「で?アディリスの王子様はストーカーよろしく、その女医さんの様子をチェックしているわけですか。本人に頼られたわけでもないのに。いつまでそんな事をなさるおつもりで?」
アランが苛立たしげにレオンハルトに問う。珍しくも不機嫌さを隠そうともしない。レオンハルトが彼を睨みつけた。
「……んだよ、突っかかるなお前は。何か言いたい事があるなら言ったらどうだ」
「申し上げて宜しいんですかね。私ごとき一介の騎士の戯言といえど、きっとお耳に痛いと思いますけど」
一触即発の二人に、それまで黙って聞いていたセアラ姫が鋭い視線を投げた。
「アラン、およしなさい。あなたらしくもない」
は、と近衛騎士は我に返る。自分の感情が常になくコントロールできないことに、動揺したように視線を落とした。
「申し訳、ありません」
ばつの悪そうな顔で、アランが謝罪する。セイが何か言いたげに従者を見たが、言葉を発する事は無かった。




