王子の密かなる戦い
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仕事を終えて、二人はリザリアの街へ立ち寄った。依頼者に魔物退治の報告と報酬の受け取りをするためだ。
イールはアディリスでは珍しい『喋る鳥』という事もあって、あまりこの街には降りたがらない。以前にうっかり人前で喋ってしまって、危うく魔法商人に金づるとして捕獲されそうになったとディオリオが言っていた。
依頼人との用事を終えて店を出たところで、彼らを呼ぶ声がする。
「ディアナ、セイ君」
「アリエル」
「こんにちは、アリエルさん」
こちらに気付いて近寄ってきたのは街の女医、アリエルだった。まだ若いが勤勉な医師で、ディアナの様子をよく気にしてくれている。
「ディアナ、また怪我したの?」
ディアナの腕に巻かれた布に目を留めて、アリエルはセイを見上げる。セイがセレーネに住み始めた頃から、この女医には彼をパートナーとして紹介していた。
「ダメじゃない、セイ君。気をつけてあげてよね」
「すみません」
気の強い女医の勢いに、セイは素直に謝る。こういう時、女性には逆らわないと姉に教え込まれている彼は、無駄な抵抗はしなかった。
「セイが悪いんじゃないの、私の注意が足りなかったのよ。それにかすり傷だし」
代わりにディアナが慌てて弁解する。
「私は前から反対なんだけどね、女の子が剣振り回すなんて。ほら、診るからいらっしゃい」
口では苦言を言いつつも、明らかに少女の心配をしているとわかる表情で、アリエルが手招いた。強い口調の裏側の優しさに、ディアナとセイは顔を見合わせて微笑む。
「にしてもまあ、あなた達はいつも目立つわね」
アリエルは感嘆の溜息を吐きながら、ディアナの腕の怪我を手早く処置した。決して広くはない診療所に気を遣って、セイは外で待っている。
「目立つ?ああ、そうね。セイは綺麗だから」
ディアナは女医の言葉に頷いた。この街に来る度にセイをちらちら見る街の人々や、ディアナと少しでも面識があればあからさまに「紹介して!」と言ってくる娘も居る。彼の高貴な美貌の割には、穏やかで優しい物腰、丁寧な言葉遣いが、若い娘達には話しかけやすく魅力的に映るのかもしれない。
「たぶんまた──ほらね」
診療所の扉を開ければ、やはりいつも通りに娘達に囲まれた彼の姿があった。普段は滅多に昼間に外に出る事は無い酒場の女性などまで居る。
「ねえ、いいでしょう?」
「ひっこんでなさいよ小娘。セイくん、今夜うちの店に遊びに来てよ」
「何言ってるのよ、お呼びじゃないわよ、おばさん。ねえセイさん、これからお茶しにいきません?」
うわあ。
……彼のものすごいモテっぷりに、ディアナは正直、若干引いた。青の聖国では彼が居たのは王城だった為に、ここまであからさまにギラギラな娘たちは居なかった。王子という身分もあって、国の象徴として崇拝されるに留まっていたのだ。しかし異国の、しかも王都から離れた街では、いきなり現れた『極上品』に目の色を変える女達だらけだ。この街は街道近くにあるので、旅人をキャッチしては玉の輿に乗りたい肉食な娘さんが非常に多い地区とも言える。
ちなみにセイは王子という素性は隠していて、ディオリオの友人の息子で、彼の留守を預かっているということになっていた。ほぼ嘘ではない。
あれではすぐに帰れそうも無いなと息を吐くディアナにアリエルが苦笑する。
「そうね、あれはいつもながら凄いけど。そうじゃなくて──あなたもよ、ディアナ」
「え?」
少女は女医をきょとんと見た。
「やっとお目付役のディオリオが居なくなって、街の若い男共があなたにアプローチできるかとそわそわ待ってたっていうのに、あなたってばあんなイイ男捕まえてくるし。もうトエルとかネイサンとかジェンスの落胆し切った顔ったらなかったわ」
「ええっ!?」
アリエルが挙げたのは、以前からディアナを熱心に口説こうとしていた男性達だ。そういえば先ほど街で会ったとき、そそくさと避けられた。いや、どちらかというと、セイの顔を見て怯えた顔をして、逃げて行ったような──。
ディアナは、彼女に言い寄ろうとした男性陣をここ2ヶ月のうちに睨みつけ、時には叩きのめして『虫除け』をしていた聖国の王子の行動など、全く知りもしなかった。ちなみにこの件に関してだけは、イールも全面協力している。
しかし彼の虫退治に未だ掛かっていない者が、ここに一人。
「アリエル先生、言ってた薬草入荷したよ。これでいい……ああっ、ディアナ!」
薬屋の息子、ロアンは少女を見て驚く。その手から配達するはずだった袋が足元にドサッと落ちた。
「ロアン、久しぶりね」
ディアナに微笑まれ、見る見るうちに彼の頬が染まる。
「いや、あのっ俺、薬草の仕入れでしばらく山行ってて!最近やっと帰って来たんだ」
しどろもどろになりつつ、彼の視線はずっとディアナの顔を捉えたままだ。彼女にわかりやすい好意を持ちながら、今ひとつアピールしきれない純朴青年に、アリエルが呆れたように溜息を吐く。
「ロアン、そんなんじゃ100年掛かっても勝てないわよ」
「え?何に?」
可愛らしい少女から目が離せないまま、青年が問おうとしたとき──
ぞくり。背中に悪寒が走る。
そして艶やかな楽器の様に甘い声が響いた。
「すみません、お嬢さん方」
いつのまに傍まで来ていたのか。ディアナの背後に立った、長身の金髪の青年。
娘達に話しかけているようで、セイのアクアマリンの瞳はしっかりとロアンに向けられていて。それはそれは輝き溢れんばかりのロイヤルスマイルで、その場の女性陣とロアンを絶句させ、セイはディアナの手を掬い上げた。
「僕は彼女一筋ですから、どなたのお誘いにも乗るつもりはありませんので」
チュ、と軽い音を立てて、その唇が少女の手の甲に落とされる。妖艶な流し目が、色を孕んで月の女神を射抜いた。ロアンの目が零れ落ちそうなほど見開かれ、きゃああああ、と女性陣の嫉妬と絶望の悲鳴がこだました。ただ一人、アリエルは「よくやるわ」と呆れたように呟いたが。
「──っ。そういう目をするのを止めてって……!」
ディアナは慌てて彼から手を引き抜くが、色気に当てられたのか目元は潤んで頬は赤く染まっている。そんな顔では彼への気持ちが表れているも同然だ。
「は、早く帰りましょう、セイ。アリエル、ありがとう」
ディアナはアリエルに礼を告げて、さっさとその場から逃げる事にする。
「もう!皆の前であんなこと!」
怖い。一身に向けられる敵意が怖い。
「今更でしょう?いつも僕は正直に言っているつもりですが」
そう、今更なのだ。最初からセイと暮らしているディアナには娘達の羨望と嫉妬に塗れた「あなた達ってどういう関係なの?」という質問が頻繁に浴びせられていた。ディアナは、「義父の友人のご子息で……」と表向きの関係だけをごく控えめに告げていたのだが、セイは全開満開の笑顔でディアナにピッタリ寄り添い、隙あらば彼女に甘い言葉を囁く。ちょっと冷静に見れば、他の女性には丁寧だが、明らかに一線を引いた対応をしていることはよく分かる。
──ああこいつら、付き合ってんな、と判明するのは当たり前である。
それが直接攻撃にならなかったのは、ひとえにディアナが比類なき凄腕の剣士だからであり、セイの隣にならんでも全く見劣りしない、文句のつけどころが無い美少女だったから。
「僕には、あなたという月の女神さえ振り向いてくれたら、それでいいんですよ」
「そ、そういうことを真顔で言うの、やめてってば!」
傍目には惚気か、いちゃついているようにしか見えない二人は、足早に森へ戻って行く。
残された哀れな青年は呟いた。
「……100年どころか、生まれ変わっても、無理」
こうして美貌の敏腕王子は、今日も『虫退治』を完璧に終えたのである。




