星空の下のキス
「僕が王子だから、応えられない?──ならば、ラセインではなく、ただのセイだったら?そうしたらあなたは迷わずに、僕の腕に飛び込んでくれましたよね。違いますか?」
「そ、れは」
──その通りだ。
息を呑んだのは、肯定と受け取られたのか。その瞬間、つかつかと近づく足音がして──背後から強く抱きしめられた。
「あなたのためなら王座など捨ててもいい。だけど僕は世継ぎの王子です。民を見捨て、裏切ることなどできない」
わかっている。だからこそ、別れを告げようとしたのだ。
ディアナはとめどなく流れる涙を抑えきれない。
「だから……どちらも諦めなくて良いですか?きっとあなたに無理をさせたり、迷惑を掛けると思いますが」
「……え?」
ディアナは顔をあげた。思わず背後の彼の顔を仰ぎ見てしまい、セイが頷き、微笑む──。
「僕はもう知ってしまったんです。一生に一度の恋を。あなたへの愛を。いまさらあなたと離れて、平気で生きていけるわけがない。僕と一緒に生きて下さい、ディアナ」
──思わず、息が止まった。
「セイ……」
「今すぐに妃になってくれとは言いません。今は覚悟が出来ないなら、待ちます。あなたの望む場所で、あなたの傍で。──それくらい、この想いを貫くためなら何でも無い」
こんなふうに言われてしまったら。こんなにも望まれてしまったら。もう嘘などつけそうにない。
紫水晶から零れ落ちる涙は、もうセイに見られてしまった。それが何より、ディアナの想いを告白しているも同じだ。
王子はディアナの涙を拭ってくれながら、クスリと笑った。
「だいたい王は未だ健在ですしね。僕が王位につくのはまだまだ先ですよ。──ああ、もちろんそれまでには、あなたを全力で口説きますけど」
「セイ」
彼を呼べば、いつもより熱のこもった瞳が彼女を見下ろしていた。それを見つめ返す。
「あなたの本当の気持ちは?」
「……わかってる、くせに」
「それでもあなたから聞きたい。僕は迂闊ですけど無能ではありませんよ。今更あなたを逃がすとでも?」
力を込められた腕と、甘さを増した視線に、やられた、と思った。剣士のディアナよりもよほど、世継ぎの王子は狩りに長けているのだ。ディアナは涙を零して、セイに向き直ると──とうとう口にした。
「──あなたが好き。私の心も、命も、全部──あなたにあげる」
きつく少女をかき抱いて、聖国の王子は微笑んだ。やっとこの腕に捕まえた──月の女神。否、囚われたのは、自分の方だ。
「……それ、もの凄い殺し文句だって、知っていました?」
「……出会って5分で求婚されるより、威力無いと思うわ」
しばらくそのまま抱きしめあっていた二人だったが、ふとセイが思い出したように呟いた。
「ああ、そうだ。覚えてますか?いつか森でセインティアの話をした時に、あなたに見せたい場所があると言ったのを」
そういえば、とディアナは思い出した。あの時はセイの真意はわからなかったけれど。
「こちらへ」
セイに手をひかれて、ディアナはバルコニーに出た。外はすっかり夜の暗闇に包まれてはいたが、空に浮かぶ満月と星々の輝きで、意外に明るい。真下には薔薇園が広がっているが、彼はもっとその先を指し示した。
セイが促した方を見れば。
「わあ……」
ディアナは歓声をあげた。
城の眼下に広がる湖。その水面には月明かりに浮かぶフォルディアス城と、月と無数の星が映り、キラキラと輝いていた。夜空から湖へと続く宝石箱は夢のように美しい。彼女が先ほど部屋から見た輝きはこれだったのだと気付いた。
湖畔には星の光につられたように、精霊達が柔らかな光を纏って踊っていて。時折小さな光が、湖面で花火のように弾ける。
「凄い……!」
ディアナは思わずセイを仰ぎ見た。彼は深く微笑んで、頷く。
「ずっとあなたにこれを見せたかった」
その声はどこまでも優しくて、甘くて。ディアナは高鳴る胸をそっと押さえた。
「すごく綺麗だわ。ありがとう、セイ」
ふとセイが繋いだままのディアナの手に指を絡ませ、その口元へ引き上げた。彼女の指に唇を落として、アクアマリンの瞳が艶やかに少女を見つめる。ディアナの心臓がひときわ大きくドクンと跳ねあがった。
「セインティアに伝わる、月の女神の名を知っていますか?」
「え?いいえ……何ていうの?」
少女は紫水晶の瞳を煌めかせた。ディアナを見つめるセイの瞳が、柔らかく微笑む。
「“ディアナ”──あなたと同じ名ですよ」
愛おしげに囁いたその声に、初めて彼女の名を聞いたときの彼の反応を思い出した。あの時の、夢見るような瞳も。
「ああ、それで私の名前を聞いて驚いたのね」
「どこまでも運命だと思ったんです」
腑に落ちれば、何だか気恥ずかしくて、けれど嬉しくてディアナは微笑んだ。その顔を見て、セイが軽く目を見開く。王子は少女の背中に腕を回して、自分の胸の中に引き寄せた。至近距離にお互いの瞳を捕らえて。想いが通い合った気がした。優しい青い宝石がディアナへと降りてくる。
「愛しています。僕の女神」
唇が触れ合う直前、ディアナは目を閉じて囁いた。
「私も……あなたが好きよ、セイ」




