真夜中の涙
目を開けると、豪奢な天井に映り込む穏やかで緩やかな灯り。部屋を照らす精霊の光だ。それを遮るようにアクアマリンの瞳が彼女を覗き込んだ。
「ディアナ、目が覚めましたか?」
彼女の額にかかる髪を優しく払って、セイが言う。
「……セイ」
ディアナが寝かされていたのは城の客間の寝室で、窓の外は暗闇の向こうに空に浮かぶ月が見える。位置からすれば、真夜中か。部屋の中には他に誰もいない。身を起こそうとすると、彼が少し慌てたようにそれを止めた。
「無理をしないで」
彼女の肩を押さえて、もう一度寝台へ横たわらせる。未だ力の入らない身体は、簡単にシーツへ沈んだ。
「私、どうなったの……?」
彼女の問いに、セイが答える。
「宮廷魔導師の診たところでは、無理に能力を引き摺り出した反動ではないかと。身体を休めていれば良くなるそうですよ」
「そう……」
気だるさに息を吐いたディアナの頬にセイの指が触れた。そのまま柔らかな丸みを辿る。
「──あなたを危険な目に合わせてすみません」
少し苦い顔をして言う彼に、少女は首を横に振った。
「それは、私の台詞でもあるのよ。謝らないで。──あなたが無事で良かった」
そう言って微笑みを見せる彼女に、王子は息を呑んだ。ディアナの頬を撫でる手が、すっと耳の後ろまで滑り込んで。
──彼の唇が、瞼に触れた。
「あなたが僕を庇って倒れたとき、僕は心底恐ろしかった」
次は、頬に。
「頼むから、もうあんな無茶をしないで下さい」
唇を塞ぐ。
今までよりも少し性急に、強く、深く重なるキスに息が乱れる。それが彼の動揺を表しているようで、ディアナは戸惑った。呼吸の合間に、切なさと安堵の色を乗せたセイの声が彼女の耳に届く。
「生きていてくれて、良かった……」
「っ、ごめんなさい……」
ひどく心配を掛けた、と知って。その声の真摯さに少女は抵抗することもせずに、セイを受け止めた。それを良いことに、彼はキスをし続ける。
「それでも、あなたが本当に月の女神だと分かって、喜ぶ自分も居るんです。こんな僕は嫌ですか?」
ディアナは夢中で首を横に振る。
嫌なはずがない。こんなにも望まれて、嬉しい。──言葉できちんと、好きだと伝えたい。
心のままに、そう告げようとするのに、セイのキスは止まらない──ディアナが息苦しさに彼の腕を押さえるまで。
慣れないのと、未だ上手く動かない身体に、少女の頬は真っ赤に染まり、すっかり息が上がってしまう。
「っ、待って、セ……」
「ああ、すみません。つい。今は安静にしなくてはいけませんよね」
やっといつもの朗らかな声で、彼はイタズラめいた笑顔を見せた。
「あなたに何かあったら──僕は生きていけませんよ」
口説き文句のはずだった。
──言ったのが、セインティアの王子でなければ。
それを聞いたディアナは、一瞬にして顔を強張らせた。彼女の様子に、セイは自らの失言に気づく。
『僕にかけられた魔法は“一目惚れした相手と結ばれなければ死んでしまう”というものです』
──彼女と初めて話した時に、口にしてしまった言葉を思い出した。セイにとってはもう当たり前になってしまった事実も、ディアナにとっては冗談では済まない、命の重みを改めて突きつけられるものだったかと。
「ああ、王家の魔法のことでは──そんなつもりでは無かったんです。ただ、あなたが大切だと伝えたかっただけで」
栗色の髪をすくい上げて唇を寄せれば、少女の微かな声が聞こえた。
「──そうじゃ、ない……私は……」
けれど、全てを言葉にする前に、ディアナの意識はまた微睡んでいく。思考はまとまらず、言葉にならず、瞼が落ちていくのを止められない。彼女の様子に気付いたセイは、愛おしげにまた彼女の唇へキスを落とした。
「おやすみなさい、ディアナ」
しかし唇を離して目を開けた彼は、怪訝な顔をする。
──彼女の頬にひとすじ、涙が零れ落ちていた。




