月の女神
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確かにダメージは受けているはずなのに、疲弊する事の無いタクナスの魔法弾が容赦なく打ち込まれ、騎士達が苦痛に呻いた。しかし世界最高の結束を誇る彼らは、主君を護り抜こうと剣を下ろさない。最初は歯が立たなかった攻撃も、今は魔族の魔法弾を叩き落とすまでに迫っている。
「邪魔だ!」
さすがに苛ついたように、タクナスが大きな攻撃魔法を放った。
「護りの盾よ!」
ディアナの傍に居たセアラ姫が、全員に魔法を掛けて魔族から護る。しかしそれは不機嫌な魔族の注意を引いてしまった。
「──聖国の金の薔薇、美しき高等魔導師。君も素敵だけど、今は──邪魔だ」
大きな攻撃魔法の気配を纏わせたタクナスの指先が、金色の姫君に向かうのを見て、アランが舌打ちした。
彼女と魔族との間に無理矢理に身体を割り込ませて、タクナスから放たれた火炎球を剣で薙ぎ払う──が、無理な体勢に崩れた彼の肩を、魔族の炎が灼いた。
「アラン!」
彼を呼ぶセアラ姫の悲鳴に振り返ることなく──王子の近衛騎士はまっすぐに魔族を睨みつける。
「この方への手出しは、俺が許しませんよ」
つい先ほどまでの余裕も捨てた、その鬼気迫る表情に、魔族は口の端を吊り上げた。
「……へえ。そんな顔のわんちゃんなら、遊びがいがありそうだ」
その従者の顔を見たセイは、複雑な気持ちで息を吐く。
「……馬鹿。やはり本気なんじゃないか」
あんな顔をしているなら、大丈夫だろう。必ず姉姫を護りきってくれるはずだ。セイは視線だけで、アランにその場を任せると命じ、ディアナへと駆け寄った。
フォルレインによって浄化されたその顔からはもう苦痛の色は無く、規則正しく上下する胸は、彼女の生存をきちんと表していて、セイは安堵にほっと息を吐く。
普通の剣ではタクナスに致命傷を与えられない。フォルレインの力が要る。
「フォルレイン」
王子はその柄に手をかけると、床から引き抜いた。その瞬間、
『ラセイン──』
自分を呼ぶ鋭い声に弾かれたように、セイは自分の手の中の剣を見つめた。
「どうした、フォルレイン?」
精霊の名を呼び返せば。
『お前の本能は正しかった』
彼だけに聴こえる声で返って来たのは、微かに歓喜の熱のこもった、その言葉。
「──ラセイン王子」
少女の傍で彼の表情に気付いたイールが、泣き出しそうな声で呼んだ。……正しい名で。
「ディアナは」
イールがセイを見つめて言う。偶然にも、フォルレインと声を合わせて。
「『月の女神だ』」
そのとき、ディアナの瞳が開かれた。
「ディアナ!」
セイのその呼び掛けに反応したのか否か、彼の腕から弾かれるように起き上がる。白く細い指先が、王子の手へ伸ばされ、彼がそれを目の端に捉えた、瞬間。
少女はそのまま風のような素早さで、セイの手から退魔の剣を抜き取り、構えてタクナスへと走った!
「──!?」
誰もが硬直し、それをただ見守る。
「──なっ」
気づいたタクナスが魔力で制しようとしたが間に合わず、剣から強い光が溢れた。
──“ザンッ!!!”
音を立ててタクナスの肩が切られる。その衝撃に魔族は苦痛の声を漏らした。
「ガッ──」
退魔の光がたちまちタクナスを侵食し、その魔族の身体を灼く。振り返った時にはディアナはもう二太刀目の剣を振りかざしていた。
「は、あははは!目覚めたか!」
嘲うタクナスへ刃が振り下ろされた。すんでのところで避けられたが、
『女神よ』
「フォルレイン!」
ディアナが剣の銘を叫ぶと、刀身から放たれた光の刃が中空を走り、魔族の額を切り裂いた。
「うぁっ……」
タクナスの顔が苦痛に歪む。額を押さえて床に膝をついた魔族を、ディアナが見下ろした。その瞳は紫色に鋭く輝き、真っ直ぐに立つ姿は神々しい程に美しい。戦う彼女は女神そのものだった。
いつもの可憐さも、柔らかさもなりを潜めた、引き絞られた弓の弦のような鋭い美でありながら、闇夜に浮かぶ、圧倒的な存在感の月──。
セイは茫然とする。
ラセイン王子の持つフォルレインは、青の聖国に代々伝わる強力な魔法剣だ。それ故に、剣の精霊は自ら主を選ぶ。選ばれない者は鞘から抜く事すら出来ないし、触れようとすれば魔法に弾かれる。
セインティア王家でもフォルレインを使いこなせた者は数人しかおらず、剣自身が望まない限りラセインのように剣の精霊の声を聴いたり、姿を見る事が出来た者はそれ以上に少ないという。
ラセイン自身は魔法大国に生まれながらも、ほとんど魔法は使えない。けれどフォルレインを使いこなせる事こそが、魔法大国の王になる資格そのものだった。
しかし今、目の前の少女はフォルレインを握り──声まで聴こえているのだ。セインティア王家の人間でもないのに。そんな事が可能なのは。
「月の女神……」
退魔の剣を造り、青の騎士に与えた、女神その人だけ。




