この腕の中
王子は目の前の少女に見惚れながら思う。いつも可憐だが、今のディアナはより魅力的に見える。ドレスがとても似合うのだ。
よく考えれば、ディアナの父が勘当されなければ、あるいはディオリオがもしもっと早くから彼女を引き取っていたら、爵位を剥奪されていなければ。彼女はアルレイ子爵令嬢だったのだ。こうやって着飾って社交界に出ていたかもしれない。
……その場合、今とは比べものにならない程の恋敵がいたのだろうが。
そう思ってセイは、美しい娘を森に隠しておいてくれたディオリオの英断に、ひたすら感謝する。
ディアナを見下ろせば、ドレスから伸びる白い首筋と、あらわになった鎖骨から続く曲線、見上げてくる紫の瞳にとてつもなく色気を感じて、ぞくりとした。どこにあんな剣を振り回す力があるのかと怪訝に思うほど、細い腰と白く華奢な指先にも。
けれど、ディアナ自身はきっと、こうして着飾るよりも、剣を片手に森を駆け回る方を好むんだろうなと思う。そして戦いの中で、より輝くんだろう。
──それでも今は彼のためにここにいて、こうして着飾ってくれたのだ。
そこまで考えて、セイは腕の中の少女が愛おしくてたまらなくなる。……具体的に言うなら今すぐキスしたいくらいに。しかし衆人環視の中でそんな事をするのは、イールの言う、『変な事』に入るのだろうか。怒られることは間違いなさそうだが。
彼の思惑に気付いているのか、視界の隅でアランが笑いを堪えているのが見えた。あとであいつはお仕置きしよう。
美貌の王子がそんなことを考えているとも知らず、ディアナはセイに手を取られてくるりとターンした。そのままぐい、と引き寄せられ、あまりに近くにセイの青い瞳があることに気づいて、彼女は自分の顔が赤らむのを感じる。
金色の睫の下のアクアマリンの瞳には、ディアナだけが映っていた。
「よく似合っています。綺麗ですよ、ディアナ」
「あ、ありがとう……」
綺麗なのは彼の方だ。着飾って無くたってその気品は隠しきれないし、今のように飾り立てられていれば、もう完全無欠の王子様で。そんな彼に甘く囁かれたら、平気な顔で隣に立っていたのが、嘘のように意識してしまう。
「このまま僕の腕の中に、ずっと閉じ込めておきたいくらいです。──けれど、自由に飛び回るあなたについて行くのも楽しいでしょうね。ふたりで遠くへ逃げてしまいますか?」
その優しい瞳に、ディアナはどんどん心臓の音が大きくなるのを止められない。
「……あなたは逃げたりしない人でしょう。私のことだって、手に入れたのよ」
返した言葉に、彼は驚いた色を浮かべて──嬉しそうに笑った。
彼女の気持ちは、きっともうセイには伝わっているだろう。けれどまだ、言葉では伝えていないのだ。彼は何も言わないけれど、ちゃんと伝えたい。
「セイ、私……」
次の瞬間、言いかけたディアナの背がびくりと震えた。
感じる。赤い瞳が彼女を見つめている──。
ざわり、と肌が泡立った。ディアナは咄嗟にセイの腰に目をやる。ダンス中もその身から離される事がなかった退魔の剣が、わからぬほど微かにカタカタと震えていた。
いる。
「ディアナ?」
一気に固くなった少女の表情に、セイもハッとその手を剣の柄へと掛けた、瞬間。
『ラセイン!』
「王子!」
空気を揺らす誰かの声と、アランの声が重なった。
何かを考える前に、ディアナは身体ごと振り向く。セイの身体を隠すように、大きく両腕を広げ──。
──バシュッ!!
広間中に響き渡るような鋭い音がし、赤い光が溢れた。
「キャア!」
「何だ!?」
その眩しさに目が眩み──人々の悲鳴の中、視界を取り戻したその時、
「え……?」
セイは目を疑った。
自分を庇って広げられた腕と、華奢な背中。そこにはらりと零れ落ちた栗色の髪。散らばった真珠がこつん、と彼の爪先に当たる。その後ろ姿は、先ほどまで腕の中にいたはずの。
「ディアナ……!」
彼女の胸を光の矢が貫いていた。
まるで悪夢の様に、崩れ落ちる彼女がひどくゆっくりと見えて、セイはその身体を抱きとめる。矢はその身体に吸い込まれるように消えた。
「ディアナッ──!!」
イールが一直線に彼女の元へと飛んでくる。しかしディアナに纏わり付いた魔法にビクリと身を固くした。
「なに、この魔法……」
彼の腕に抱えられたディアナが、うっすらと目を開ける。
「セイ、無事……?」
何よりも彼の安否を問うた彼女に、王子は悲痛な声を上げた。
「えぇ、無事です、あなたのおかげで。なぜこんな無茶を……!」
彼らしくない焦った声を聞いて、ディアナはなんとなく自分の状態を察した。
(私、死ぬ?)
実感はない。ただ、セイの無事に安堵した。




