月夜の想い出
魔法で操られ、心身に負担のかかったディオリオを寝台へ寝かせると、ディアナは階下に降りる。けれどそこに金色の髪の王子は居なかった。
「──セイ?」
家の中には彼の気配が感じられずに、戸惑いながら外を見る。
「ディアナ」
外へと続く扉を開けて外に出ると、イールが木の上からディアナを呼んだ。そこから一部始終を見ていたのだろう、ディオリオの部屋の窓を仰ぎ見て、それから裏庭の方へと視線を送って溜息を吐く。苦々しい口調で、ディアナへと声を掛けた。
「ディアナ、あいつ一人で帰るつもりだ」
「っ」
思わず駆け出す。
彼はこのまま黙って居なくなるつもりなのだろうか。ちゃんと話をしたい。最初にそう言ってくれたのは彼の方だった。もっとちゃんと聞けばよかった、と自分の臆病さを悔やむ。今更遅いのだろうか。
「だからって、このままじゃ」
裏庭に繋がれていた彼の馬のところへ行くと、青年はまだそこに居た。
セイが懐から青い石を取り出し、地面に置く。すると石を中心に青い光が広がり、地面に美しい文様を描き出した。複雑に絡み合う文様は、魔法の呪文だろうか。それが先ほど魔族に作ってもらった転移魔法だと気づいて、ディアナは駆け寄る。
「待って!」
彼女の様子に、セイがその顔を向けた。その視線に射抜かれる。
いざ本人を前にしたなら、何から話せば良いのかわからなくなり、少女は口籠った。
「一人で、行くの?魔族が居るのに」
「だからこそ、ですよ。僕は世継ぎの王子ですから、国を護らなくては」
穏やかな声は、ただディアナに優しく響いて。それを聞いていたら、無性に切なくなる。
「──私も」
「あなたは、ディオリオを支えてあげて下さい。ここからは、僕の国の問題ですから」
優しく突き放されて、彼女は戸惑った。その拒否は、自分を心配しているからだとわかる。
けれど、だからといってこのままセイと別れることだけはしたくなかった。
「全て話してくれるって言ったわ。……約束を守って」
引き止める言葉も浮かばずに、なんとかそれだけを紡ぎ出す。自分の稚拙さに情けなくて、呆れてしまう。視線を彷徨わせた少女に、彼は「そうですね」と複雑そうに微笑んだ。きちんと彼女へと向き直って口を開く。
「──始まりは、半年前の事です。僕は一人でこっそりと城を抜け出したんですよ」
唐突に始まった彼の話に、けれど気になる単語にディアナは顔を上げた。
“半年前”?
セイは夢見るように柔らかな瞳で話し始める。故郷の話をしていたときのように。大事な、大事な思い出を。
「初めての異国の森で、この間のように迷ってしまったんです。けれど不思議と不安はありませんでした。もう足下は真っ暗だったけれど、木々の間から銀色の月の光が降り注いでいて、とても綺麗で。奥まで進んだら、小さな泉があって、月光にキラキラと水面が煌めいていました」
ディアナの脳裏に、美しい光景が浮かぶ。この森しか知らないけれど、彼女にも容易く想像はできた。
「──僕はそこで、月の女神に会ったんです」
少女はハッとした。大きな音を立てて心臓が暴れ出す。
「月の光の下で、彼女は誰かと話していた。その横顔が美しくて、神秘的で、一瞬で目に焼き付いた。僕は夢を見ているのかと思いました」
思い出すかの様に一度閉じられたセイの瞳に、ディアナは胸を締め付けられる。
淡いアクアマリンの瞳が、もう一度現れて甘やかに輝いた。
「その魂が、引きずられるように」
この人に、こんな顔をさせるひとがいる。
「僕は、一目で恋に落ちた」
ああ。聞きたくなかった。
震える指先に、どれだけ自分がショックを受けているのか分かる。
今更気づくなんて。私は、もうどうしようもなく、この人に惹かれていたんだ。
どうして捨てるべきだなんて、引き返せるなんて思ったんだろう。傷つくのが怖いなどと怖じ気づいている間にも、恋心は育っていた。彼が誰かを想う言葉に、胸がギリギリと痛むほどに。




