少女の決心
「父さん」
ディアナは涙に潤んだ瞳を義父に向けた。そっとセイの手を離す。その瞳に強い光を浮かべて、しっかりと一歩踏み出した。ディオリオの体から吹き出した靄は、彼女を警戒するように蠢くが、構わずに呼びかける。
「こっちを見て、父さん」
それにつられるように、ディオリオがゆっくりと娘を見た。まっすぐに見つめられて、強い意志を持って──彼女は微笑んだ。
「大好きよ。ずっと傍に居てくれて、ありがとう」
だから。
「私、父さんがいれば寂しくない。兄さんにもいつか会えるって信じてる。だから、お願い」
もうやめて。
囁いた言葉は、ちゃんとディオリオの耳に届いた。息を吞んだ義父の瞳に写ったのは、失った遠い面影。もう取り戻せないと、彼自身が一番良く分かっているのに。
叔父と姪のままではなく、ディオリオがディアナを娘として引き取ったのは、一度に家族を失った彼女に安らぎを与えるためだった。父と呼んで、心を許せる存在を作ってあげたかった。けれどそうすることで、ディオリオ自身も救われ、支えられていたのだ。
今まで娘のために生きてきたと思っていた。けれどそれは、娘が彼に生きる意味を与えてくれたから、立っていられたのだと。
「……そうか、そうだったな……俺には、まだお前が……。バッカだなあ、俺。娘にこんなこと言わせて……」
セイの剣から溢れた赤い光が、ディオリオを包み込んだ。それに抗うように彼の身体にまとわりついていた黒い影がブワッと溢れ出し、まるで生き物のように膨らんでいく。それは魔物の妖術そのものだ。それを抑えこむように、赤い光が広がった。
「ディアナ、あれを!」
セイの一言に、ディアナは己の剣を抜いて義父へと走り──その腕を振り上げた。
「っ!」
──“ザンッ!!”
その鮮やかな一閃で、妖術の塊を切り裂く。まっぷたつになった黒いもやは、次の瞬間、弾けるように霧散し──セイの剣が纏っていた赤い光は、だんだんと青色に変わっていく。
「──!」
ディオリオのその瞳から、狂気が消えた。崩れるように膝をつく義父に、ディアナが駆け寄った。
「父さん、大丈夫!?」
「ああ、大丈夫だ……悪かったな。ディアナ、ラセイン」
娘に支えられて椅子に座らされた彼に、セイが眉をしかめて問いかける。
「あなたに取り入ったのは、心を操る魔族ですか」
どう見ても、ディオリオは正気では無かった。先ほどの様子を思い出して、ディアナは眉を顰める。
「そうだ……。いつからか俺の前に現れて……あの魔法さえあれば、兄さん達を取り戻せるって。欲や不安、不満を増幅させる妖術を使う魔族だ。名前はレイウス──いや、お前達にはタクナスと名乗って会ったはずだ」
──タクナス。アディリス王の側近、城からの使者と名乗った男だ。
思わずセイと顔を見合わせると、彼も頷いた。そして彼がディオリオと目を合わせる。
「聖国の城にあるのは、古き精霊と契約するための魔法です。しかしそれは誰にも発動できず、今まで何人も命を落としている。人を蘇らせるようなものではありません」
セイの言葉に、ディオリオはすまない、と繰り返した。
「心を操られても、ディアナの事だけはなんとかしなきゃと思っててさ……。お前と居れば必ず護ってくれると思っていた」
その言葉に、ディアナはセイの言った事が本当だったのだと知った。彼は目の前に惑わされずにディオリオを信じて、真実を見抜いていたのだ。
それを知った瞬間、少女は息を吐いた。散々目を背けて来た気持ちから、もう逃げられないのだと覚悟が決まる。諦めにも似た──けれど不思議と心地良い、決心。
もう迷わなくて良い。たとえそれで傷ついても──もう、良い。この人を信じよう。
「──セイのおかげよ。ありがとう」
ディアナの言葉に、セイは柔らかく微笑んだ。




