特別な娘
娘が特別な子だというのは、最初からわかっていた。
最初──兄がとんでもなく美しい女を「あ、この子、俺の嫁さんになるから」と連れて来たときから。
「……は?」
一目見たとき、これは精霊か魔物の類じゃないのかと思った。それくらい、兄の婚約者だという女、ティルミアは美しかった。
顔の造作は恐ろしいほどに整っていて、ほっそりとしているのに柔らかそうな白い肌に薔薇色の頬と唇をしていて。特に紫水晶の瞳が印象的で、見ていると吸い込まれそうになる。ディオリオの兄リオトールはそんな彼女に心底惚れ込んでいた。
しかしセインティア王国の伝統あるアルレイ子爵家では、素性の良く分からない女など受け入れられず、両親はおろか親族にも大反対され、駆け落ちの末に二人は一緒になったのだ。
ディオリオは兄夫婦の唯一の味方を装いながらも実は、兄は魔物に取り込まれてしまったのだと思っていた。彼女はある古き民族の血を引いているのだと聞いて、魅了の魔法を使う異教の魔女ではないかとも疑った。
──その嫁が、鍋を三回も真っ黒に焦がすまでは。
「どうしてなのぉお、ちゃんとリトの言った通りにしたのに!」
恐ろしいほど鍋が似合わない彼女が、涙目で真っ黒になったそれを抱えてあわあわと焦る可愛らしい姿は、あっという間にディオリオの心を掴んだが、もちろん兄の妻に想いを寄せることなど出来ず、ただの憧れで終わった。
しばらくは国内でひっそりと暮らしていた夫妻だったが、リオトールがアディリス王国で事業を始めたのをきっかけに、ティルミアは夫について行ったのだ。
やがて夫妻の間には息子クレスと、4年後に娘ディアナが生まれたと聞いて、その後もディオリオは何度か会いに行った。
しかしディオリオは王宮勤めの将軍職だ。
忙しさにしばらく疎遠になっていた頃、兄夫妻が戦争に巻き込まれて亡くなり、当時14歳だった息子は行方不明だという。
人ではないほど美しい母と、ディオリオ以上に端正な顔立ちの兄との子だ。彼らの子供達も相当に美しいため、どこかの不届きものに拉致された可能性も十分にあった。実家は家を出た長男に対しては亡くなっても冷たく、ディアナを引き取ろうとはしなかったため、手続きはディオリオが全て行った。
仕事柄、彼には敵も多い。セインティア王国で見知らぬ者に囲まれて育つよりも、親しんだアディリス王国の長老の元の方が良いと判断し、預けたままのディアナを気にかけつつも、最大限に立場を利用して兄の息子の行方を追ったが、何も掴めなかった。
そんな時だ。この魔族と出会ったのは。
何をトチ狂ったのか、魔族でありながら人間に擬態して人間に紛れ、アディリス王宮に勤めてさえいるこの男が、発した一言。
「魔法大国の王宮に隠された古い魔法があれば、君の願いが叶うよ」
王に進言したが、魔法を扱う許可は降りなかった。親友であったはずが仲違いし、最後には王宮を出ることになった。
しかし魔族はその後もディオリオに付きまとい、甘言を吐いてくる。どんな妖術か分からないが、彼の誘いは頭にずるりと忍び込み、どんどんディオリオを闇に引きずり込んで行く。
「最近、良い情報を手に入れたんだ。大きな魔法をいくつか手に入れた。今ならセインティアにも手が出せそうだよ。君の願いを叶えてあげよう」
その甘い毒に、じわじわと蝕まれていく。
「俺の、願いは……」
許されない、隠し続けた望み。そして、祖国を出てディアナを引き取って、初めてディオリオは愕然とした。
彼女は亡きティルミアにどんどん似てきている。あと数年もすればそっくりになるだろう。
ふとした事から彼女の剣の才能を見抜き、本格的に指導するようになった。彼女は驚異的に成長を遂げ、ディオリオが何十年も掛けて磨いてきた剣の腕に、たった三年で追いつこうとしている。いや、もはや一流の剣士といってもいい。絶対に普通ではない。
彼女の母ティルミアは一体どんな種族の生まれだったのか。古き血とは何だったのか。
分からないが──この子は特別な子だ。
そして同じように比類無き才能と、その魔法に導かれた特殊な体質を持つ美しい弟子──ラセイン王子を思い浮かべた。この二人は良く似ている。その魂さえも、神聖さを感じる程に異質だと。
青の聖騎士の血は、ディアナを選ぶ。
半ば確信を持って、彼は二人を引き合わせた。
「どうか、ラセインよ。ディアナを護ってやってくれ」
俺が正気を失う前に。