繋がれた手
「ディアナ!」
廊下に出たセイは、彼女を引き止めようとその背中に追いついた。呼びかけられた少女は視線だけで彼を振り返って──けれど固い表情で脚を止めない。
「何でしょうか、王太子殿下」
よそよそしく冷たい声でそう返したディアナに、セイは辛そうに顔を歪めた。
(そんな顔したって)
ディアナは人を傷つけることに慣れていない。つい罪悪感を覚え、しかしそれを振り切ろうと目を逸らす。
「ディアナ、ボクは外を見て来るね」
イールが彼女を気遣わしげに見て、窓から飛び立って行った。いつもならディアナの味方をするはずの彼でさえ、セイの様子には思うところがあったらしい。
さっさとその場を離れてしまった相棒に、ディアナは『さっきまで一緒に怒ってたじゃない、イールの裏切り者』と恨めしく心の中で呟くけれど、イールの気遣いがディアナのためでもあることは分かってる。それでも足は止めないが。
彼の去って行った方へ少なからず感謝の目を向けつつ、セイが真剣な顔で告げる。
「僕の素性を黙っていた事は謝ります。偽りの名を告げた事も」
「そんなことは良いんです。あなたに事情があるのもちゃんと分かってます」
思わず固い声で応じたディアナの手を、彼が掴んだ。必然的に脚が止まってしまい、彼女は抗議の目を向ける。
「離してください、殿下!」
「なら今まで通りにセイと呼んで下さい。僕の身分で態度を変えて欲しくない」
「そんなの、無理です」
相手は他国の王子様なのだ。もちろん貴族かもしれないと思いつつ気安い態度は取ったかもしれないが、次元が違いすぎる。それに──
「あなたが私についた嘘は、それだけじゃないでしょう!一目惚れなんて、私を知りたいなんて嘘ばっかり!──好きな人が居るくせに」
「え?」
彼女の言葉にセイが目を見開いた。けれどその表情に気づかず、少女は言葉を継ぐ。
「私をからかって楽しかった?あなたには暇つぶしかもしれないけど、私は」
(私は?)
ディアナは愕然とする。
心をかき乱されたと、あなたに惹かれ始めているのだと、そう言うの?認めてしまうの?
何も知らなかった時ならともかく、今さら何も言えない。叶わないとわかっている想いなら、今のうちに消してしまうべきじゃないのか。彼を責めたら恋を認めたようなものだ。そんな権利もない──いらない。
言葉を途切らせた彼女の迷いを逃さず、金色の髪の青年──異国の王子は、まっすぐにディアナを見つめた。
「僕は、名前以外に嘘は言っていません。王子である事は黙っていましたが、それ以外は全て本当の事です」
掴まれた手を振りほどこうとしたが、セイは彼女を離さない。
「嘘よ。フローラ王女に聞いたの。あなたは月の女神を想っているって」
「──っ」
それを聞いた彼の手が離れた。動揺したその姿に、王女の言葉が真実だと確信する。自分から言葉にしたのに、胸が痛い。ディアナは俯いて、淡々と口にした。
「私よりも先に好きになった人が居るなら、その人を手に入れたら良い。そうしないとあなたは命を落とすんでしょう?」
「っ、だからそれは!」
セイがらしくもなく声を荒げた。もどかしそうに拳を握りしめる。
「全て話しますから、聞いてくれませんか。それでも信じられなかったら、僕は二度とあなたの前に現れない」
彼の悲痛な声に、ディアナは顔を上げた。その顔は真剣で、彼女だけを見ている。躊躇いながらそれを見つめ返した。
けれど言葉の続きを聞く前に、廊下の向こうから現れた魔物を見つけて、彼はディアナを背後に庇う。
「まずはこの城から出ましょう。王女とあのダークエルフを護るのを手伝ってくれませんか」
セイの言葉に、ディアナは諦めて頷いた。
「えぇ、わかった」
もとは彼女の義父が仕組んだことだ。そうでなくてもディアナが任された仕事なのだ。
「──それまでは、今まで通りよ。セイ」
精一杯の譲歩に彼はゆるやかに微笑んで、一度は離したその手を、もう一度差し出した。胸の痛みと、けれど抗えない微かな甘さに、少女は唇を噛んでその手をとる。
そして二人はもと来た道を引き返し始めた。 繋がれた手を、離すことなく。