彼の名前
「ここは……」
「まだ城の外に飛ばされたわけではないようね」
光が治まると、ディアナとフローラ王女、そしてイールは石壁の部屋の中にいた。周りの様子から、城内だということは分かるが、ディアナには初めての場所だ。あたりを見回す彼女に、フローラ王女が答える。
「ここは北の塔ね。この城は随分前に魔物が増えて王が打ち捨てた王室の別荘なんですの。わたくしも子供の頃は、ここで良く遊んだものですわ」
彼女が答え、イールがそれに続いた。
「来るときに外から見えた塔だ。一番端にあったよ」
だとすれば先ほどの部屋からは、ずいぶん離れてしまったのだろう。窓辺に寄れば、結構な高さがある塔なのだとわかる。部屋の中から見る限りは崩れそうな様子もないが、塔ならば逃げ場も通路もおそらく限られているだろう。
「こうしてはいられませんわ。戻らなくては」
警戒しつつ脱出方法を考えていたディアナの横で、フローラ王女がさっさと立ち上がり、ドレスの裾を翻してずかずかと歩き出す。いきなり起こった緊急事態に全く怯えるでもないその身軽さと、いささか可憐な王女様らしくない豪快さに、ディアナの方が驚いた。
「え、あの王女様?ちょっと待って、危険です!」
案の定、彼女がドアを開けた瞬間に魔物が飛びかかって来た。咄嗟にディアナが王女を庇い、剣で魔物を切り伏せる。下へと続く階段の奥に見えた他の魔物の気配に、一度扉を閉めて部屋の中へと戻った。
「大丈夫ですか?」
軽く息を吐いたディアナが、怪我は無いかと姫君を見やれば、彼女は両手を組んでキラキラとした目でこちらを見ている。ディアナは再度違和感に首を傾げた。
……あれ?
「まあまあ、素晴らしいですわ。あなた強いんですのね!」
そのままディアナへとずいっと顔を寄せて、フローラ王女がどこか呑気にいう。
「なるほどね、あなたがラセイン様のパートナー」
ぐるっと身体の周りを一周されながらまじまじと見つめられて、なんだか落ち着かないままにディアナは後ずさる。
相手は妖精のように可憐なお姫様だというのに、なぜかその目は獲物を見つけた猛禽類のように爛々としているのがちょっと怖い。
なんだろう。お姫様なんて他に知らないけれど、フローラ王女は見た目とだいぶ違う気がする。
「ねえお姫様、ラセインて何。セイのことだよね」
イールがディアナの肩へ舞い降りて、くちばしを姫君に向けた。彼女は魔法の掛かった鳥にも怯むことなく頷いて、ディアナに興味深げな目線を送る。
「聞いてはいないの?何も知らずに彼と一緒に居たの?」
それを聞いて、ディアナは自分の表情に不安が広がるのを自覚する。
「出会ったばかりで……義父の信用している人だし」
何も、知らない。その通りだ。
う〜んと何事かを思案していたフローラ王女は、ディアナを見つめて口を開いた。
「ラセイン・フォル・ディアス・セインティア様。──あの方は魔法大国セインティア王国の世継ぎの王子様ですわ」
「「え」」
ディアナとイールは声を揃えて茫然とした。
「おうじさま?」
頭が真っ白になる。
「そんなまさか」
(だってだってセイは、、)
「……まさ、か?」
頭脳明晰、容姿端麗、冷静沈着。上品な物腰に、一流の剣の腕前。甘い言葉に白馬に乗った堂々とした姿。
……たしかにどこから見ても完璧な『王子様』だ。これで農家の息子ですと言われるほうが、よほど信じられない。ディアナ自身も何度も思ったではないか、『王子様みたい』と。
「……そう言われたら、そうだね。ボクは人間のことよくわからないけど、あいつは普通とは違う」
ディアナの肩で相棒もぼそりと呟いた。けれどまさか本当に王子様だなんて、と少女は声にならずに呟く。ディオリオの態度がやっと腑に落ちた。イールが怒りを露わに吐き捨てる。
「あいつディアナを騙してたってこと?」
「イール」
真実の名や、身分を隠すのは仕方ないと思う。王子様なら自国でもない場所に、供も連れず一人でうろうろしているのはまずいだろう。ましてや世継ぎの王子、つまり王太子殿下──次期国王となる身ならなおさらだ。
しかもセイは、ラセイン王子は、ディオリオが仕えていた王家の人間であり──彼を追放した王の息子なのだ。打ち明けづらかったのかもしれない。
ただ、ディアナから見てもセイはディオリオを慕っているし、義父の方も彼を信頼している。だから、それはいい。
そこじゃ、ない。そんなんじゃ、なくて。
「じゃあ、セイはフローラ姫の婚約者……」