囚われの王女
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城の最奥までたどり着くと、ひときわ大きな扉があった。重厚な扉には不思議な模様が描かれており、それを指先でなぞってセイが言う。
「魔法を封じ込める呪文ですね。中に魔法使いか、魔物が居るのかもしれません」
「それ、すっごく怪しいよね」
ディアナの上を飛んでいたイールが、バサバサと翼をはためかせて降りてくる。二人と一羽は慎重に中の様子を伺ったが、封じ込めの魔法は音も気配も遮断しているのか、中の様子は分からなかった。
「とにかく開けてみましょう」
ディアナが取手を引くと、当然扉は鍵がかかっている。ガチャガチャと音を立てて揺れるだけだ。セイは彼女の手をそっと取って扉の前から退かすと、扉の前に立つ。その長い脚を振り上げて──
「失礼」
──バアンッ!!
彼が踵を叩き付けると、打ち捨てられた古城のあちこち痛んだ扉は蝶番が吹っ飛び、簡単に壊れた。
ディアナの隣で見ていたイールがぼそりと呟く。
「意外に容赦ないね、キミ」
「褒め言葉と受け取っておきます」
「どっからどう聞いても褒めてないけど」
「イールは賢いですからね。僕などには計り知れない特殊な形容詞なのかと思いまして」
……この二人、何だか良いコンビなんじゃないかしら。
ディアナはひっそりとそう思って、忍び笑いを漏らした。
「フローラ王女!いらっしゃいますか?」
ディアナは呼び掛けながら、ゆっくりと壊れた扉を押し開ける。窓から差し込む日の光だけに照らされた部屋の奥で、椅子に座らされたドレスの女性が、顔を上げた。
「誰……?」
彼女がフローラだろう。
森に住むディアナは王国の姫など見たことも無いが、タクナスが持って来た小さな肖像画とそっくりだった。
柔らかなミルクティーブラウンの髪に、白い肌、緑色の瞳。なんとも儚げな風情の可愛らしい姫君だ。ドレスの裾は多少汚れ、両手を縛られてはいるが、怪我もなさそうだ。
「あなた方は……?」
「助けに参りました」
ディアナが近寄ってその縄を解く。怯えて声も出せないかと思いきや、意外にも囚われの王女は緩んだ縄を自ら振り払うと、興味津々といった様子で少女を覗き込んだ。
「まあ、あなた剣士なの?たった二人でいらしたの?」
フローラはディアナの剣に目を留めて言った。自分とそれほど歳も変わらなく見える少女が、ここまでたどり着いたことに驚いたのだろう。ボクもいるんですけどー!と叫ぶイールにも目を向けると、まあ!と感心したように声を上げた。その姿に違和感を覚えたものの、怯え泣いているよりはよほど良い。ディアナはホッと息を吐いて王女へと答える。
「ええ。私と、彼らが」
姫君の視線がディアナの後ろにいた、セイに向けられた。その瞳が大きく見開かれる。
「──まぁ、ラセイン様!?」
「え?」
そう呼んだフローラ王女がまじまじと見つめているのは、間違いなくこの美貌の青年だ。ディアナは驚いて姫とセイを見比べた。
「知り合いなの?アディリス王国の王女様と?」
セイは一瞬ディアナを見たもののその問いに答えることはせず、フローラ姫へ一礼し、目を伏せる。
「お怪我はありませんか?ご無事で何よりです、フローラ王女」
「あなたがわたくしを助けに来て下さったの?」
姫の顔が嬉しそうに輝いているのは、気のせいだろうか。
「ねぇ、セイ……?」
「どういうことだよ、キラキラ!」
戸惑いながら問い掛けるディアナと、半ば怒り混じりに問いただすイールを、すまなそうに見てセイは口を開く。
「僕は……」
彼が何かを言いかけた時、フローラ王女の後ろで、床に動く影があった。どうやら椅子の影に誰か倒れていたらしい。
「誰!?」
ディアナはフローラ王女を引き寄せ、セイは二人の前に立つ。赤く光り始めた剣をそちらへ向けた。その先にいた相手はふらつきながら身を起こし、周りの視線に顔を上げる。
「何だお前たち……」
立ち上がったのは魔族の青年だった。尖った耳と赤い瞳を持つが、人間とほぼ変わらない姿。首の後ろまで伸びた真っ直ぐな黒髪を揺らし、めまいを振り払うかのように首を振る。
「ダークエルフ!」
その正体に気づいたイールが叫んで羽ばたいた。ディアナの肩に隠れる。彼女も剣を鞘から抜いた。
そこに居たのは、魔力も知能も高位の種の魔族だ。しかし今は頭を振りながら訳がわからずといった表情でこちらを見る。
「あなたが姫を攫った魔族ですか」
セイが剣を構えなおす。魔族はそれを見て、ウッと顎を引いた。
「ちょっと、待て──」
その瞬間、ディアナとフローラ王女の足元から、パアッと光が広がった。
「なっ、何!?」
赤い光は少女達を中心に円を描き、細かな呪文を浮かび上がらせていく。その形は──魔法陣だ。そして一気に完成すると、ひときわ強く光が溢れる。
「きゃあ……っ」
「ディアナ!!」
セイはとっさに手を伸ばすが──次の瞬間、強い光に包まれて二人の娘と鳥の姿がかき消えた。
「!」
届かなかった手を握りしめ、彼は一瞬強く唇を噛む。しかしすぐに振り返ると、自らの赤く光る剣を魔族へ向けた。
セイが魔族を睨みつけると、剣全体が強く発光し、魔族の周りの空気がビリビリと震える。それにとてつもない圧力を感じ、魔族の青年はわずかに身を引いた。
「彼女達に何をした」
押し殺した声でセイが魔族に問う。先ほどまでディアナに向けていた柔らかな表情などどこにも無い。
「私ではない!」
魔族の青年は悲鳴混じりに弁解するが、セイは剣を振り下ろす──
「っ!!!」
魔族の首を落とす寸前でセイはピタリと剣を止めた。あまりの衝撃に、ダークエルフは声にならない呻きを漏らす。しかし触れていなくともその剣の恐ろしさは伝わってきた。近づくだけでジリジリと肌が灼けるように熱を帯びてくる。
なによりもそれを持つ金色の髪の青年の、氷のような冷徹な表情に背筋が凍った。美しいが故に、柔らかさをかなぐり捨てた彼は剣以上に恐ろしく、魔物より底知れない恐怖を覚える。
なんだこいつは。人間なのか!?まるで我ら魔族のよう、いやもはや魔王ではないのか!!
恐怖に思考さえもままならない魔族は、それでも何とか声を絞り出した。彼の問いに答えぬまま少しでも動けば、一瞬で首を落とされると予感して。
「本当に、私ではない。王女を捕らえたのも、城に魔物を放ったのも」
「その言葉、嘘ではないな」
「本当だ!」
セイはやっと剣をおさめた。ひととき去った命の危機に、魔族が大きく息をつく。しかし彼の持つ剣に怖れを露わにした。
「それは、退魔の剣だろう。選ばれし者以外は抜くことはおろか持つことさえも許されない、持ち主を守り魔を灼き尽くす、強力な精霊に守護された女神の遺物だ。そのようなものを持つお前は何者だ?」
いまだに流れる冷や汗を拭いながら、声を絞り出し、魔族は問う。
「僕の名ですか?」
美貌の青年が、ゆっくりそちらを見た。
口調は戻っているのに、その瞳は冷たい氷の宝石のようで。魔族はぞくりと震える身体を抑えられない。
「僕はラセイン・フォル・ディアス・セインティア──青の聖国の王子と言えば、わかるでしょうか」