古城の夜
夜は魔物の活動が活発になる。あまり無理をして戦わない方が良い。
束の間の休息を求めて彼らが見つけたのは、城の中では比較的小さな部屋だ。元は使用人の部屋だったのか、いくつかの寝台と小さなテーブルと椅子、壁際に棚があるだけの簡素な場所だが、荒らされてもいない。十分に休めそうだ。
二人と一羽はそこに入り、セイが扉の前の床に自分の剣を突き立てて言った。
「結界を張りました。魔物は入って来られません」
彼の魔法剣はそんな力もあるらしい。確かに剣からは淡く青い光が漏れ出ていて、あたりに清浄な気配を漂わせている。ディアナは感嘆の声を漏らした。
「へぇ……便利なのね」
それを横目で見ながら、部屋にあったランプに火を灯して、ディアナは寝台に腰掛ける。彼女の肩から離れたイールが棚の上に留まった。けれどセイは入ってきた扉の傍に立ったまま。
「……どうしたの?」
ディアナが首を傾げると、彼は苦笑して口を開いた。
「……警戒させるかと。あなたに嫌な思いはさせたくありませんから」
どうやら先程、彼女に怯えた顔をさせたのがよほど堪えたらしい。さらりと溢れた金の髪を払っただけで、体勢を崩しもしない。
……そういうところは、気遣ってくれるんだ。
少しだけ彼の評価が上がる。けれどそれと、信用するかどうかは別だけれど。
ディアナは扉の前で寝ずの番をするつもりのセイに首を振る。魔法剣の結界があれば、見張りは必要ないだろうと言葉を重ねた。
「でも休まなきゃ。この先もまだ魔物は多そうだし、疲れが残ると身体に差し障るわ」
「ディアナ!そんなヤツ気遣ってあげること無いよ。っていうか同じ部屋でも危険じゃないか。外行け、外」
シッシッと追い払うようにイールが羽を動かしてあからさまに威嚇するが、ディアナはそれを止める。
「イール、彼が居なかったら、あなたさっきの魔物に食べられちゃってたのよ」
「うっ」
痛いところを突かれてイールはくちばしを噤んだ。
「し、仕方ない。部屋に居る事は許してやる。そっち行け、そっち」
過保護な相棒はディアナから一番離れた寝台を指し示し、彼はやっとクスリと笑ってそちらに移動した。ランプに照らされてきらきらと光る彼の金髪を、少女がなんとなく眺めていると。
「ディオリオとは、いつから?」
セイに柔らかく静かに問われて、ディアナは自然と口を開いた。
「私は元々あの森の家で生まれたの。私が小さい頃もディオリオは何度か家に来たことはあったんだけど……7年前、私が10歳のときにドフェーロ皇国との戦で両親が亡くなって、兄も行方が分からなくなった。しばらく私はリザリアの街の長老に預けられていたんだけど、混乱が落ち着いた頃にディオリオが私を探しにきてくれたの」
両親も兄も、何もかも失ったあの日のことを思い出す。
その頃はまだディアナも、無力で幼い子供でしかなかった。剣を持つことも知らない、小さな手しか持っていなかった。
「私の両親は駆け落ちして、実家からも縁を切られているんですって。ディオリオはセインティア王国の要職に就いていたから敵も多くて、味方のいない場所に私を連れて帰るわけにいかないって……その代わりにたくさんお土産を持って、時々会いに来てくれていたのよ」
たまに現れる、格好良くて楽しいディオリオ。珍しいものや美味しいお菓子をくれる、ちょっとお父さんに似た顔の男の人。小さな頃からディアナが認識していた彼は、常勝将軍ではなく、姪甥に優しい叔父さんだった。戦争が終わって独りきりになったディアナには、特にベタ甘だったと思う。
「なのに3年前、いきなり彼があの森に移住してきて、今日からは父さんって呼べって私を養女にしてくれたの」
ディオリオがディアナに剣を教えてくれたのも、その頃からだった。ベタ甘に過保護が加わって、けれど剣の指南だけは手を抜かれることはなかった。
「ああ、それで……」
セイの言葉にディアナは彼を見る。彼は嬉しそうに言った。
「ディオリオはちょくちょく長期休暇を取っていて、そのたびに流行のお菓子やら、綺麗なアクセサリーやら調達していて……仲間や僕たち生徒にからかわれていたんですよ。遠い国に女性でも待たせているんじゃ無いかって。ある意味、当たりでしたね」
ディアナの知らないディオリオを語る彼は楽しそうだ。本当に義父と親しいのだとわかる。だからこそ、ずっと義父には聞けなかった事を、彼なら教えてくれるかと思った。
「ディオリオは青の聖国では貴族で、将軍だったのよね?なのに全て捨ててアディリスに来た。どうしてか、あなたは知っている?」
彼は一瞬戸惑って。
寝台から立ち上がると、ディアナの傍まで来て向かいの寝台に座った。イールはそれをちらりと見ながらも、特に止める事も無く、羽を繕っている。金色の髪の青年は、静かな声で告げた。
「──彼は、王に逆らったんです。それで怒りを買った。爵位も剥奪された」
セイの瞳が、ランプの火を受けて揺れる。
「でもね、彼はとても素晴らしい将軍で、王の親友だったんです。だからいくら仲違いをしようと、王も彼を罰したくなかった。ディオリオに自ら国を出るよう、命じたんです」
青年は自分の膝の上で、拳を握りしめた。まるで自らが罰せられたかのような顔をして。そんな彼は少し意外で、ディアナは彼の顔を見つめる。
「僕は……止められなかった。何の、力も無くて」
ああ、このひとは後悔してるんだ。大切な人を守れなかったことを。
思いがけずセイの深い部分に触れた気がして、ディアナは戸惑った。朗らかな彼が、そんな顔をしているのは、少し胸が痛くて。
「ディオリオは、そんなこと気にしてないと思うわ。こうしてあなたに私を預けるくらいだもの、信頼していると思う。父さんはあの通り私に過保護なのよ?」
まっすぐに彼を見つめて言えば、セイは驚いたように瞬きをして──ふわりと、美しい笑みを浮かべた。
「ありがとう、ディアナ」
ドキン、と大きく音を立てた心臓。
「優しくされると、つけあがってしまいますよ」
冗談めいてセイはそう付け加えたが、
「それはボクが許さん。ディアナに触ったら突っつくからね!」
イールがしっかり口を挟む。少女は困ったように白い鳥を眺めた。
「もう。イールってば、恥ずかしい。私自分の身くらいちゃんと守れるわよ」
「は?ちょっと自覚無いの?キミそこのキラキラに、散々触り倒されてるけど!」
自覚の足りない相棒の言葉に目を剥いて怒り出すイールに、呑気な声でセイが言う。
「あはは、人聞き悪いですよ、イール。そこまで触ってませんって」
「自覚が無いタイプの犯罪者だあぁ!!!」
イールの渾身のツッコミをうけた青年は、結構楽しそうに微笑んでいて。
魔物が溢れる城だというのに、ただ穏やかに夜は更けて行った。