始まりの森
***
騎士は自らの血脈に魔法をかけた。
──運命の人に出会ったとき、
お前は一目で恋に落ちるだろう。
その相手を愛し結ばれよ。
もし想いが叶わぬときは、魔導の命を失うだろう。
それは呪いなのか、
──それとも祈りなのか。
誰も知らない。
***
アディリス王国、セレーネの森──。
鳥の群れが突然飛び立つ気配に、少女は顔を上げた。
彼女の名はディアナ。17歳になったばかり。
ふわふわと波打つ、栗色の長い髪。赤い唇に長い睫とアメジストのような紫の瞳。華奢な手足と、女性らしいまろやかな身体。街を歩けば思わず人が振り返るような、美しい少女だ。
──しかし彼女は今、その可憐な外見を裏切って、手にひとふりの剣を握り締めている。
「……魔物……と、何か入って来た?」
小さく呟いたそれに応えるように、一羽の真っ白な鳥が彼女の頭上で鳴いた。──否、“喋った”。
「ディアナ!なんか変なの居るよ。魔物と、キラキラのやつ」
「……キラキラのやつ?」
ディアナに届いた鳥の声に、彼女は首を傾げた。彼女の相棒の言葉は率直すぎて、戸惑うことが多い。しかし間違うことはめったにない。
少女は耳を澄まして気配を確かめると、相棒の伝えた方角へと駆け出す。普段ほとんど人も多らない森だが、ここで育った彼女には庭のようなもの。目をつぶっていても通れる。
難なく森の奥深く、木々をすり抜け、開けた先の湖まで来ると──
そこに異形の獣──魔物が居た。
大きな狼のような姿だが、その身体には黒い炎を纏って、魔物の証である赤い瞳がギラギラと煌めいている。今にも飛びかかりそうに警戒する姿の、その先に人が居た。
旅装束なのかフード付きのマントに覆われた姿はよく見えないが、長身でしっかりした体つきからして男性だろう。
ディアナはその間に素早く割り込んで、魔物に向かい剣を構える。
「下がって!」
「え!?」
相手は突然現れたディアナに驚いたのか、咄嗟に一歩下がったが、ハッと気づいたように口を開く。
「あなたこそ、危ない!」
その声は若い男だったが、振り返って確かめる間もなく魔物が彼女に襲いかかった。
『ガアッ!』
「さあ、おいで」
しかし彼女は逃げない。強い眼差しで魔物を睨みつけ、剣を構えて踏み込む。
男は少女が魔物の牙と爪に引き裂かれる瞬間を想像したが、ディアナはその身から想像もつかない素早さで難なく魔物を躱し、すり抜け様に剣を奮った。
鋭い刃が魔物を貫き、しかし急所にわずかに届かなかったことを確認して、もう一度攻撃を仕掛けようとし──
“ザンッ!”
見れば男が剣を抜き、とどめの一太刀を浴びせたところだった。魔物はその巨体を倒し、絶命する。
「……あなた強いのね」
一瞬とはいえその力強く、絶妙な剣技に感心して声を掛ければ、彼はなぜか衝撃を受けたように立ち尽くしていた。フードに隠された男の顔はよく見えないが、ディアナを凝視しているように見える。
その気配にややたじろいだ彼女は、下がりそうになった足を止めて逆に見つめ返してみた。それでも彼は動かない。
「……あの?」
「ああ、すみません」
男はハッと気がついたように、その外套に手を掛けた。フードを引き下ろしたその中から零れ落ちた、金色の光にディアナは思わず目を奪われる。
「ああ。キラキラって、このことね……」
ディアナは相棒である白い鳥の言っていた意味を知った。
フードの下から現れたのは、見たこともないほどとても美しい青年だった。
金色の緩やかに波打つ髪を首の後ろで一つに縛っているが、それがまるで太陽の光のように背中に落ちていて。瞳は磨かれたアクアマリンのような淡い水色。その顔は端正で、誰もが見惚れる上品な笑みを浮かべている。それに長身に、細身だががっしりとした体躯。剣を扱いなれているようだから、きっと腕も程よく引き締まっているのだろう。
綺麗な人。絵本の王子様みたい。
そんなことを思ってしまって、子供じみているかと自分を笑った。けれど彼はそんなディアナを、まだじっと見つめている。
「僕は……セイと申します。あなたこそとても腕の立つ剣士とお見受けしました。助けて下さってありがとうございます」
優雅に丁寧に、頭を下げる彼に少し驚いて、ディアナは首を横に振った。
……どこかの貴族のおぼっちゃまかしら。
もしそうなら、供もつけずに一人きりなのはおかしいのだが。
「いいえ……私が出る幕でもなかったみたい。あなた一人で何とかできたわよね」
けれど彼はにっこりと笑う。
「実はちょうど良かったんです。人を尋ねてきたのですが、迷ってしまって。ディオリオという方をご存知ですか?」
その人好きのする笑顔にディアナもつられて微笑んだ。
「ええ、その人なら知ってる。──私の義父よ」