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それぞれの奇跡

 和季の祈りが通じたのか、清水は持ち直してくれた。

 ドアに貼られた面会謝絶の紙は無くなった。

 それまでの日々は、生きた心地がしなかった。入ることは出来なくても、病室の前まで行って無事を願った。

 白瀬の回復を待つ間、生き返りの担当が無かったのは幸いだった。さすがにまともな対応が出来るとは思えなかった。

 そして、再び会うことが出来た白瀬の姿は、前のままではなかった。白瀬の顔を、大きな透明のマスクが覆っている。人工呼吸器だ。

 あのとき一瞬見えた、痛々しいほどの機器に囲まれた状態ではない。だが、彼女の顔がよく見えない。

 無事でいてくれてほっとした。それなのに、彼女の顔がよく見えなくなったことが、とても残念だと思った。その目が開くことがなくても素顔が見たかった。


「あの、この呼吸器はいつ外せるようになるんですか?」


 和季は病室の中にいる白瀬の母に問い掛ける。


「……あ」


 和季から視線を逸らして、白瀬の母は俯いた。


「ええと、もしかして」


 言葉が詰まる。


「もう、その呼吸器は外せないの」

「そんな……」


 白瀬の母は、横たわる白瀬を見て少しだけ微笑んだ。そして、何かを言いかけるように口を開いて、つぐんでしまった。

 小さな、機械的な呼吸音だけが、部屋の中に響いている。


「確かにこの子は危険な状態からは脱してくれたんだけどね」


 白瀬の母が、愛おしそうに白瀬の頬を撫でる。


「……あたたかい。でもね、もうこの子には自発呼吸も無いの。だから、このマスクを取り外したら……」


 そこで、言葉が切れる。


「っ、ごめんなさいね」


 白瀬の母の顔が、くしゃりと崩れる。


「……じゃあ、白瀬さんは」


 この機械に生かされているだけなのか。

 それはこの四年間も同じだった。医療行為のおかげで白瀬は生き延びている。

 それでも、その事実は、ひどく衝撃だった。


「こんな話、あなたにすることではないのだけれど……。藤乃の知り合いでこんなによく来てくれるのは、もう、萩本君、あなただけだから」

「……」

「自発呼吸がなくなったときにね、選択を迫られたの。一度付けたらもう二度と外せないけどいいですかって先生に聞かれてね。主人とも話し合って付ける選択をしたの」


 白瀬の母は微笑んだ。


「だって、この子はまだ生きてるもの。奇跡だって起こるかもしれないでしょう?」


 奇跡は起こる。

 和季だって信じたい。

 それなのに、何故こんなにも胸がざわついているのだろう。




 家に帰ってWi-Fiを繋ぐのすら待ちきれなくて、歩きながらスマホで人工呼吸器について検索する。

 クラクションが鳴る。

 前を見る。

 車のライトが通り過ぎていった。歩道から少しはみ出ていた。

 スーツの裾のすれすれを通っていった車体を見ても、和季は何も感じなかった。ただ、うるさいと思った。

 道端に立ち止まる。スマホの画面の上で、指を滑らせる。

 一つ一つの操作がもどかしい。

 自発呼吸の無い患者の人工呼吸器を外すことは原則、出来ない。

 死ぬとわかっていて、取り外すのは殺人になってしまう可能性がある。過去にそういう判決があったことがある。

 だから、自発呼吸の無い患者に人工呼吸器を付けるときには大きな決断が必要なのだと知った。

 白瀬の両親は信じているのだろう。

 白瀬はまだ、生きている。

 病室で和季も見た。

 微かに上下する彼女の胸が、それを伝えていた。

 それが『生きている』だけだとしても。

 彼女は、死ななかった。そういう選択を『された』。

 和季は、どうしてこんなに苦しいのだろう。

 以前から、もう何年も前から、その感情を認識していた。

 そう、和季は生き返りになった人が、その周りの人が羨ましい。

 生き返りと接する度に、その感情は大きくなっていった。

 もしも、和季がこの仕事をしていなかったら。

 そんな仮定に、意味は無い。

 間近で、目の当たりにしすぎた。

 それだけの事実。

 白瀬の母は、奇跡を信じると言った。

 奇跡を、和季は知っている。

 気付いてしまった。

 心の片隅で、白瀬の死を願う自分がいた。

 和季の知る奇跡は、その先に、ある。


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