彼の理由
終業のチャイムが鳴って、霧島が部屋を出て行く。すぐに、和季もその後を追った。
霧島の歩みは速く、その背中になかなか追いつけない。
「霧島さん!」
追いついてから、と思ったがたまらず声を掛けた。
霧島が振り返る。
「なんだ」
和季だとわかると、霧島は冷たく答えた。
少しひるむ。
やはり霧島のことは苦手だ。
仕事中にお礼を言おうかとも思ったが、他の人の前でそういうことをされるのは嫌がられそうな気がした。
「用があるなら手短に言え。就業時間は終わっているぞ」
「あ、す、すみません」
霧島が顔をしかめている。あの時と同じ人だとは思えない。だが、
「助けてくださって本当にありがとうございました。助かりました」
確かに和季を助けてくれたのは霧島だった。
「確かに、俺がなんとかしていなかったらクビにでもなっていたかもな」
「え、そうなんですか」
霧島がため息を吐く。
「何も無いとでも思っていたのか」
「ええと、夢中で。そんなことになっていたとは。それなら、霧島さんだって嘘をついて僕を助けでもしたら大変なことになってたんじゃ……」
「別に、萩本君の為じゃない」
「昇君の、為ですか?」
霧島は答えない。
「……あの」
「なんだ。言いたいことがあったらハッキリ言え。用が済んだなら帰る」
「どうして、危険を冒してまで助けてくれたんですか?」
「気まぐれだ」
「気まぐれ、ですか」
「萩本君こそ、今回は珍しかったじゃないか。ああ、元に戻っただけか」
「元に……。そんな風に見えましたか?」
「ああ、白瀬さんを見ているようで腹が立ったね」
「……っ」
声が、詰まった。
和季は白瀬のように出来ていたのか。
霧島を腹立たせるくらいに。
白瀬がいないことが悲しくて。
それでも、追いかけている人と同じように思われるのは嬉しかった。
「すまん」
霧島はバツが悪そうに額に手を当てた。表情が変わっているようには見えないが、悪いと思ってくれたのだろうか。
「あの、もしかして……、霧島さんのお母さんも生き返りになられていたんですか?」
今の霧島なら、答えてくれるだろうか。そう思ったら、口に出してしまっていた。どう考えても気まぐれなわけがない。考えられるのは、同じような境遇だったのではないか、ということだ。
「何が言いたい」
急に、霧島の声が冷たくなる。
「あ、いえ。だから、昇君のこと他人と思えなかったのかと思って。ごめんなさい」
言い訳のように口に出してしまった言葉が、余計にいけなかった。軽はずみに聞いていいようなことではなかった。
霧島は不機嫌そうに和季を見ている。
プライベートに踏み込みすぎてしまったかもしれない。お礼を言おうとしただけなのに、失敗した。
「……すみません。見当違いなことを言って」
霧島は無言で目を伏せている。余計なことを言って、傷つけてしまったのかもしれない。
霧島が、深いため息を吐く。
「俺の母親は生き返りにはならなかった。でも、そうだな。生き返りになっていたらなっていたらよかったと思わずにはいられなかった。俺は最期にあの人に会うことも叶わなかった。突然のことだったからな。ま、人が死ぬ時なんて、普通はそうなんだが」
「……あ」
「けど、あの子の場合は違う。生き返りになったんだ。せめてそれが叶った人間には後悔して欲しくなかった。いつもなら、そんなこと無駄だと思ってるのにな」
何か言わなくてはと思うのに、何も言葉が思い浮かばなかった。
霧島がこの話は終わりだと言わんばかりに背を向ける。歩き出そうとして、迷ったように立ち止まり、振り向かずに言った。
「どちらにしても、俺一人なら絶対になんの行動も起こさなかった。……ありがとう。それと、今回みたいな方が萩本君らしいな」
最後の言葉は嫌みなんかではなく、あたたかさのようなものがこもっている。そんな気がした。
「こちらこそ! 本当にありがとうございました!」
もうこちらを見ていないとわかっていても、精一杯の思いで和季は頭を下げた。
顔を上げた頃には、すでに霧島の姿は無かった。




