昇にとって大切な人
「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」
昇にたどたどしく声を掛けられて、ハッとする。一心にハンドルを握っていた。余程力が入っていたのか、指先に血の気がない。
「やっちゃいけないことだったんでしょ?」
助手席を見ると、不安そうな顔で昇が和季を見ていた。
「大丈夫だよ。ありがとう」
微笑んでみせる。不安にさせてしまったかもしれない。自分がしっかりしなければいけないのに、逆に心配されているなんて情けない。
それに、昇からお兄ちゃんと言われたのは初めてだ。今まで呼びかけられたことすらなかった。頼りにされているのかと思うと嬉しかった。
「昇君、偉かったね」
不思議そうに、昇が首を傾げる。
「いい子で静かにしててくれたから、おかげでお母さんに会いにいけるよ」
「ぼく、ちゃんとしずかに出来るよ。だって、いつもやってたもん」
「いつも?」
今度は和季が首を傾げてしまう。
「うん。ぼくがうるさくしてると、おうちに来てた男の人がすぐおこるから。だから、いつもしずかにしてたんだよ」
「……そっか」
大西に、昇が暴力を受けていた可能性があると聞いた。だが、それが聞き分けの良さに繋がっているとは思わなかった。理由を聞いてしまうと複雑な気分になる。
家に来ていた男の人、というのが問題の相手なのだろう。今までに全く顔を見ていない。昇と面識はあるのだし心配して会いに来てもいいのではと思ってしまうが、それはきっと間違いだ。
話を聞いているとろくでもない男のようだし、会いたくも無いに違いない。
「ちゃんと会えるよね。お母さん」
「そんなに会いたい?」
「会いたい」
当たり前だと言わんばかりに、昇は即座に答える。
「お母さんはどんな人?」
「やさしいよ。あと、おいしいごはんを作ってくれるんだよ」
考えてみれば、和季は昇の母親のことを全く知らない。昇を殺した人で、逃亡犯。それだけ聞くと、和季のやったことが間違いに思えてくる。
だが、こんなにも昇が会いたいと思っている人なのだ。
「あのね。……お母さんはぼくをころしたとき、ごめんねって何度もあやまってたんだ。死んだ方がしあわせだって言ってた」
昇の視線は外を見ている。母親を探しているのだろうか。
「お母さん、泣いてた。お母さんもぼくといっしょに行くって言ってた。だからね。ぼくは、いいよって、まってるって言ったんだ。お母さんがいっしょなら安心だもん。でも……」
昇が俯く。たどたどしい言葉で続ける。
「今、ぼくの近くにいてくれない。みんな会えないって言う。ねえ、ぼくは生き返ったからこうしてるけど、もうすぐ本当に死んじゃうんでしょう? その次はどうなるかわからないんでしょう? ほんとうは、しってるよ。だから、会いたいよ」
「うん」
絶対に会わせてあげたい。
このまま死に還らせたくない。
どんな人だったとしても、昇にとって大切な人だということだけは確かだ。




