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昇の事情

 生き返り課の部屋に入ろうとドアを開けたとき、いつもこの場所では聞いたことの無い声がした。声のした方へ顔を向けると確かに見知った顔があった。同期の大西だ。最近は全く顔を合わせていなかった。

 大西は松下の机の横に置かれた椅子に座っている。どうして大西がこんなところにいるのかと不思議に思う。意味も無くいる訳はないから、何か用があるのだろうか。和季に個人的な用があるなら休み時間にでも来るはずだ。

 霧島とひよりは自分の席にいて特に気にしていないようなので、松下に用があるようだ。

 松下がこちらを向く。


「ああ、萩本君。おかえりなさい」


 大西も和季を見る。なんだか顔色が悪い。


「ちょうど良かった。こちらは児童福祉課の大西さん。今回二人に担当してもらっている天池昇君のことで相談を受けたことがあるとわかってね。話を聞かせてもらっていたんだ。いいタイミングで帰ってきたね」


 松下が大西に向き直る。


「今帰ってきたのが昇君の担当をしている萩本君です」

「……担当って、萩本なのか」

「知り合いだったかい?」


 大西の言葉に、松下が首を傾げる。


「あ、はい、新人研修の時に一緒だったんです」

「ああ、そうだったんだね。それなら話しやすくてちょうどよかったかな。萩本君も荷物を置いたらこっちに来てくれる?」

「わかりました」


 言われたとおり松下の席へ向かって、三人で話すことになった。

 和季が帰ってきたとき、まだ大西はここに来たばかりだったらしい。

 大西が説明を始める。


「天池さん、ええとお母さんの方ですが、児童扶養手当のことで相談に来られていたんです。元々は母子家庭だということで、手当は支給されていたんです。それが止められてしまったのでなんとかならないか、という相談でした。理由は、アパートに出入りしている男性がいるからです」

「それで手当が止まるのかい?」


 松下が疑問の声を口にする。


「ああ、はい。わかりにくいと思うので説明します。児童扶養手当は再婚した場合には受けられなくなります。ただし、これは内縁関係の男性がいた場合にも適用されてしまいます。天池さん親子の場合は、近所の方からの通報から発覚しました。……そういうことがあるんです。それで手当が止まってしまったというわけです。問題はここからなのですが、その男性は天池さん親子を援助するようなことは全く無かったということなんです。むしろ、天池さんからお金を受け取っていたくらいで。最初は少額だったようですが、それがどんどんエスカレートしていったみたいで。それに……」


 大西が目を伏せる。


「どうやら、天池さんはその男性から暴力を受けていたみたいなんです」

「それも、相談を受けていて知ったのかな」


 松下が穏やかに問い掛ける。


「いいえ。天池さんからは、そんなことは一言も……。ただ、そうじゃないかと疑うことはありました。でも……」


 膝の上で大西がぎゅっと手を握りしめる。


「こんなことになるなら、すぐにでも警察に通報すれば良かったんです。俺が。天池さんは、平気だとおっしゃって。あまり大事にはしたくないと。彼にはいいところもあるのだと、笑っていて。だから、俺……」

「ゆっくりでいいよ」

「ありがとうございます。……昇君にも会ったことはあるんですが、見えているところは傷一つ無くて、だけど、もしかしたら見えないところには傷があったのかもしれないです。でも、仲がいい親子だったんです。会うときにはいつも昇君はお母さんにべったりで。大変そうだったけど、二人で笑ってて……。それなのに、こんなことになるなんて……。そこまで思い詰めていたなんて……」


 大西の声は段々言葉にならなくなった。大西が顔を上げる。


「すみません。出来れば、俺も何か手伝えればいいんですが」

「大丈夫。ここからは私たちの仕事だからね。話を聞かせてもらって、とても助かったよ。また、何かわからないことがあったら聞かせてもらってもいいかな?」

「……はい」


 大柄な大西が、今はなんだか小さく見える。自分が相談を受けていた親子が心中なんかしたせいで落ち込んでいるのだろうか。

 だが、こちらは毎回もうすぐこの世からいなくなる人間と接しているのだ。いちいち落ち込んでいては仕事にならない。


「では、失礼します」


 部屋を出て行く前に、大西が和季に目線をよこした。無言だったがこちらに来てくれと言っているのがわかった。

 仕方なく大西に続いて部屋を出る。

 ドアを閉めて廊下に二人だけになると、大西が力なく和季に笑いかけた。


「お前すごいな」

「何が」

「いつもこんなことに向き合ってるのかよ」

「ああ」

「慣れ、……るわけないよな」

「……」

「昇君のこと頼むわ。俺はもう何も出来ないからさ。じゃあ、まだ仕事が山積みだから行くな」


 和季の肩を軽く叩いて、大西が背を向けた。

 無言で大西を見送る。

 何もすごくない。今の和季は。

 今も、大西の話を聞いたって心が動かない。どんな事実があっても仕事としてただこなせばいいと思っている。


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