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夢のように遠く

 病院の廊下を歩く。定時に切り上げてきたので、仕事帰りに立ち寄ることが出来た。

 ちょうど夕食の時間なのか、廊下には消毒の臭いよりも学校の給食のような匂いが漂っていた。服にまとわりついてくるようで煩わしい。振り払うように足早になる。

 一つの部屋の前で足を止める。スライドのドアを開ける感触は、驚くほど軽い。

 その個室の中には、食べ物の匂いは無い。

 ただあるのは、清潔な臭いだ。

 白瀬の細い腕には点滴がつながれている。

 いつものようにベッドの隣にある椅子に腰掛ける。

 寝ているだけだというのに、彼女はどんどんやつれていく。仕事をしていたときには、どんなに忙しくても生き生きしていたのに。

 白瀬をこんな姿にした生き返りの為に、いつだって一生懸命やっていたのに。

 どんなに恨んでも、生き返りには罪を償わせることも出来ない。

 霧島が言っていたように生き返りを三日間拘束しておくことが出来れば、この仕事も無くなる。白瀬が今の状態になることもなかった。

 むしろ、そうしないのが不思議なくらいだ。

 生き返り課だけに押しつけて、社会的な問題にすらならない。公務員だから人権は無いとでも思われているのだろうか。

 白瀬が担当した生き返りの、本物の彼女が犠牲になっていたらもっと大事になっていたのだろうか。

 わからない。

 わからないが、白瀬が目を覚まさないことだけは変えようのない事実だ。


「……僕は、この仕事を続けられる自信が無いです」


 小さくこぼしても、白瀬は答えない。

 彼女は、何の反応も示さない。

 仕事をしているときの凜々しい顔も、恥ずかしそうに慌てた顔も、泣きそうな顔も、嬉しそうに笑う顔も、夢だったように遠い。

 彼女は、ただ目を閉じて横たわっている。

 あの日、白瀬と、担当していた生き返り、そして、生き返りの元彼女の三人で会うことになっていたらしい。元彼女は、二人きりは絶対に嫌だと言っていたのだが、白瀬が同席するのならと同意したそうだ。

 三人は待ち合わせをしていた。先に来ていたのは、白瀬と元彼女の二人。

 そこに現れた生き返りが元彼女を道連れにしようと、車でひき殺そうとした。

 そして、白瀬が元彼女の女性を庇った。

 白瀬のことだ。きっと咄嗟に身体が動いてしまったのだろう。

 そういう人だ。

 近くで見ていたのは短い間だったが、和季は知っている。

 頭を強く打った白瀬は、意識不明のまま目覚めなくなってしまった。和季は親族ではないから詳しいことは知らされていない。

 けれど、いつ目覚めるかわからないことは知っている。

 二度と目覚めないかもしれない、ということも。

 何年も目覚めなかった人が奇跡のように意識を取り戻す事例もある。ドラマ、小説、漫画、作り物の物語の中でよくある話だ。実際にも起こらない訳ではない。

 自分の身に起こる前は、奇跡が起こったというドキュメンタリーを他人事のように見ていた。

 無邪気に、知らない人に起こった奇跡を遠くの出来事として見ていただけだった。

 いい話だな、なんて思いながら。


 

   * * *



「異動したい?」

「このまま続ける自信がありません」

「う~ん」


 松下が顔をしかめる。


「そう言われてもね。今は年度の途中だし、白瀬さんも抜けて人も少なくなってるし、難しいなあ。萩本君は今年入ったばかりなんだ。異動は長くやっている人から順番が回ってくるものだからね。年度終わりにもちょっと難しいと思うな。大丈夫。きちんと仕事はこなしているじゃないか」

「……そう、ですか」


 答えながら、それならば退職した方がいいのではという考えが浮かぶ。


「すまないが、このまま続けてもらえると助かるよ」

「……わかりました」


 困ったような松下の顔を見ていると、それ以上何か言う気にもなれなかった。


「すぐに異動できるものなら俺だってしたいよ。希望だって出してるんだ」


 霧島が声を掛けてくる。


「ただ、他の部署に行ってもそこがいいところとは限らないけどな」

「はあ」


 どんなところだって、ここよりはマシだと思う。

 生き返りと接しなくてもいいのだから。


「ま、命の危険がある部署なんてそうそう無いだろうけどな」


 霧島としては、軽口のつもりだったのだろう。


「なんだよ、そんな怖い顔して。冗談だろ」

「……すみません」


 ただ霧島の顔を見ただけのつもりだったのだが、睨み付けていたらしい。顔の筋肉が強ばっている。

 ここは居心地が悪い。

 白瀬がいた時とは、全く別の場所のようだ。


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