不穏な電話
今回の白瀬の担当は、今日で終わりのはずだった。
和季は多少遅くなっても白瀬が戻ってくるまで待つつもりだった。今日は、少なくとも定時までには帰ってくるはずだ。死に還りの時間が早めだと聞いているから、もし最期までついていたとしてもそこまで遅くなることはない。
朝来たときには白瀬の顔を見たが、すぐに出て行った。
大変だと言っていたが、というより、彼女のフリをして欲しいと言われていたことの方が気になるが、白瀬ならきっと大丈夫だろう。颯爽と切り抜けて、生き返りの人が少しでも生き返って良かったと、そう思えるようにするはずだ。
結局、昨日の帰りにもう一度コンビニに寄っておまけ付きの紅茶を買ってしまった。
帰ってきたら、三日間お疲れ様ですの気持ちを込めて渡すつもりだ。
もう、いっそのこと食事に誘ったりしてみたらどうだろうか。
疲れているみたいなので今日は僕が奢ります、なんて誘い方ならおかしくないかもしれない。いや、白瀬のことだから、後輩に奢られるのは嫌かもしれない。
実際に誘えるかどうかもわからないのに、昨日からぐるぐると考えてしまっている。
馬鹿みたいで、ちょっと嬉しくて、恥ずかしくて、なんだか楽しい。
誘ったりするのは無理でも、マグネットだけは渡そうと思う。
そうやって少しずつ、白瀬がこっちを見てくれたらそれだけでいい。
顔がにやける。
そろそろ帰ってくるのではないかという時間になっても白瀬は帰ってこなかった。手続きに時間が掛かったりしているのだろうか。
いつもなら仕事をしているとすぐに時間が経つ。だが、今日はやけに時間が経つのが遅かった。昼過ぎか遅くとも夕方には帰ってくると思ったのに、もうすぐ定時になってしまう。
白瀬のことだから生き返りの家族とも丁寧に話をしているのかもしれない。霧島ならそこまでしなくてもいいと言うだろうことまで、白瀬は細かく対応している。
そういうところが、和季は好きだと思う。
だが、今は何度も壁に掛けられた時計を見てしまう。
時計の針は、なかなか進まない。
アナログの時計の針は、ゆっくりと一歩ずつ針を進めている。いつもなら気にならない針の音が、一度気になると耳から離れない。
静かな部屋の中に、時計の音とキーボードを叩く音だけが響いている。部屋の外では誰かの足音がする。
白瀬が帰ってきたかと期待したが、足音は部屋の前を通り過ぎた。
電子音が部屋の中に響く。電話が掛かってきた音だ。
すぐに松下が受話器を取る。
生き返りが起こったのだろうか。だとしたら、和季に担当が回ってきて白瀬とすれ違いになりはしないだろうか。
せっかく決意したのだから、出来ればすれ違いになることは避けたい。また勇気を出すのが大変になる。
しかし、松下の様子はいつも生き返りが起こったときと違うように見える。
何か別の連絡だろうか。
「……本当ですか!?」
電話口で、松下が急に声を荒げた。
部屋の中の空気が震える。
松下が声を荒げるなんて、初めてだった。少なくとも、和季がここに来てからは。
和季は思わず、向かいに座っている霧島とひよりを順番に見た。二人ともびっくりしたように顔を上げて松下を見ている。やはり、彼らにとっても珍しいことらしい。
電話の向こうの声は聞こえない。
ただ、松下の顔と声で、何かが起こっていることがわかる。
「はい。……はい。わかりました。そちらはお任せします。はい。刑事事件になったらこちらでは出来ることはありませんから。……はい。よろしくお願いします」
何か不穏な単語が聞こえた。
刑事事件。
生き返りに何かあったのだろうか。
それとも。
「……何か面倒事か?」
小さな声で、霧島が言うのが聞こえる。ひよりが霧島と顔を見合わせている。
だが、ただの面倒事なら松下が声を荒げることなど無い気がする。もっと大変なことが起きている、そんな気が。
どうしてか、心の中がざわざわする。
松下が受話器を置いた。
ゆっくりと顔を上げる。
目が合った。
松下が視線を逸らして目を伏せた。
ひどく時間が流れるのが遅かった。
白瀬を待っていた時間よりも。
松下が口を開くのがスローモーションに見えた。
「隠しておいても仕方が無いと思うので、みなさんにも言っておきますね」
部下に対してもいつも丁寧な口調の松下だが、今はどこかよそよそしく聞こえた。
松下の口は重い。まるで続きを言いたくないかのようだ。
早く続きを言って欲しかった。
いつもの生き返りがあったという電話とは違う気がしていた。
どうして松下は、和季から視線を逸らしたのだろう。
早く、安心したかった。
早く。
「……白瀬さんが、事故に遭いました。今は病院に運ばれています」




