描きかけの絵
「白瀬さん」
「なに?」
もうすぐ坂田の絵が展示される公民館に着いてしまう。今日も朝から二人で坂田の元へ向かっているところだ。言うなら今しかない。昨日の夜、アパートに帰ってからもずっと考えていた。
「僕の友達とか、呼んだ方がいいですかね。……当てがそんなに無いので来ても少ないと思いますが」
白瀬が難しい顔をする。
「いえ、今日も昨日みたいだったら坂田さん、かわいそうで。せっかくなら、少しでも人が来た方がよくないですか?」
「それも一つの考え方かもしれないんだけど」
言葉を切って白瀬が小さく息を吐いた。
「確かに、死ぬ前に心残りがあるのは駄目だよ。人が大勢来てくれたら坂田さんは喜ぶかもしれないね。だけど、それってすぐにバレちゃうんじゃないかな。昨日見たでしょ? すごく真剣に、絵を見に来ている人を見てたの」
「それは、はい」
「私だって出来る限り手伝いたいとは思ってるよ。でもそれは、嘘をついて喜ばせることじゃないんじゃないかな」
「……はい」
それ以上は何も言えなかった。手伝いたいと思っただけだった。坂田を喜ばせたいと思っただけなのに。
* * *
昨日、白瀬の言ったとおり最終日も坂田はきちんと会場に来ていた。
「今日もよろしくお願いします」
昨日と全く変わらない朝。だが、坂田は死亡時間から今日の夜中に再び死に還る。だったら、幸せに過ごして欲しいと和季は思う。嘘をついて喜ばせるのは、そんなに悪いことだろうか。
「あれ?」
驚いたような白瀬の声に、和季は彼女の視線の方向へ顔を向ける。その視線の先には、新しい絵があった。一枚だけ、他の絵と違って展示室の真ん中、イーゼルの上に載せられている。
見覚えのある絵だった。でも、違っていた。
一昨日見た、あの暗い路地。その中に、微かな光が射しこんでいた。暗い、ただ暗い路地に、ぽっかりとスポットライトが照らすように明るい光がある。タイヤの無い赤い自転車が主役のように輝く。
先に来ていた坂田が持ってきたらしい。あのアパートの中にあったのと同じ状況で置かれている。どうやらイーゼルも一緒に運んできたようだ。
「その絵、部屋に置いてあったものですか?」
白瀬が問う。
「……描きかけの絵、少し進めたんです」
「素敵ですね」
お世辞でも何でもなく自然に聞こえる白瀬の声。昨日のゴッホの発言といい、白瀬は元々絵が好きなのかもしれない。ゴッホなら和季でもわかる巨匠だ。
「……ありがとうございます。嬉しいです。なかなか、直接言われることってなくて。こんな僕だけど、生き返ったことに何か意味はあるのかと、昨日の夜考えていたんです。そうしたら筆が進んでくれて。死ぬ前は、全然違う絵にしようと思っていたはずなんです。でも、もう、どんな絵にしようとしていたのか、そっちの方が思い出せなくって」
「そっちも素敵だったのかもしれませんが、私、この絵好きです」
白瀬の言葉に、坂田が嬉しそうに頷く。
「まだ描きかけなんですが、これもいいですかね。飾っておいて」
「もちろんです。描きかけだからいけないなんて言うわけないじゃないですか。是非飾りましょう」
「……よかった」
ほっと、坂田が息を吐き出す。
描きかけの絵が一つ増えただけで、会場の雰囲気までが変わったような気がする。少し明るくなったような、そんな気がする。
暗い雰囲気の坂田の絵の中で、描きかけの絵だけがほわりと光っているように見える。
展示室の中は相変わらず閑散としている。やはり誰か知り合いでも呼べばよかったのかと、不安になってくる。見ているのがほとんど和季と白瀬しかいないのだ。
今日は和季が先に昼休憩を取った。近くに喫茶店があったのでそこで適当に食べてきて、坂田にはシーチキンのおにぎりを買ってきた。今は白瀬が行っている。
受付の席に座りながら考える。白瀬が帰ってきたら少し抜け出して、誰かに連絡して来てもらうことは出来ないだろうか。平日休みの友達に頼み込めば誰か来てくれるかもしれない。
朝、白瀬に言われたことも頭では理解しているのだが、これではあまりにも寂しいではないか。
もやもやと考え続けてしまう。




