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耳は切らないでくださいね

「シーチキンのおにぎり、美味しいですよね」

「あ、は、はい」


 白瀬が買い出しに出て行ってから、昼時だからか人も全く来ず、無言の時間が続いていた。何か話した方がいいかと思いつつ、こんな話題しか出なかった。

 そして、特に会話がキャッチボールされることもなくすぐに止まる。

 和季も一緒に行こうとしたのだが断られてしまった。白瀬が帰ってきてから交代で行くことになったが、もしかすると生き返りの人に早く慣れるためにわざと置いて行かれているのかもしれないと勘ぐってしまう。昨日も言われたとおり、あまり坂田を一人にしないためなのかもしれないが。

 早く慣れた方がいいというのもわかっている。今は白瀬についていればいいが、そのうち一人で担当しなければならないことを考えると避けることは出来ない。だから、雑談でもいいから話し掛けてみようと思ったのだ。


 しばらく無言が続いて、重い空気が流れた後、


「やっぱり、人は来ないみたいですね」


 珍しく、坂田の方から口を開いた。坂田は口の端をつり上げて、笑ったような表情を作る。


「平日ですし、なかなか来れる方が少ないんですよ、きっと」


 どう返せばわからなくて、とりあえず慰めるようなことを言うしか無い。


「……そうかもしれませんね。うん、せめて休日だったらよかったのかな。でも、死ぬ日は選べないからなあ」


 最後の方は独り言だったのだろうが、急にもうすぐ当たり前のように隣にいるこの人がいなくなってしまうという事実を突き付けられる。坂田があまりに普通の人と同じ姿をしているせいで、時折うっかり忘れそうになってしまう。

 ここまで見分けがつかないものだとは思わなかった。今までもどこかで生き返った人たちと、知らずにすれ違っていたのかもしれない。


「これまでも無名だったんだから、死んだからって人が来るわけないですよね」

「まだ明日もありますよ」

「……ありがとうございます。あの」

「?」

「すみません。梱包の時とか、キツいこと言ってしまって。他のことは結構どうでもいいんですが、絵のことになると我慢できなくて」

「い、いえ。そんな」


 気にしていたことを見透かされたのだろうかと思って、どきりとする。自覚はあるらしい。


「価値が出ないような絵なのに、そんなこと気にしていても仕方ないですけどね」

「そ、そんなことないですっ」


 慌てて否定するものの、その先の言葉が思い付かない。

「すみません。困らせるようなことを言って」

「……いえ」


 素敵な絵です、と嘘でも言えたらよかった。それなのに、言葉が出なかった。そんな自分が情けない。

この人は嫌な人でも何でも無く、ただ自分の絵が大切なだけなのだ。そしてそれを認めてもらいたくて認めてもらえなくて苦しんでいる。

 それを知っても、和季にはどうすることも出来ない。

 外の光が窓から入ってきているのに、ここはなんだか暗い。きっと飾られている絵のせいだ。

 光の差し込まない暗い街。

 坂田の内面を描いているものなのだろうか。好きかと言われるとわからないが、和季もこの絵が嫌いではない。人の好みは様々だ。だからきっと、坂田の絵を気に入っている人がいるはずだ。

 そんな人が現れればいいと、今、初めて和季は思った。



 昼を過ぎて坂田の大学時代の同級生だという人が見に来たが、一通り話しただけで普通に帰ってしまった。特に坂田の絵が好きだというわけでもなさそうだった。同級生だから見に来たという感じだ。あまり親しい様子でもなかった。

 親しければ、生き返りだとわかっていて普通に接することなど出来ないと思う。

 他には特に変わったことがないまま、一日が過ぎてしまった。


「……明日もよろしくお願いします」


 坂田は目に見えて元気が無い。人が来ないかもしれないと自分で言ってはいても、現実になると堪えているのだろう。


「落ち込んでても、耳は切らないでくださいね」


 白瀬の言葉に、坂田の顔がほんの少し緩む。


「……ああ、そうですね。耳は切らないように気を付けます。彼は早死にだと思ってたけど僕の方が少し早かったな。うん」


 力なく笑って坂田は帰って行った。和季たちも施設の職員のところに顔を出してから、市役所への帰途につく。周りはすっかり暗い。


「ごめんね、萩本君まで遅くなっちゃって。昨日も遅かったのに」

「いえ」

「でも、明日までだから」


 白瀬の声はどこか寂しそうに聞こえる。


「彼は明日も来るよ。多分、大丈夫。だって、この絵は坂田さんにとっては大事な子どもみたいなもののはずだよ。だから、きっと見届ける」


 聞いてもいないのに白瀬が呟いた。ただ、それは今まさに和季が心配していたことだった。

だが、もう一つ気になることがある。


「耳を切るって、なんですか?」

「え? ……ゴッホ、知らない?」

「すみません」

「そっか。誰にでも通じるわけじゃないんだ」


 ふむ、と白瀬が腕を組んで唸る。


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